[携帯モード] [URL送信]
影浦雅人のサイドエフェクト(ワートリ)


「おかあさん、せなかがちくちくする」


始まりはこの一言だった。

四歳、ものを伝える為の言葉を選べるようになって間もなくのこと。雅人は母に訴えた。
雅人の身を案じた母は雅人を連れて病院へ行き、診察してもらったのだが至って健康体であると診断された。それでも雅人は背中の痛みを訴え続ける。雅人と母はいくつもの病院を訪ねるが、全て健康体であると診断された。
雅人が訴える度、母は雅人を抱きしめ背中をさすってやった。雅人は背中と指先に何か浸透するような温かさを感じ、そうしてもらうことが大好きだった。

痛みの原因が解決しないまま、雅人は小学校に上がり、どういった時に背中が痛むのかわかるようになってきた。痛む度に後ろを向くと、決まって自分を嫌っているらしいクラスメイトが睨みつけているのだ。
イライラした。
そのうち背中に留まらず、腕や首にまで痛みを感じるようになった。針が刺さるような痛みだけではない、普段友達と話している時でさえをチクチクと細かい棘が刺さるような感覚を覚え、次第に痛みに慣れ始めると、今度は鬱陶しいと感じるようになる。
友達から距離を置き四六時中一人でいるようになっても、同じ空間に人がいる間はずっと、この煩わしい何かを我慢しなければならない。それは他人には想像し難い苦痛で、雅人の精神をすり減らし続けた。

ついに我慢出来なくなったのは小学六年の春。運動会の徒競走で転んだときのことだ。
起き上がる途中で肩に刺さったそれは、一瞬でぞくっとした悪寒に変わった。慌てて刺さった方を見やると、いつもチクチクと刺していたクラスメイトが自分を見て鼻で笑っていたのだ。
雅人は脱げた靴もそのまま、グラウンドの真ん中に突っ込みクラスメイトに殴りかかった。悲鳴や怒号に目も暮れず、馬乗りになって両手で殴りつける。
今まで我慢してきた分も濁流のように溢れ、自分でも奮う腕を止められなかった。
当然、運動会を見に来ていた両親が放課後に呼び出され、相手と相手の親に謝罪した。雅人も謝りなさい、と言われたが、雅人はずっと相手を睨みつけていた。何か言い訳するでもなく、絶対に謝らなかった。
それからというもの、体に刺さるものが少し鋭くなった。今までより痛みは増すが気になる程ではない、と雅人は自分に言い聞かせ小学校を卒業するまで一人でい続けた。

中学に入ると早々に、小学校での出来事からか、生意気な新入生がいるとどこからともなく聞きつけた上級生達が絡んできた。運動会で味わった刺さった後の悪寒が雅人の体を襲い、それを振り払うかのように一心不乱に相手を殴った。そして入学から半年も経たないうちに、校内で雅人に喧嘩を売る先輩はいなくなった。
これで平穏に過ごせる、そう思ったのも束の間、今度は校内での評判を聞きつけた他校の生徒が雅人に絡んできた。舎弟にしてください、と今時聞き慣れないことを願い出る者もいたがその棘すら煩わしく、終わりの見えない感覚に雅人は疲弊していく。

そこに青天の霹靂、近界民が現れた。後に第一次侵攻と呼ばれる出来事である。

放課後、街を歩いていると他校の生徒に絡まれ、喧嘩している真っ最中のことだ。雅人の目の前に得体の知れない巨大な物が現れる。敵味方関係なく逃げるなか、雅人だけは動かずそれを見上げていた。
自分と対峙しているにも関わらず、何も刺して来ない相手は初めてだったのだ。
目と言っていいのだろうか、それと自分の視線が交わると、それは近づいてきた。何も感じないからこそ何をしてくるのかわからない。しかしどこからか聞こえた悲鳴が、平和的解決には至らないことを知らせている。
どうすればいいかわからず固まっている雅人の隣を、風が横切った。かと思えば目の前のそれが積み木のようにバラバラに離れ、重力のまま山のように積もる。
自分と山の間に、ロングコートを着た男がいつの間にか立っていた。さっきの風はこいつだ、と雅人は直感する。男は背を向けたまま大通りに出ろとだけ言って、山を飛び越えて行ってしまった。

雅人が近界民に襲われたのは、この一度だけ。大通りに出れば目を白黒させた自衛隊に誘導され、護送車に乗って被害が及ばぬ市外へ出ることが出来た。幸い両親は共に無事で、どこかのホールで母親に会えて抱き締められると、指先と背中に懐かしい温かさを感じた。
程なくして、助けてくれた男は、その得体の知れない物を倒す為の組織の一員だと知る。同時期にその組織が隊員の募集を始め、雅人はすぐに両親の許可を得て応募した。

入隊試験では、知力、体力、運動能力、全て合格ラインを超して、難なく入隊許可を得る。その際、入隊式前にもう一度保護者を連れてボーダー本部に来るよう指示された。
言われた通りの日付と時間に、ボーダーの危険区域外出入り口を訪れると、自分の他にもう一組、そこには隊員が一人立っていた。忘れもしない、自分の目の前で戦っていた人間だ。その隊員の先導でボーダー本部に入りロビーを過ぎて奥へと進むと、少し開けたところで、ここで待つようにと指示された。


「あの、」


廊下から繋がる部屋の一つへ入ろうとしたその隊員を呼び止める。自分でも何故声をかけてしまったのかわからず、ポケットに親指を入れる。


「ああ、覚えてるよ。大規模侵攻のとき、一番最初に助けた少年だ。無事でよかった」

「っす」

「息子を助けていただき、本当にありがとうございました」


素っ気ない返事をすると、話を聞いていた母が深々と頭を下げた。小声で何で言わないの、と言いながら息子を小突く。


「いえ、私は自分の全うすべきことをしたまでですので。ボーダーに入隊してくれてありがとう。影浦雅人君。お母様も、ボーダーの入隊を許可していただきありがとうございます」


そう言ってにこりと微笑むと隊員は部屋へ入り、入れ違いで自分と同じくらいの体格をした少年が出て来た。


「影浦雅人君、中へ入ってください」

「……お前、もう隊員なのか」


脇から話しかけると、子供は今の話を聞いていたのか大して驚きもせずに返事する。

「うん。大規模侵攻前から」

「ふうん……名前は?」

「迅。迅悠一。よろしく」


挨拶を返さず中へ入ると、母親に背中を叩かれた。それなりの痛みはあるが、その後温かさが体に染み入る。

運動会でクラスメイトを殴ってから、両親は雅人のことを腫れ物のように扱い、雅人自身はそれをしょうがないと割り切って恨みはしなかった。ただ、この先ずっとこんな接し方なんだろうなと思った。
中学に入って爆発的に暴力沙汰が増えると、比例するように学校が親を呼ぶ回数も増えていく。時には警察署から呼び出すこともあった。それでも親は根気よく雅人を迎えに行った。何か関わってくることはなくとも、見放すことはなかった。

いつだって指先はチクチクと温かかった。

大規模侵攻時、両親は雅人の行方がわからない間、生きた心地がせず心配と後悔で心が潰れそうになっていた。どこにいるのか、生きているのか。何でもいいからもっと話せばよかった。もっと雅人を知れていたら探しに行けたのに。
もうあんな思いをするのは御免だと、両親はそれからというもの何かと息子に声をかけるようになり、雅人も最初は戸惑ったものの元々家族が嫌いだったわけではないので普通に受け答えするようになった。数ヶ月で小突き小突かれるまで間を縮められたのは、お互い歩み寄ろうという努力の賜物である。

部屋の中に入るとまず衝立があり、それを避けるように進むと手前に丸イス、奥には白衣を着た人間が机に腕を掛けながら座り、その反対隣には簡易ベッドがある、病院の診察室のようだった。白衣を着た男が、どうぞ、と雅人を丸イスに促す。何か病気にかかっているのかと親子共に不安になりながら、雅人は丸イスに座り母はその後ろに立つ。息を呑んで男の言葉を待つと、その人間は雅人の名前を呼んだ。


「君は、何か……漠然でいい。何か、人と違うと感じたことはあるかい?」

「は?」


失礼な聞き返しにすかさず母が雅人の頭を叩き、その手を肩に置いた。


「この子、小さい頃からよく背中が痛いって言ってまして。あと、その、成長するにつれて人と接しなくなっていってるんです」

「接しなくなっていってる、とは、」

「本人はどうかわかりませんが私から見たら、嫌われるのではなく、自分から離れようとしているように思いました」

「なるほど……」


男は頷いて、雅人をじっと見つめる。真っ正面から刺される痛みはいつもより強く、雅人は眉をしかめた。


「痛むのは背中だけかな?」

「……今は、あんたのせいで顔と腕が痛え」

「雅人」

「まあまあお母さん、構いませんから。……雅人くん、それはどんな痛み?」

「刺されてる感じ」

「何で?」

「棘とか針。大小あるけど、刺さった後の方が、なんつうか……」

「今の痛みはどんな感じ?」

「なんか、小さいのがチクチク刺さってる感じ。いつもより痛えけど、刺さってるだけ」

「刺さった後っていうのは、何かに例えられる?経験談でもいいよ」


前後にいる大人は辛抱強く雅人の言葉を待つ。やがて雅人は頭を掻いた。


「…………小六の運動会で転んだとき、棘が刺さったと思ったらそこからぞっとしたもんが体中に走って、刺さった方を見たら転んだ俺を鼻で笑ってる人間がいた」


肩にある手の力がぎゅっと強まる。


「他には?」

「殴り合いとかで明らかに俺をぶっ殺そうとしてる奴相手だと、体がめちゃくちゃ痛い。ナイフでも刺されてるみたいな。でも痛みに関係なく体は思ったように動く」

「ふむ……ご両親相手からは何かあるかな。言いたくなかったら無理しなくていい」


力の込められた手が、ぴくりと跳ねた。雅人は首を回し、母を見上げる。

母はぼろぼろと涙を流していた。

雅人は顔を正面に戻し、目の前の人間に告げる。


「痛みはまあ、あるけど、なんか温かいもんがじわって入ってくる」

「雅人……」

「……そうか。わかった。まだ仮定だが、君が持っているその力について説明しよう」


そうして語られたのは、サイドエフェクトという力についてと、雅人のサイドエフェクトについてだった。
サイドエフェクトとは、高いトリオン能力を持つ人間に稀に発現する特殊能力である。試験時に調べたトリオンと今の話から、雅人はサイドエフェクトを持っておりその能力は、自分に向けられている意識や感情が肌に刺さるように感じる『感情受信体質』であると確定に近い形で仮定されたのだ。


「サイドエフェクトはまず認知して、それから意識する訓練を積めば、使いこなせる程ではないけど多少コントロールすることが出来るようになる。痛みも少しは和らぐだろう」


君のその痛みには、ちゃんと理由があるんだよ。

白衣を着た男はそう言い切った。
雅人は、現状がまだ変わらずとも痛みの理由を知れて、少しだけ気が晴れたような気がした。

最後に、入隊式後にまた呼び出しがあると伝えられ、診療は終わった。ありがとうございます、と母は深々と頭を下げた。


「お疲れさま」


部屋を出てすぐ傍から迅が雅人に声を掛けてきた。


「……お前は、サイドエフェクトっての、あんの」

「あるよ。……飛びっきりのがね」


迅は一瞬視線を逸らしてからニカッと笑ってみせると、二人の前を歩き始めた。行きのロングコートの隊員に代わり、今度は迅が出口まで先導するらしい。道中こちらに気を使っているのか、愛想が良さそうな割に話しかけてくることはなく、母も黙ったままで足音が廊下に響いた。


「君の入隊、楽しみにしてるよ」


出口に着いて外に出ると、迅が言った。肌にチクリと刺さったそれは、不思議と嫌に思わなかった。
またね、と手を振る迅を無視して、雅人は歩きだす。


「雅人、今まで辛い気持ち、わかってやれなくてごめんね」


しばらくして隣を歩く母が、俯きながら謝る。

今日息子が話した内容は、どれも母にとっては初めて聞くものばかりで、わかろうともしなかった自分の不甲斐なさに顔も上げられない。向き合おうという努力も、その結果息子との距離が縮まったと喜んだのも、ただの自己満足だったのだ。
思えば、いつから背中が痛いと訴えなくなったのかさえ、覚えていない。
話をして貰えなくて、諦められて当然だった。


「…………別に、」


一方、雅人はこめかみに痛みを感じていた。初めて感じる、弱々しくも反対側まで貫くような痛み。
先ほどのサイドエフェクトの話から、母が自分に向けている感情なんだろうとは思うが、前例がない為その感情が何だか判断しかねる。母の様子からして、申し訳ないという気持ちだろうか。


「んな謝らなくていいし。話さなかったのは俺だし」


話さなかったことに理由なんてない。ただ、話さなかっただけ。
確かに苦しいと感じたことは数知れないが、それを親のせいにする気はないし、そもそも親のせいではないと思っている。わかってほしいと、何故わかってくれないんだと嘆いたことも今まで一度としてなかった。
雅人からすれば、母が落ち込む必要などどこにもない。


「……気にすることじゃねえから」


それが精一杯の声かけだった。
ちらりと隣を見れば、母と目が合う。


「母さんは、いつでも何があっても雅人の味方だからね」


二人共、前を向いて歩く。


「そういうのわざわざ言わなくていい」

「照れてるの?」

「るせえ」


息子の不器用な優しさに触れ、母は自分を責めるのをやめて気合いを入れる。
この先何があっても、親としてこの子の味方で居続けよう、と。


「迅くんみたいな友達、これからいっぱい出来るといいね」

「いつそんなんになったんだよ」


雅人は鬱陶しそうにしながら、しかしそれでもちゃんと答える。

痛みが和らぎ、代わりに指先に温もりが刺さって安心した。


それからボーダーに入った雅人が、初めて勝てない相手に直面し、がむしゃらに訓練したり何度もその相手に挑んだり、同い年の新入隊員と普通に会話してカゲというあだ名をつけられたりするのは、まだ先の話。




影浦雅人




………

影浦隊の隊長やばくない?威嚇の仕方で堕ちた。可愛い。ボーダー内でのあだ名呼びって珍しいのによりによって何故カゲなん……でもってなんて生き辛いサイドエフェクトを持ってるんだ……。
ということでお得意の大捏造大会を開催してしまったわけです。もっとこの先も書こうと思ったけど、大捏造の被害をこれ以上拡散したら自分の首を締めそうなので最後の文にこちゃっと。
カゲに、ガブガブのポーズやってー!って叫びたい。

2015/7/25




あきゅろす。
無料HPエムペ!