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着るものひとつで(巣栄)
 

 髪よし。服装よし。ネクタイも……曲がってない。オッケー。
 玄関の手前の壁にかけられた姿見で、前髪を弄りつつ身なりの最終チェックをして、もう一度自分の部屋に戻る。クローゼットからジャケットを引っ張り出し袖を通したあと、辺りを見渡した。
 スマホと、財布と、原チャリの鍵と……。
 ローテーブルの上にあるものを、パシパシ取ってはジャケットのポケットに突っ込む。あ、あと手袋手袋。手袋とネックウォーマー。小学生の頃から使ってるシールだらけの机に、無造作に置いたままだった黒の手袋を拾う。そこで、あれ?と首を傾げた。部屋の中にネックウォーマーがない。布団が壁側へぐしゃぐしゃに寄ってるベッドの上にも下にも、長い付き合いの机の上にも下にも、この前整理したらバトエンが出てきた引き出しの中にも、みかんと電気ヒーターのリモコンが乗ってるローテーブルの上にも下にも、片付けといえばとりあえずここに突っ込めのクローゼットの中にもない。昨日も使ったんだから見当たる場所にある筈なのに、どこにもないなんておかしい。かといってどこに置いたかも思い出せない。
「姉ちゃん俺のネックウォーマー知らなーい!?」
「ソファーの上に置きっぱなしだったよ!もー!自分の物はちゃんと纏めて置いときなさいっていつも言ってるでしょ!」
 記憶を遡ることを早々に諦め、横着して部屋から叫び尋ねると、同じような大声で説教と一緒に返事された。無意識に物を置いていく癖は昔からで、今でも治る気配はない。いや、俺の意識次第なのはわかってるんだけど、その意識するっていうことからしてもう難しいんだよなあ。
 ごめんと謝りながらリビングに入りソファーを見ると、スウェット姿で横たわっている幸裕が、俺のネックウォーマーに足を突っ込んでささやかな暖を取っていた。
「お前!人のネックウォーマーに何してんだよ!」
「こんな所に置いとくのが悪いんだろー。安心しなよ、風呂入ってから一回も外出てないから」
「そういう問題じゃないだろ!っていうか足寒いなら靴下履けバカ!」
「うるさい!ユキは早くそれ返しなさい!時間ないんだから!」
「はぁーい。ゴメンネ兄ちゃん」
台所にいる姉ちゃんの喝を聞き入れたものの、謝罪は口だけというか音の羅列で済まされる。もちろんそこに悪びれた色は全くなく、片足を器用に使ってつま先にぶら下がったネックウォーマーを手に移し取り、どうぞと差し出してきた。俺はもう怒りを通り越して悲しくなる。何でこんな風になってしまったんだろう。昔はもっとこう、本当に浮いてるんじゃないかってくらい天使のように可愛かったのに。感傷に浸りつつある俺に、幸裕はいらないの?と聞きながらネックウォーマーを足に戻そうとするから慌ててふんだくった。
 すると廊下の方から父さんが、酷い寝癖頭を掻きながらやってきた。ふあぁっとあくびを一つして顔中の色んなところにある皺をさらに深く刻み込み、今度は腹をボリボリ掻く。正に成人した子供が二人くらいいそうなオッサン具合だ。
「騒々しいと思ったら、今日成人式かあ」
「ごめん、うるさくて」
「いや、寧ろ何で起こしてくれなかったの」
「昨日まで長崎だったんでしょ。ゆっくりしてなって」
「息子が成人式に行くってのに寝てられないよ」
「もう出るけどね」
言いながら姉ちゃんはテーブルに、カフェオレの入った父さんのマグカップを置く。父さんはありがとうと言ってイスに腰掛けた。
 こうして家族全員が同じ空間にいるっていうのは本当に久しぶりのことだった。いつ以来だろう。正月には父さんはもう長崎に行ってたし、彼氏と同棲を始めた姉ちゃんは滅多に帰って来なくてクリスマスにもいなかったし、それより前だから……幸裕んとこの体育祭?うそ、そんなに前?
「勇人時間大丈夫?」
「え?あ、本当だ。行かないと」
 姉ちゃんに言われて、テレビ横のラッグに立てかけられた時計を見ると、丁度家を出ようと思っていた時間だった。俺はソファーとローテーブルの間を通り、テレビを挟んで時計とは逆の棚の上にある、小さな仏壇の前に立つ。母さんがいなくなってから買ったそれは、最初真っ白だった外側の板が少しくすんできていた。それもその筈。あの頃中学生だった俺が成人式を迎えるんだから。手袋と幸裕から取り返したネックウォーマーを腋に挟んで鐘を一つ鳴らし、手を合わせて目を閉じる。
 ──母さん、行ってきます。
 その一言だけ心の中で伝えて、目を開けた。
「んじゃ、行ってきます」
「いってらー」
「いってらっしゃい」
「あ、勇人ちょっと待って」
「なに?」
 父さんは思い出したように立ち上がり、おいでおいでと手で招く。何で呼ばれているのかわからないままついて行ったら、父さんの寝室まで来てしまった。和室だから布団で寝ている筈なんだけど、起き抜けに押入へと片しているらしく床はすっきりしている。換気の為か障子と窓も開いていて、入った途端にひんやりとした空気が頬を触り反射的に首を竦めた。そんなことに気を取られているうちに、父さんは部屋での目的を果たしたらしく早々に俺の前に立つ。
 はい、と差し出されたのは、父さんが毎日欠かさず身につけている腕時計だった。
「持って行きなさい。これがないと格好がつかないだろ」
「あ、ありがとう」
 突然渡されて頭が回ってないなか、礼だけたどたどしく言って受け取り、もたもたと手首に巻く。
 周りと数字と針がシルバーで、中の時計盤だけアイボリーの高級そうな、それでいてすっと腕に馴染む年季の入った腕時計。いつから付けているのかはわからないけど、長い時間を父さんと共にしてきた言わば相棒のようなそれは、重量以上の何かを宿している気がする。
「父さんは休みだから、今日だけ特別にな。今度どこか出掛けるまでに、ちゃんと自分で買いなさい」
「わかった」
「成人式おめでとう勇人」
「……ありがとう。じゃあ、行ってきます」
「ああ。行ってらっしゃい」
 ネックウォーマーに頭を通し手袋を嵌めたあと、慣れない腕の重みと一緒に俺は家を出た。






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