Parallel
5
「止めろぉおおおおっ!!」
振り返る前に、名雪さんの叫び声が聞こえた。
次いで何かを振り上げるような、風を切る音。
状況を理解出来ていないオレを置き去りに、目の前の名雪さんは、必死な顔でオレに手を伸ばす。
コンマ何秒の出来事だ。鈍いオレの頭は察するどころか上手く働く事さえしない。
だから、言うなればこれは脊髄反射。
体が勝手に動いたって、あれだ。
「!」
引き寄せようとする名雪さんの腕を、咄嗟に躱す。
身を引いたオレは、そのままの勢いで振り返り、腕を大きく広げた。
――ピタ。
ひゅ、と風圧がオレの前髪を揺らす。露わになった額すれすれで、振り上げられた何かは止まった。
近すぎて、一瞬物が判別出来なかったが、細長く硬質なそれは、恐らく鉄パイプ。
止めてもらえなかったら、額がぱっくりと割れていただろう。
「……っ、」
理解した途端、足が竦んだ。
血の気が通わなくなったかのように真っ白になった指先が、カタカタと小刻みに揺れる。時間をおいても震えは止まるどころか、だんだんと全身に広がっていった。
当たり所が悪ければ、死んでいたかもしれない。
「……躊躇いなく庇うのも結構だが」
背後に街灯の光を背負い立つ男は、呆れとも感嘆とも知れぬ息を吐き出し、呟いた。
「せめて目は瞑るものだ」
流石に失明させるのは、後味が悪い。そう独り言のように続ける男を、オレは上から下まで眺める。
腰まである銀糸の髪に、アメジストの瞳。人形のような端正な顔立ちに、見覚えはなかった。
「……震えているな」
男は、鉄パイプでオレの顎を持ち上げ、上向かせる。
透明度の高い宝石のような瞳にマジマジと見つめられ、居心地が悪い。
「……、」
当たり前でしょうが。そう、虚勢を張りたいのに、出来ない。
今口を開けばきっと、震えた声しか出ないだろうから。
「その子に触るんじゃねえよ!!」
威嚇するみたいな低い声で、名雪さんは叫ぶ。
「威勢がいいな。だが、死にかけの犬に何が出来る?」
「てめぇ……」
「それとも、――さっさと止めをさして欲しいのか」
透明感のあるテノールが、一気に鋭さを増す。
ワントーン下げた声音には、言い知れぬ迫力があった。
表情も、さして大きな変化があった訳ではない。眉をひそめ、僅かに瞳を眇めただけ。
たったそれだけなのに、猛獣の前に放り出されたかのような恐怖が、ひたひたと心を侵食していった。
「な…………な、ゆきさんっ……」
怖い。
男の矜持も意地もかなぐり捨てて、逃げ出したくなる程に、こわい。
体裁を気にする余裕もないオレは、震える声で名雪さんを呼んだ。
「凛……!」
こわい、こわい、こわい。助けて。たすけて。
縋りつく言葉を、唇を噛み締める事でどうにか飲み下す。
今は、それだけは言ってはならないと、生存本能と戦っている理性が叫んだ。
恐怖で固定されてしまっている目を、どうにか動かす。不自然さは、顔を伏せる事で誤魔化した。
「……」
言うまでもなく、オレは弱い。
名雪さんが敵わない相手に、オレなんかが当然敵う筈もなく。
幸か不幸か、悩めるほどに選択肢なんてなかった。
「……名雪さんっ」
口を開けば、随分必死な声が出た。
掠れる声を飲み込んで、大きく息を吸い込む。
「逃げて!!」
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