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右阿部サンプル
今空いてたら部室に来てくれ。急いでないけど相談がある。
 そう泉からラインをもらった花井は、わかったとだけ返信したあと食べてた弁当の残りをかき込み、記してある通り部室へと向かう。教室から部室の距離だが、コートを羽織って正解だった。この時期は一年で一番寒いよなあと勝手に思いながら、氷のように冷たいドアノブを回し、引きながら最早条件反射で軽く挨拶する。
「ちーす」
「ちす」
「ちっす」
中には相談者の泉と、副主将の栄口が胡座をかいていた。自分一人だと思っていたので一瞬動きが止まったが、主将副主将に相談とはなかなか大きな問題なのかと察する。
「悪いな」
「全然。あとは阿部か?」
「いや、来ねえよ。阿部のことで呼んだから」
「え?」
靴を脱いで部屋に上がり、事前に二人が空けておいてくれた場所に座り込む。
 二年生に進級したときクラス替えがあり、泉と阿部は同じクラスになっていた。きっと部活に関係あることなんだろうが、自分は特に阿部の様子に異変など見受けられなかった。部内一人の機微に敏感な栄口も、阿部が?と聞き返していたから、泉以外は誰も気づいてないだろう。そしたら教室内での問題だろうか。
「っつか、阿部と水谷」
「水谷?」
早々に予想が外れたため、花井は推測を諦めて大人しく泉の話を聞くことにする。
「あいつらここ四日ぐらい口きいてないんだよ」
「え?」
「水谷のやつ、移動教室ある度にうちのクラス寄ってたのにそれがぱったりなくなってさ。気になって阿部に聞いても知らねえっつうし。で、昨日今朝見てたんだけど、部室戻ってもお互い一言も話さねえんだわ」
「そうなのか?」
というのも、全く記憶にないのだ。普段話さないから印象にないのではない、むしろ阿部を見るともれなく付いてくるくらいに水谷は阿部の傍にいる。水谷は楽しそうに、阿部も満更ではなさそうに話しているので用があるというのに呼ぶのを一瞬躊躇うほどだ。それが一言も会話していないらしい。しかも泉以外誰もそのことに気づいてない。泉だって同じクラスで水谷の異変が気にならなければわからなかっただろう。
「誰も気づかなかったのは水谷の手腕だね」
「どういうこと?」
「水谷、そういう隠し事すごく上手いじゃん。あれだよ、スタメン発表前の熱のやつ」
 二年の夏前、水谷は熱で倒れたことがある。前年の成績をきっかけに興味を持って入部してきた一年生は皆、常勝校にいてもおかしくないと思うほど優秀な選手ばかりで二年生も下手したら自分のポジションを奪われかねないと肝を冷やし、躍起になって練習していた。特にレフトポジションは自分と同じくらいの打力を持った一年生が入り、水谷、西広、その一年生でスタメン争いは熾烈を極めていたし、モモカンが起用に一番悩んだポジションでもあった。そんな大切な時期に部活を休むというのは、その争いをリタイアすることを意味していた。あのときもし自分が水谷と同じ立場なら、きっとはぐらかして無理にでも登校していた。 栄口にすぐに見破られて家に強制送還されるまでが一セットな話だが。しかし水谷は、倒れるまで誰にも覚られることはなかった。倒れて保健室に運ばれたことを聞きつけ急いで保健室へ行き顔を見て初めて、言われてみれば朝練のとき辛そうだったかもしれない、と皆が口々に呟いてたほどだ。
 今回もその手を使っているに違いないと、栄口は言う。
「確かに」
「部活に支障がないように気を使ってんのはわかった。けど問題はそこじゃねえだろ」
「そうだった」
「なあ泉、水谷から謝りに来たりしてねえか?」
「だから口きいてねえんだって」
「あ、そっか」
 阿部と水谷とは一年生のとき同じクラスだったが、二人のケンカは意外によくあることだった。どれも本当に小さなことがきっかけでケンカ自体も半日間お互いに距離を置くという可愛いもの。殴り合いのような大きなケンカはなかったし、次の日まで続くこともなかった。いつもその日のうちに、水谷の方から謝って収めていたからだ。内容を掻い摘まんで聞いたことも何度かあるが、言い訳はしても誤魔化しはしないやつだから話は全て事実だとして聞く限り、一方的に水谷が悪いわけではなく、毎回水谷が悪いわけでもないようだった。極めて個人的な解釈だが、謝るということは自分に非があることを認めることであり、自分が悪くないのに謝るのは相手より自分が下であると示しているよう なものだと思う。だから、水谷がそこまでする意味も理由もわからなかった。
 しかし、今回ばかりはどうも違うようだ。水谷を謝らないほど怒らせた阿部が悪いのだろう、と勝手ながらも断定できる。というか阿部はこの現状に危機感を持たないのか。


あきゅろす。
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