01-16
和室の掃除には三十分ほど時間を要した。それだけ部屋が汚いことは容易に想像できると思う。
ブレザーを脱いで、本格的に掃除に勤しんだぼくを褒めてもらいたいね。
自分の部屋だってここまで綺麗にはしない! ってくらいに掃除したんだからな。
ぼくらしくない行為といえば行為だけど、片隅で茶道ができることにうきうきしている自分がいるんだからしゃーない。
ま、これは仲井の気持ちだろうけど(だよな? このわくわくした気持ちは)。
ぼくが徹底的に掃除をしている間、仲井は茶を立てるための準備を着々と進めていた。
知識程度と言っていたけれど、準備をする手際の良さは手馴れたもの。
それだけ知識を積んでいたのか、はたまた経験があるのか。掃除を終える頃には向こうも準備を終えていた。
畳の上でへばっているぼくに、「何をしている」さっさと始めるぞ、仲井が呆れてくる。
おまっ、人が精を出して掃除をしてやったというのにその物の言い草はなんだい?
呆れるとか論外だろ!
そこは礼のひとつでもっ、ああもう、いいよ。仲井ってそーんな男だろ?
ヤサシーぼくは一々突っかかることをしないんだ。めんどくさいし。
「へいへい」ものぐさに返事し、ぼくは四つん這いで仲井の下に向かう。
正座して待っている相手と同じように正座をするべきなんだろうけど、つい癖で胡坐を掻いた。
ぼくがど素人だってことを考慮してくれているのか、座り方についてはとやかく言わない。
というか、作法については諦めているようだ。うん、しゃーないよな。何度も言うけどぼくは素人も素人だから。
さてと、これからどうするのか、相手の出方を窺ってみる。
仲井はぼくの視線を受け流して、お茶を立てるために行動を起こした。
盆にのっている道具の一つに手を掛ける。
それはカニの身をほじるカニスプーン(カニフォークとも言うらしい。知ってた?)に似ていた。
「まさかまんまカニスプーンじゃ」ぼくの疑問に、「これは茶杓(ちゃしゃく)だ」抹茶を掬うための道具だと仲井にツッコまれた。
「ついでに抹茶が入っているこの容器は棗(なつめ)と言う。薄茶器の一種で、最も一般的に使用されている物だ」
いいか、中井英輔。茶道というものはただ茶を啜るだけのものではない。
茶道は季節や趣向、客に応じて道具や料理・菓子を選び、書画や掛け軸に目を向け、客人と対話立ち居振る舞いまでをも楽しむ総合芸術のひとつなのだ。
茶を媒体にもてなしの心、季節感を感じて風流を楽しむ。これが茶道の醍醐味なのだ。
そもそも茶道の起源は(中略)、茶の文化が浸透し始めたのは(中略)、茶道を確立し広めたのは千利休と呼ばれた偉人であり(中略)、事細かくいえば流派というものも存在して(以下省略)。
「というわけで現代の茶道に繋がっていったのだ。少しは勉強になっただろ?」
得意げに鼻を鳴らしてくる仲井に、「おう」ぼくは分かりやすかったぜ、と親指を立てた。
ぶっちゃけ総合芸術以降、まーったく話を聞いていなかったけど。
ぼくの演技にすっかり騙されている仲井は、随分と機嫌良い表情を浮かべて今度こそお茶を立て始めた。
自分の知識を披露できて嬉しかったんだろうな。
意外と単純なヤツかも、仲井って。
(お茶のことになると饒舌になるし。ぼくとチェンジする前から、こいつの興味はお茶にしかなかったんだろうな)
そいでもって誰かと茶を軸に知識共有、もしくは話題共有をしたかった、みたいな?
ありうる。現に今の仲井は関わってきたどの時間よりも生き生きとしているしお喋りだ。
普段はどんな話題を振っても「くだらん」の一点張りなのに。
あ、でもぼくがお茶の事を聞けば普通に返してくれるよな。
やっぱお茶を生き甲斐にしてんだろうな。お茶馬鹿め。
(けど、誰とも共有できない気持ちを持つってどんな気持ちだろうな)
ぼくでさえ、自身のお茶に対する衝動買いに家族をドン引かせている。
それは仲井の気持ちのせいではあるのだけれど、ドン引かれたりするとやっぱ傷付くもんだ。
マニアックな嗜好の持ち主と思わているというか。
人並みの嗜好じゃないから理解されにくいっつーか。
仲井は人は人。自分は自分。
そう割り切って過ごしているんだろうけど、ぼくだったら、ちょっと、あれだな。
寂しい、かな。
物思いに耽っていると、向こうからしゃかしゃかと音が聞こえた。
視線を持ち上げる。仲井が茶筅と呼ばれる道具でお茶を立てていた。
「うわー」すっげぇ、なんか楽しそう。とか思った自分に泣きたくなったのはこの直後。仲井の気持ちがぼくを突き動かしてくる。恐ろしや。
そうしている間にも、仲井が立てたお茶をぼくの前に置いてきた。次いで、両手をついてお辞儀してくる。
え、ちょ、ど素人にそんな真似されても困るんだけど!
取り敢えずぺこっと頭を下げ、ぼくは茶道雑誌で読んだ知識を絞りだして挨拶する。
「お、お…、お点前(てまえ)いただきます?」
疑問形になったのはご愛嬌だろう。
仲井のお咎めもなかったから、多分あっているだと思う(間違っていたら冷たい目をされるだろうし)。
器を手に取り、それをそのまま飲む。本当は回して飲むとか、ちゃんとした飲み方があるんだけど、生憎ぼくの脳みそはそこまで覚えていなかった。
はてさて、お味なんだけど……、ジーッと見据えてくる相手の威圧にすら気付かず、ぼくはちょっと飲んで呆然。
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