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Out of the blueサンプル


「失礼します!笠松センパイ!」


 昼休み。ドアの前で一礼して入口を潜り、我ながら遠慮ないなと思う程ずかずかセンパイのもとまで歩く。いや、歩きながら声を上げていた。


「大学でバスケしないってどういうことっスか!?」


 今さっき、渡り廊下にある階段の踊場で二年の先輩三人が、菓子パン片手に話しているのを偶然にも聞いてしまった。購買に寄る為登ろうとしていたオレと丁度鉢合わせになって晒した顔には、はっきりとヤバいって書いてあって、オレが知ってはマズいということは口止めされているってことで。だから口止めしている本人に、こうして直接尋ねに来たのである。
 インカレに力を入れている大学やプロリーグチームからのスカウトを蹴ったと知った時だって信じられなかったというのに、大学でバスケ部に入らないとはどういうことだ。しかもその、あちゃーって顔。オレが煩くなるから黙ってたとでもいうようで、それだけの為にそんな大切なことを知らされなかったのだと思うと怒りを通り越して悲しくなる。
 一番窓側で真ん中の席に座る笠松センパイの横まで来て、威圧感を込めて見下ろす。センパイはもう昼飯を食べ終え、背もたれを肘掛けにして横向きに座り、小堀センパイと参考書みたいなものを囲んでいた。よってオレ達は今、真っ正面から向き合う形になっている。


「何か言ってくださいよ」

「あー、黙ってて悪か」
「そういうことじゃなくて」

「……しねえよ。スカウト蹴った時から決めてた」

「は…………?」


 それはインターハイが終わってすぐの時点で、もうバスケをやらないって決めていたということになる。蹴ったことだって今回みたいに人伝に聞いて、理由を聞く為にセンパイが根負けするまで追いかけ回した。その時は、バスケはどこでも出来るだろ、と諭されたのだ。わざわざスカウト蹴るのには少し在り来たり過ぎる言葉じゃないだろうかと思いもしたけど、二年生の時から背負っていた重圧を考えると強豪校に行くのは辛いのかもしれない、それにセンパイは大学へ行ってもバスケを続けるんだからいいじゃないか、なんて自分に言い聞かせ無理矢理納得していた。しかし想像以上に『どこでも』の範囲が広かった。まさか『どこの大学へ行っても』ではなく『ボール一つさえあれば』だとは思っても見なかったのだ。

 だって、我らが海常高校男子バスケットボール部の主将が高校で現役を退くなんて、誰が予想出来た?

この海常でバスケットボール部の代名詞ともなろう人が、バスケをしないでどうやって生きていくのか。オレにとって、いや、海常の人間にとっては、それぐらい先の見えない選択だと思う。
 他人の事情でこんなに喉が渇いて手が震えることなんて、今まで一度だって経験したことがない。話しかければ情けないことに声まで震えていた。


「バスケ辞めて、何するんスか」

「ギター」


即答だった。バスケ以外でセンパイがすることなんてギターくらいしかないのはなんとなくわかってはいたけど、バスケよりギターを取ったのかと思うとやっぱりショックだ。
 プロからのスカウトを受け入れれば即社会人として収入を得ることが出来る。それに比べて大学入ってからバンドか何か知らないけど本格的にギターを始めるというのは、この先就職を考えるにしてもあまりに無謀な選択じゃないか。モデルの仕事をしているとき、仕事をくださいと頭を下げにくる人間は何人もいて、仕事を取る難しさっていうのを嫌でも目の当たりにしているからこそ、スカウトまで蹴ってギターを取るその選択が理解できない。


「ギターって、それで食っていけると思ってんスか」

「別に食っていこうなんて思ってねえよ」

「じゃあ何でやるんスか!」

「やりたいからに決まってんだろ」

「……バスケよりやりたいこと、かよ」

「あ?」

「後先考えないでこれからギター始めるより、スカウト受け入れてバスケ続けた方が確実に就職出来るのに。やりたいから、で飯を食えるのはほんの一握りなんスよ。あとは頭下げて頭下げて、震いにかけられて、それでも仕事に就けない方が多いんス。四年後大卒で職無しとかマジで笑えねえっスよ」

「お、お前、やめろ、親父と同じこと言うな」

「まさか黄瀬から就職について説かれるとは……」


今まで真っ直ぐ、それこそメンチを切るように見合っていた笠松センパイが目を横に逸らし、小堀センパイは驚いた顔をする。伊達にモデルやってねえスから、と言いつつもオレ自身はオファーを捌いていたようなものだから、仕事がない辛さというものはわからない。しかも今はまだ学生だから深く考えないでいいけど、社会人になってこれに生活をかけなければならないとなると、もう笑うことは愚か形振りなんて構っていられなくなるだろう。バスケ一本に絞ってプロになれたとしても問題はその先にある。入り口に立ってからだって大変だというのに、わざわざ自分から入り口を塞ぐなんて本当におかしな話だ。
 しかも、ギターの為に。お遊びでするギターなんかの為に。


「とにかく!将来性の無いギターを諦めてバスケするっス!」

「おい。黄瀬」


スカウトは蹴っちゃったけどセンパイなら大丈夫っスよ!って続けようとしたところで、笠松センパイがオレの名前を呼んだ。『センパイが話をする時は黙って聞くこと』。この一年にも満たない間に躾られた通り、一声聞いた瞬間に条件反射で口を噤む。再び真っ直ぐに向けられる目は、怒ってはいないが本気をぶん投げてぶつけてくるような、訴えてくるように感じた。


「ギターに将来性があるかどうか、将来かけるかどうかを決めるのはオレだ。勝手にお前が決めんじゃねえ」

「じゃあ言い方変えます。センパイはバスケをするべきっス」

「それを決めるのもオレだ」


その強い目と、揺らがない決意みたいなものが酷く癪に障る。


「バスケするべきだって、このオレが言ってるんスよ!」

「は……?このオレって何だよ。キセキの世代の?完璧な模倣の?黄瀬涼太様か?偉いもんだな」

「はあ!?海常の黄瀬だって言ってくれたのはセンパイじゃないっスか!」

「てめえが先にキセキ持ち出したんだろうが!っつうか海常の黄瀬だってんならお前はオレにとってただの後輩だし、そんなただの後輩がキャンキャン吠えたところでギター諦める訳ねえだろバカ!」


 ただの後輩。

 その言葉は、オレ自身びっくりするぐらい、一瞬息を忘れる程、深く胸に突き刺さった。
 そうか。センパイはそう思っていたのか。センパイを他の先輩よりも親しい、一番良くしてもらったセンパイだと特別に思っていたのは、オレだけだったのか……って打ちのめされると思ったら大間違いだ!オレだけセンパイのことを特別に思ってるとか許せない!センパイも同じようにオレを特別に思うべき!


「だったら付き合いましょう!」


 勢いが口から転がり出るみたいに言ってしまってから、息巻いていた気持ちが周りの空気と共にスッと冷めた。水を打ったように静まり返った教室の中で、センパイ達が口をポカンと開けてオレを見上げる。多分オレも同じ顔をしている。するとどこからか「キセリョってホモだったん?」とぼやいているのが聞こえて、それが起爆剤のようにオレを動かした。


「違うっス!今のはコトバノアヤってやつ!オレはホモじゃねえっスから!SNSに上げるのやめてください!」


声のした方を向いて必死で説得するも、この健闘が反映されることは難しいだろう。今夜中には『キセリョはホモだった』なんていうスレッドが立つに違いない。最悪だ。部活中の凛々しさから遠く離れ、相変わらず目と口をポカンと開けて呆けているセンパイの方に向き直り、上に何も乗っかっていないセンパイの机を叩く。


「センパイのせいっスよ!」

「はあ!?テキトーなこと言ってんじゃねえ!先輩の机叩くな!」

「あー!あー!もういいっス!ギターでも何でもやってください!お忙しいところすいませんでした失礼します!」


 叫ぶようにまくし立てて予鈴と同時に教室を出た。
 大学に行ったらバスケはしないこと、それをオレに黙ってたこと、バスケをやめてギターを始めること、ギターを弾く為にバスケをやめること、センパイにとってオレはただの後輩だったこと、ホモだって勘違いされたこと。全部が心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、悔しくて、悲しくて、寂しくて堪らない。胸がギュッと閉まって息が詰まり、苦しくて涙が出そうになる。

 インターハイで負けた時とは似て非なる感情に、押しつぶされそうだ。







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