Parallel
1
名雪さんに会った日から丸二日、オレは寝込んだ。
たぶん知恵熱の類だろう。
色んな感情がせめぎ合って、ぶつかり合って、自分の事なのに自分で制御出来無かった。
三日目、ぱかりと目を開ける。
半分だけ塞がれた視界。
少しだけ身を起こせば、濡れたタオルが顔から滑り落ちた。
唐突に浮かび上がった意識が、徐々に己の置かれた状況を把握していく。馴染んで来た天井と、ベッド。
それと当たり前のようにオレを抱き締める腕。
見渡した室内は薄明るく、たぶん日の出が近いのだろう。
澄み渡った空気は、冷たく、鋭く。上掛けからはみ出た腕が、粟立った。
暖かな拘束から抜け出し、ベッドから下りる。
熱のせいだか、それとも意識のないまま泣いていたのか。
腫れた目元は多少ヒリヒリするが、黒さんが冷やしてくれたお蔭で、然程酷い有様にはならなかった。
頭はやけにスッキリとしている。あんなにも悩んで苦しんだのが、嘘みたいだった。
からり、とサッシを横に滑らせてベランダへと出る。
外気が肌を刺す。高層ビルに阻まれた地平線は薄らと白く、見事なグラデーションを描く空には、明けの明星が輝いていた。
寒いけれど、気持ちが良い。
手すりに凭れかかったオレは、眼下に広がる景色を見渡し、一点で留める。
瞬きを、一つ。
「…………」
人気のない道路に、ぽつんと佇む人影。
後ろに流した黒髪に、酷薄そうな青い瞳。
怜悧な美貌の男は、辺りを警戒する素振りも見せず、当たり前みたいな顔でそこに立っていた。
何故か驚きは無い。
あんなにも胸を締め付けた痛みもなく、心は凪いでいた。
たぶんオレは、本能的に知っていたのだ。
もう一度会える事を。二人きりで向き合える事を。
――本当の、さよならの前に。
「凛」
彼がオレを呼ぶ。
夜明け前は空気が澄み渡り、街もまだ寝静まっている。声は張り上げずともオレの元へと届いた。
出会いからずっと、穏やかな時間なんて無かった。名前を呼んでもらえたのも、数える程度。
それなのに手放してから、全部与えられるなんて、皮肉過ぎて可笑しかった。
手すりに凭れたまま、彼と目を合わせる。首を傾げて、小さく笑った。
「……なんでいるの」
常時の声で呟いたが、どうやら届いたらしい。
「飼い猫を、迎えに来た」
男は、不遜な態度を崩さずに、告げる。敵地のど真ん中だと言うのに、堂々としたものだ。
ずい、と手が伸ばされる。
「帰るぞ」
寄越された短い言葉に、泣きたくなった。
この男は、なんて簡単にオレの心を抉るのだろう。いつだってそうだ。
いつだってこの男は、息をするようにオレを翻弄する。
気紛れに伸ばされた指先が、ぞんざいな仕草が、たいした意味もない言葉一つさえ。いつだってコイツの全てが、オレをかき乱す。
だからだ。
だから、オレは。
「帰らない」
泣きたい気持ちのまま、歪んだ笑みを浮かべて答えた。
一方的な執着の果ては、どう足掻いても破滅しかない。
オレはいつからか、気付いていた。
この関係には、必ず終わりがあるのだと。
「帰らないよ」
有り得ない事だけど、これから先、一生御門がオレに飽きなかったとしても。
ずっと傍に居る事が叶うのだとしても、破滅は来る。
オレはもう、気紛れに抱かれる関係では我慢が出来無い。他の人間を抱くアンタを憎み、アンタに抱かれる人間を妬む。
そんな関係が長く続けば続く程、オレは狂う。取り返しのつかない化け物になる。
その前に、終わりにしよう。
オレがアンタを……御門暁良を愛した瞬間、終りは確定していたのだから。
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