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Parallel
9
※名雪視点です。



 一体、何が起こった。



 呆然と目の前の光景を凝視しながら、オレは心中で呟いた。


 敵対チームの副総長、白龍と対峙したが、結果は惨敗。
 最後の気力とプライドで、何とか立ってはいたが、それだけ。素早く動く事すら出来ず、振り下ろされる鉄パイプに死を覚悟した。

 だが、鉄パイプはオレに届く前に受け止められた。
 最大の敵である筈の男――≪陰/陽≫総長、黒龍の手によって。

 何が起こっているのか、すぐには理解出来なかった。

 何故オレを、黒龍が庇う。
 右腕である白龍と、対峙してまで何故。
 そもそもオレ達を潰すように命じたのは、この男だった筈だろう。

 疑問は次から次へと浮かぶが、明確な答えなど何一つ得られない。

 呆然と、ただ見守る事しか出来ないオレを放置して、更なる異常事態は続く。


「うちの猫、泣かせてんじゃねえ」


 低い声は、獣の唸り声のようだと思った。
 背後にいるにも関わらず、気圧される。鋭い牙と爪を持つ獰猛な獣に、喉笛を狙われているような心地になった。

 足を縫い付けられたように、棒立ちしたままのオレは、じんわりと滲んでくる汗を拭う事さえ出来ない。

 このまま呼吸さえ止まってしまいそうな畏れを抱いた、その時。
 氷解させる、声がした。


「黒さん……っ」


 凛の叫びに、オレは我が耳を疑う。

 黒さん、そう呼ぶ声は掠れていた。だがそれは、恐れによってではない。
 寧ろあるのは、安堵と甘え。子猫が親猫をみつけたように、敵地で味方を得たように。


 嫌な予感が、した。
 
 何故だ。何故、敵対チームの総長を、そんな声で呼ぶ。


「…………っ、」


 油切れしたロボットのように、ぎこちない動きで前を向く。
 呆然としたオレが見つめる先、凛はくしゃりと顔を歪める。ハの字に眉を下げて、大きな瞳に涙を浮かべて。


「……凛」


 黒龍は、優しく凛を呼んだ。
 さっきまでの殺気が嘘のように、甘ったるい声で。

 凛以外どうでもいいと言わんばかりに、ぞんざいな手付きで鉄パイプを放った。
 手を差し伸べた先、凛は数度瞬く。ゆっくりと強張りが解け、表面張力で止まっていた涙が、ほろりと頬を滑り落ちた。


「ああ、ほら。泣くな」

「……っ!!」


 戦慄した。背筋を冷たい汗が、伝い落ちる。
 その甘ったるい声と、壊れ物を扱う手付きに、恐れを抱かずにはいられなかった。

 気味が悪いのではない。
 そんな可愛らしいもんじゃない。

 あれは、罠だ。とびっきり、性質の悪いトラップ。
 弱った者を救うのではなく、甘やかして溶かして、依存させる。己がいなくては息も出来ぬような脆弱な生き物に仕立て上げようとしている。

 現に、白龍の肩から抱き上げられた凛は、抵抗もせずに成すが儘。
 黒龍の腕の中が、世界で一番安全な場所だとでも言うように、そのまま気を失ってしまった。

 弱くとも、柔軟で強かな子だ。
 少し距離を置いて見守ってやれば、すぐに立ち上がれるのに。走り出す為の足を、心を、奪われかけている。

 黒龍は、凛から、己以外の全てを奪う気だ。


「……何をしている、はオレのセリフだと思うが」

「あ?」

「番犬共の掃討を命じたのは、お前だろう。忠実に命令を実行しようとして、責められる謂われは無い」


 凛が眠った途端、黒龍の笑顔が消え、声が低くなった。
 鋭い眼光に晒された白龍だったが、付き合いの長さ故か、怯えた様子はない。ため息を一つ吐き、苦情を訴えた。


「そこを責めた覚えはない。……お前の過ちは二つ。凛に触れた事と、凛に血生臭いものを見せようとした事だ」

「そんなに大切ならば、せめて紹介くらいして欲しかったものだな」

「狂った奴になんぞ、近付けられるか。穢れる」

「そっくりそのまま返す」


 正に、偏愛。歪んだ言葉を、健常者の顔で語る男に、背筋が寒くなった。
 まるで世間話でもするように返す白龍も、正常ではあるまい。


「おい、何処へ行く?」


 踵を返し歩き出した黒龍に、白龍は問う。


「帰る。これ以上薄着でこんな場所にいたら、風邪ひかせちまうからな」

「そうか。後処理はどうする?」

「っ……!!」


 後処理、とはおそらくオレの事だ。
 向けられた冷淡な菫色の瞳が、そう語っている。


「……」


 その場から逃げ出す事も出来ないオレを、黒龍が一瞥した。
 底知れぬ黒の目に見据えられ、呼吸が止まる。深淵の縁を覗き込んでいるような恐怖が、心を侵食した。

だがすぐに、興味を失ったように逸らされる。


「捨て置け」

「いいのか?」

「良くはない、が……凛の尽力が無駄になる」


 そう呟くと、男は歩き出す。二度と振り返る事なく、暗闇に消えていく。
 その後白龍も、命拾いしたな、と捨て台詞めいた言葉を告げ、去って行った。


「…………」


 残されたオレは、近くの塀に寄り掛かり座り込む。逃げ出す気力も無かった。
 急展開に、頭が付いて行かない。


「……さいあく」


 呟いた声は、無様に掠れていた。
 怯えと憔悴を、取り繕う気にもなれない。そんな気力は疾うに失せていた。


「よりにもよって、黒龍とか……なんて無理ゲー」


 黒龍とは、何とも似合いの名だと、場違いにも感心しそうになる。
 矜持を投げ出して平伏しそうになる、威圧感と威厳。侵しがたい王者の風格。そして絶対的な力と、無慈悲な闇。

 最も魅入られてはいけない奴に、凛は捕えられた。


「…………これから、どうすっかねー」


 ゆっくりと白み始めた東の空を見上げながら、オレは一人呟いた。

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