01-11
「元々珈琲は好きな類いだった。お茶と同じように、こいつを愛してみようと思う。だから邪魔しないでくれよ」
「だがそれはおれの気持ちで…、」
「っ…、珈琲を飲めば飲むほど、何故か込み上げるせつなさ。まるで失恋みたいな気持ちがぼくを襲ってくるよ。ああそうか、ぼくはお茶に失恋したんだな。お茶に。未練たらたらだよ。ぼくだってお茶を愛したかった。
だけど、ぼくには愛する資格がないみたいだから」
そう、美味しいお茶を飲む資格すら与えられない哀れな男さ。
ならばいっそのこと珈琲ですべてを忘れようじゃないか!
いっそのこと、珈琲で、珈琲でっ……、嗚呼、そこのお茶が目に入ってしょうがない!
自販機に張り付いて、「ごめん。お前は愛せないんだって!」だからそんな眼で見ないでくれよ!
薄板向こうのウーロン茶に訴えると、「だぁああ!」恥ずかしいからやめろ! それはおれの気持ちなのだぞ! と仲井が羽交い絞めにしてきた。
「茶に対する気持ちはおれのだ! 忘れたのか!」
「だけど今はぼくの中にある! いいよもうっ、ぼくと一緒にこの気持ちは消滅するんだから!」
「おれはよくない! さっさとおれに返せっ!」
「返せたら苦労しないっつーの! ぼくがどれだけこの気持ちにっ、この気持ちに悩まされてっ…、珈琲を愛してやる! 浮気してやるんだからな!」
わんわん叫ぶと、「分かった!」連絡先を教える。教えればいいんだろ! と、仲井が交渉を持ちかけてくる。
それまでジタバタ動いていたぼくはぴたっと動きを止め、後ろを一瞥。
「無理しなくていいよ」
教えたくないんだろ?
個人情報だもんな。
プライバシーは大事にしたいもんな。
好き好んでぼくみたいな男に教えるってのがまず嫌だもんな。
「ぼくひとりの気持ちのために、君の個人情報を教える必要性なんて何処にもないよ。仲井くん。ぼくはこの気持ちと共に消えるよ」
「おれの気持ちを殺すな!」
仕方がないから期間中はメールのやり取りをしてやる、仲井はずれていく銀縁眼鏡を整えもせず断言する。
いじいじのウジウジになっていたぼくは「ほんと?」お茶を嫌わなくてもOK? と念を押す。
唸り声を上げて渋々頷くキャツは、頼むからお茶に対する気持ちを穢さないでくれとしかめっ面を作った。
次いで、ぼくの持っている缶珈琲を奪い取って一気飲み。
おまっ、ぼくのお金で買った代物を。
心中で涙を呑みつつ表では呆気取られていたぼくは、「苦ぇ!」珈琲は苦手だと文句垂れている仲井を見つめて見つめてみつめて、噴き出した。
じろっと睨まれてしまうけど、込み上げてくる笑声は噛み殺せない。
本当に大事なんだな、お前の中のお茶に対する気持ち。
口に出していたようで、「当然だ」貴様とは違うんだと鼻を鳴らされてしまう。
そりゃそうだ。
君と僕は違う人種の人間。違って当然さ。
けど、大事だってのはよーく分かったよ。嫌いな人間にアドレスを教えてくれるくらいだし。
「貴様こそおれが勝手に気持ちを書き換えるかもしれないんだぞ? 心配ではないのか?」
能天気に笑っていたら、相手にずばり指摘されてしまう。
うむ、確かに。
ぼくが仲井の気持ちを変えることができるように、きっと仲井もぼくの気持ちを変えることができるだろう。
全部を変えることができなくても、仲井の指す不純物? ってヤツが本来の気持ちに混じって、元に戻った時に混乱する可能性があるかもしれない。
だけど、まあ、そうは言ってもこうなっちまったのはしょうがないし、足掻いてもどうにもならないからな。
「そん時はそん時だ。その時、悩むことにするよ」
「楽観的な奴だな。ほとほと気が合わん」
物事を軽視していると仲井が不機嫌に嫌味を吐いてくる。
おやおや、そんなことはないさ。
ぼくだって物事を重んじることだってあるよ。
君の場合は物事を重く見すぎる傾向があるみたいだけど。
「それに」仲井がぼくの気持ちをどうこうするようには思えないしね。ぼくは両手を軽く挙げてオーバーリアクションを取った。
不思議そうに視線を流してくる仲井に、「君は自他共に生真面目だからね」人の気持ちを変えるような人間には思えないんだよ。仲井の脇を過ぎり、立ち止まって振り返る。
「ぼくの気持ちには振り回されていそうだけど、悪意を込めて変えるようには思えないや」
ま、善意で変えられても困るんだけどね。
野郎にウィンクして校舎に戻る。その際、「メアド宜しく」連絡を貰い次第、メールするからと右手を振った。
「あ、そうだ」
足を止め、ぼくはキャツに助言する。
「女の子で悩みが出てきたらお気軽にメールしてくれよ。持ちつ持たれつの関係でいこうぜ」
瞬間、空になった缶珈琲を投げつけられた。
紙一重で避けるぼくに、「貴様の気持ちは改善してやる!」戻った時にほえ面かくなよ、大喝破。
ここで意地の悪いぼくは、「改善したいってことは」ぼくの気持ちを抱いている君は普段どのような時間を過ごしているんだい? と聞いてしまう。
「ぷぷっ、もしかしてコンビニでエロ本買っちまった? ぼくも経験あるから、それは軽蔑しないよ。あ、レンタル屋に行ってアダルトを借りたり? さすがのぼくもそこまではっ、ゲッ! 冗談だっつーの!」
殺気だった仲井がこっちに向かって走ってきたもんだから、ぼくは血相を変えて全力疾走。
「冗談が通じないんだから!」そんなんじゃ女の子にモテないぜ? 弁解がてらに相手を宥めようとするんだけど、キャツは怒り心頭しているようだ。
放った空き缶を拾って再度、ぼくに投げつけてくる。
今度はマジもマジ。本気と書いてマジの速球だ!
「中井英輔! 今此処で成敗してくれる! 貴様のような不純男がいるから、こんにちの日本経済は悪化するのだ!」
「仲井龍之介! アータのような堅物男がいるから、こんにちの日本は晩婚化しているのだ! 少子高齢化問題って知っているでござるか?!」
「貴様っ、それはおれの口調を真似ているわけではなかろうな!」
「むっ、似ていないでござるか?」
瞬間、キャツが自分の上履きを投げつけてきた。
おいおいおい、ぼくに怪我させる気か! おっそろしい奴だな!
「貴様はやはり生かしておけない。この場で成敗してやる! お縄につけ!」
「お前ってほんと、冗談が通じない男だな! ぼくの気持ちにどう翻弄されているか、教えてくれたッ、イッテー!」
弧を描く、というより、一直線を描いた上履きがぼくの後頭部に激突したのはこの直後のことだった。
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