Dark
桜の墓標 [暁凛]
ヒラ、
―ヒラリ、
開け放たれた病室の窓から、薄桃色の花弁が、舞うように落ちてくる。
薄いカーテンを揺らす春風と共に、ヒラヒラと。
ヒラ、
迷い込んだひとひらの花弁が、風に乗って、ベッドに横たわる少年の額に落ちた。
けれど少年は、何の反応も示さない。
手で払う事も、指で拾う事も無く、ただ昏々と眠り続ける。
――もう二度と目覚める事の無い、深い眠りに捕われたままだ。
ピ…ピ…、と一定のリズムを刻む機械から伸びる管だけが、少年をこの世につなぎ止めている。
傷一つ、みつけられない位、綺麗な顔。
けれど、少年はもう、目覚めない。
残酷な程、安らかな顔で、眠り続ける。
『打ち所が悪かった』なんて言葉では納得出来ない人々が、通い続けている証拠のように、彼の枕元には、沢山のお見舞いの品と、絶やされる事の無い、色とりどりの花。
けれど、
もう、奇跡でもおきないかぎりは、
少年が目覚める事は、無い。
――コツ、
革靴の音が響く。
いつの間にか、室内にいた長身の男は、眠り続ける少年に近付いた。
「………………。」
長い指が、スイ、と少年の額の花弁をはらう。
ついでとばかりに、頬に掛かる髪を整え、ゆるり、と輪郭を辿る。
海を彷徨う氷山より、光の届かぬ深海よりも尚、冷たく昏い藍色の瞳が、ふ、と和らぐ。
まるで、とても愛しいものを見つめるように、
柔らかに細められた。
「…よぉ。」
語り掛ける声に、返事は無い。
それでも、男はやめない。
幼子に寝物語を聞かせてあげるように、暖かい声で、少年の名を呼ぶ。
「……遅くなった、凛。待たせたな。」
男は、そう呟くと、少年の枕元に手をつき、彼の額に口付けた。
「…全部、おさまりつけてきたぜ。家も学園も、…もうオレを縛るものは、何も無ぇ。」
笑みを形づくった、男の唇が、少年のそれに重なる。
「…もう、オレはお前だけのものだ。」
とても、幸せそうに男は、そう呟いた。
フワリ、と優しい手付きで少年を抱き上げ、その華奢な手や首についた管を、そっと外す。
ピー、と警告音を発する機械を一瞥し、男は少年を抱えたまま、窓枠に足を掛けた。
「…何処へ行きたい?」
眠ったままの少年は、応えない。
生命線である管を奪われた少年の命の灯火は、もうすぐゆっくり、音も無く消えるだろう。
「もう、何処へだって、一緒に行けるぜ?…何処までだって、ずっと一緒だ。」
別れは、目前に迫っている。
けれど男は、哀しみも痛みも無い、ただ幸福のみをたたえた瞳で、少年に笑いかけた。
ヒラリ、
桜を舞い上げ、春風がカーテンを揺らす。
舞い込んだ花弁が、白いシーツの上に落ちる頃にはもう、室内に二人の姿は無かった。
二人が何処へ消えたのか、
それは、誰も知らない。
ヒラリ、とまた舞う花弁だけが、
幸せそうに寄り添う二人を、ただ見送っていた。
最期は、二人きりで。
(これは悲劇ではなく、最高の幕引き。)
END
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