[携帯モード] [URL送信]
「お元気で」サンプル


 バツン。

停電を思わせるかのような照明の切れ方に誰一人悲鳴や戸惑いを表すことなく、野太い歓声が店内を震わせる。しかしその熱狂的な盛り上がりは一瞬で、すぐ音が少なくなり打って変わって静まり返った。暗闇の中で抱く期待と高揚感。これはバンドのライブと差して変わらない。
 充分にある注目を殊更集中させるように、いつの間にか幕が上がっているステージの中心にだけ、蛍光ピンクの色をしたスポットライトが当たった。天井から床へ伸びているのは一本の鉄棒。その棒の前に、一人の人間が背中を見せて立っている。
 頭には黒の軍帽。肩甲骨の形までありありとわかる程体の線が表れた黒のレザージャケットと、同じ素材のショートパンツ。丈は笠松が今穿いているボクサーパンツとそう変わらない。そこから網タイツを纏った太腿が、膝下のこれまたジャケットと同じ素材で出来たブーツまで露わになっている。立っていることすら難しそうな細長いピンヒールで踵は浮いていた。
 これが女性であれば笠松だって少なからず興奮したかもしれない。しかしその体の線は、間違いなく男だった。
 そもそもゲイバーという時点で、そういったパフォーマンスダンスだということを予想しておくべきだった。何を勘違いしていたのか、テレビでよく見るようなポップダンスだと思っていた笠松は、その光景に言葉をなくし、これから始まるだろうことを予想して狼狽える。縦に伸びた鉄棒、もといポールと人間と網タイツ。ドピンクのライト。する事は一つだ。
 唐突に大音量で音楽が流れ始める。ドラムに電子音を乗せたイントロに合わせ、ダンサーは棒を伝ってスルスルと腰を下ろす。下半身がMの字になると同じ速度で腰を上げた。音楽は女性の吐息混じりの声が加わりメロディーが始まる。ダンサーがジャケットと同じ素材の手袋で棒を掴み、体を引きつけくるりと回転してこちらを向いた。前髪さえ自分と同じように短めで恐らく地毛であろう色の短髪。顔は頬の半分まで隠れるサングラスをかけていて、口を動かしてくれなければ表情を読むのも難しい。それなのに、笠松は何故か初めて見た気がしなかった。森山であればそれは運命だ!と声高々に宣告してきそうな感覚だが、相手は男。これが本当に運命というものだとしたら、そんな運命は犬にでも食わしてやる。
 ダンサーはアの口をしたまま舌を出し、ポールに頬を当て頭をゆっくり上下に動かす。そこで笠松は思い切り顔を背けた。ポールが何に見立てられているかがはっきりイメージ出来てしまったからだ。恥ずかしいより気まずいより気持ち悪いという思いが一番に立つ。生粋の異性愛者である笠松にとっては受け入れ難い光景だった。
 それでも会場は笠松を置いて盛り上がり、異様な熱気を増幅させる。ステージを見ないように下を向き、横目に上司を見上げると食い入るように前を見つめていた。この人本当にゲイなんだ、と改めて認識したところで、反対から声が降ってきた。


「大丈夫?具合悪い?」


声のする方に目をやるとママが心配そうな顔をして、白いレースのハンカチを出してくれていた。笠松は有り難くそのハンカチを受け取って両手で持つ。音楽の邪魔にならないよう注意しつつ礼を言った。


「すみません」

「いいのよ。御手洗い行く?」

「いえ、大丈夫です。その……」

「気にしないわ。ダメなものはダメよねぇ。寧ろ、そんな貴方を連れてきたみっちゃんがいけないのよ」


後でデコピンしとくわね、とウインク混じえて言って貰い、笠松は苦笑いを浮かべつつ少し安堵する。


「無理しないで、辛くなったら言ってね」

「はい。ありがとうございます」


頭を下げると同時、ワッ!と歓声が上がった。笠松は反射的に顔を上げると、ダンサーがサングラスを客席に向かって放り投げるところで、ステージに一番違い客席からガタガタと音が鳴る。ダンサーはいつの間にか帽子を取ってジャケットを脱ぎ、黒タンクトップ姿になっていた。しかし、笠松はそれを気にしているどころじゃなかった。
 視線を下に戻せないのは、自分の目を疑い、否定する要素を探しているからだ。何より、驚きの余り首が動かない。

そのダンサーの名を、笠松は知っていた。


「ひゅうが…………?」


 呟いた声は音楽にかき消された筈なのに、応えるかのようにしてダンサーは急に笠松の方を向き、二人の視線が交わる。ダンサーはほんの僅かに目を見開くも、すぐに元の目つきに戻りタンクトップを脱ぎ始める。ダンサーもまた、笠松を知っているのだ。

 今の態度は、彼が日向順平だと肯定するのに十分な証拠だった。

 上半身が裸になり、整い引き締まった体をさらけ出すダンサーもとい日向は、ポールの周りを一回りした後、ステージから飛び降りた。そのまま目の前の客席に消える。音楽が大きくて笠松のいる席からでは音すらも拾えない。曲の間奏部分丸々使ってやっとステージに戻る頃にはショートパンツのウエスト部分に大量の札が突っ込んであった。所謂チップというもので、その額に見合ったサービスを客席でしてきたということになる。筋肉が綺麗についた腕で軽々とステージに登り、座った姿勢のまま足をM字に開いて園児のような格好でブーツを脱ぎ、下に落とした。ペタペタとタイツを纏った足でポールまで歩き、その棒を両手と股に挟んで上下に揺れる。
 笠松は背中を丸める程勢いよく顔を下げた。未だにダンサーが日向だと信じられないが、流石にもう見ていられない。上司や周りが更に盛り上がるなか、笠松だけは顔を白くさせていた。しかし本当に日向だったとしたら少し話がある。


「ママ、さん」


隣で静かに座っているこの店の店主に小声で話しかけるも、音楽にかき消されて届かない。笠松はママの肩にかかっているファーのストールをポンポンと叩いた。


「あら、やっぱり御手洗い行く?」

「あ、いえ、そうじゃなくて、」


本来人の目を見て話す笠松が無意識に顔を上げると当然ママと目が合う。大きい目に潤んだ唇。耳の前から下がっている部分の髪はくるくるふわふわに巻かれている。もちろん髭の痕もないから、口周りは手を滑らせたい程ツルツルしていて、やはりどうしても女性に見えてしまい、咄嗟に視線を膝の上へ戻す。


「今踊ってるダンサー、知り合いなんです」

「あら、そうなの」

「それで、少しでいいので会わせてもらえませんか」

「ごめんなさいね。出来ないわ」


絞るように照明が弱まり、ワアアァと歓声が一際大きくなった。真っ暗闇のなか音楽が止んだことから、ダンスパフォーマンスが終わったのだと理解した。隣のソファーにかかっている負荷がなくなり笠松は、歓声に乗じて席を外そうと立ち上がるママのどこかを慌てて掴む。


「お願いします」

「あのダンサーの子にね、知り合いが来たら絶対に追い返してくれって言われてるのよ。だから会わせる訳にはいかないの。ごめんなさいね」

「そこをなんとか」


段々と照明が強まって、部屋全体が見渡せる程明るくなり物がはっきり見えるようになったところで笠松は自分が掴んでいるものを確認する。それは、運がいいことに手首だった。しかし手首の持ち主に表情が無くなっているところまで見えてしまい、やっと自分の言ったことの重大さを認識する。あんな風にポールを使ってセックス紛いな動きをしながら体を晒す仕事を、何の理由もなくしている筈がないのだ。しかしだからといって引き下がる訳にはいかなかった。


「大事なお客様でも、聞き分けのない子には出入り禁止にさせてもらうことも出来るのよ」


ママから放たれる威圧感に、今まで飲んだ物が逆流しそうになる。声色と気配だけで身を竦ませるなど、試合でもキセキの世代を相手した時や自分と相当の選手が神経を張り詰めた時くらいにしか感じることはない。笠松自身もそうであるのに、ママはいとも簡単にやってみせた。伊達にこういった店を引っ張ってきただけある。


「すみません、でも、」

「か、笠松、それ以上は止めてくれ」


この店は売り専バーでありつつも、ママと呼ばれている店主がこの辺一帯のゲイバーで絶大な権力を握っている。即ちこの店に出入り禁止を申し渡されれば、店の出入りは愚かこの横丁を歩くことすら出来なくなるのである。それをいち早く察した聡明な上司は、笠松の腕を剥がそうと持ち上げた。
 周りの各テーブルからは、「個室」「個室」と手が挙がっている。


「お願いします」

「笠松」

「しつこい男は嫌いよ」

「お願いします!」

「笠松頼むから」

「あのねぇ」

「ママ!」


ママがとうとう嫌悪感を表情に出したその時、店の端からはっきりと声が聞こえた。客店員関わらず、店内にいるほぼ全ての人間が声のしたホール端に視線を向けると、ステージで着ていた白のタンクトップにショートパンツと網タイツ姿で、先程まで踊っていたダンサーが立っていた。客席から歓声が飛ぶなか、ブーツも履かずにずんずんと笠松の方へ歩き寄る。そしてママの手首を掴む笠松の腕を、テーブル越しから上司の手の上に重ねて掴んだ。


「ごめん、この人は大丈夫だから。ごめん」

「あらやだ、そうなの?先に言って頂戴な。ごめんなさいねぇ」


謝罪の言葉と共に今までの威圧感がフワリと和らぎ、笠松の手から力が抜けて腕ごとだらんと下がる。一拍遅れで、練習試合を一つこなした後のように全身が脈を打ち汗がこめかみを伝って、自分がどれだけ緊張していたのか思い知った。隣で上司が安堵からホッと息を吐く。


「皆さんごめんなさい、ジュンのお相手は決まっちゃったわ。また次回の機会に」


ママは予め用意してあったのだろうマイクで店内の客にそう伝えると、音も無く座り直した。その隣で店主と同時に立ち上がっていたホストも同じく座る。


「ジュンは早く着替えてらっしゃい。慌てて来たとはいえ、見苦しいわよ」

「はい」


短い返事をして、日向は踵を返しホール端にあるスタッフルームへ歩く。途中にある席で抜かりなくちょっかいをかけチップをもらっていると、ママにジュンちゃん?と穏やかであるのに怒気が混ざったような声で名前を呼ばれ、いそいそと足を動かして行った。







第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!