Under
4
「座ってろ」
「…………」
帰り道の車内は、重苦しい沈黙がずっと続いた。家についても志摩の怒りは一向に解ける様子はなく、足元が危ういオレを義務的に支えてくれてはいたが、居間に着いた途端、素っ気なく離れた。
命令形で促され、革張りのソファーに腰を下ろす。
少しの間をあけて戻ってきた志摩は、水の入ったグラスをオレに差し出した。
「……ありがと」
気まずさから目を伏せながら、飲み込む。
向かいの席に座った志摩から向けられた険しい視線が、容赦なくオレに刺さった。
「……それで?一体、何が不満だ」
沈黙を破ったのは志摩だった。
彼は、酷く苦々しい声で問う。憔悴が窺える表情は、まるで反抗期の息子と対峙する父のようだ。そんな顔をされると、自分がどうしようもなく子供に思えて惨めだった。
「……別に」
気まずくて、志摩から視線を逸らし、呟く。
すると志摩は、苛立ったように大きなため息を吐き出す。
「別に、か。特に意味もなく、お前はずっとオレを避けていた訳だ」
「…………」
志摩らしくない、厭味ったらしい言い方。だが、そうさせたのは紛れもなくオレだ。
オレが逃げ帰った日、志摩はメールに気付かなかった事を詫びてくれた。そして具合が悪いなんてオレの誤魔化しを疑わず、心配してくれた。
避け始めた当初も、怒りより戸惑いが勝っていたように思う。素っ気ない態度を取る度、志摩の表情が哀しそうに曇って、後ろめたいオレは、益々志摩を避けるようになった。
日を追うごとに視線が剣呑さを増し、言葉は消える。ただ、責めるような視線が、いつもオレを捕らえていた。
「オレが嫌いになったか」
「違う」
「構われて鬱陶しかったか」
「違う」
「親友顔で隣に居据わられて、疎ましくなったか」
「違う……!!そんな訳ないだろ!!」
「じゃあ何故だ!!」
「っ……」
振り切るように叫ぶと、もっと激しい声にかき消された。
ガンッと乱暴に、志摩はテーブルに拳を叩きつける。
上に乗っていた空のグラスが、ぐわんと揺れて倒れるが、志摩は全く気に留めなかった。否、気にする余裕もなく、切羽詰まった表情で彼はオレを睥睨する。
「何故避ける!?どうしてお前は、オレから逃げ回るんだ……!!」
初めて目にする志摩の激情に、瞠目した。
掻き毟るように胸を押さえ、苦しげに言葉を紡ぐ。絞り出した声は、怒りと苦しみに掠れている。
熱の塊を吐き出すような叫びは、慟哭に似ていた。
「……志摩」
呆然と、彼の名を呼ぶ。
愚かなオレは、漸く気付いた。自分の事に必死な余り、大切な友を深く傷付けてしまったという事実に。
本当にオレは、馬鹿だ。
逆の立場だったらと考えたら、すぐに分かるだろう。ある日突然避けられて、目も合わせてもらえなくなったら、どれだけ辛いか。
不安になる。怒り、悩み、きっと絶望する。
そんな思いを、オレは志摩にさせていた。
「ごめ……志摩、……オレ」
「蜜……」
顔をあげた志摩の目は、哀しみに満ちていた。
そんな顔をさせている原因が自分だと思うと、苦しくて上手く息が出来ない。どうにか彼の痛みを取り除きたくて、口を開く。だが零れ落ちたのは、言葉とも呼べないような、意味を持たない呻きだった。
なにかしたい。でも、何も思い浮かばない己が歯痒い。
せめて近くに行きたくて、オレは席を立った。
しかし足元に置いてあった何かに躓き、足が縺れる。蹴り飛ばしたのは自分の鞄で、渇いた音と共に中身がラグの上にぶちまけられた。
「……っ」
ひゅ、と不自然に息を吸いこむ音がした。
拾い集める為に跪いていたオレが顔をあげると、志摩は凍り付いた表情で、オレの手元を凝視していた。
伸びて来た手が、何かを掠め取る。
「……何だよ、これ」
「え……、あ……!!」
志摩の手にあるのは、双見が貸してくれた不動産屋のパンフレットだった。
「それは違う……」
「違う?ご丁寧に、付箋まで貼ってあるのにか?」
ぱらりと捲って、付箋の貼った場所をオレの眼前に突き付けた。
薄い唇が、いびつに歪む。泣き笑うような表情で、志摩は喉を鳴らした。
「オレに知らせず、出ていくつもりだったのか。……そんなに、オレが嫌か……!!」
血を吐く叫びに、オレは息を詰める。
一瞬志摩が、泣くのではないかと思った。
「…………」
違う、と咄嗟に叫びそうになって飲み込んだ。
それは双見のものだと言って、何になる。信じてもらえる筈ないし、何よりオレは、出ていくつもりだったじゃないか。
何も、違いやしない。避けて、逃げて。志摩に相談もなしに、彼との生活を一方的に捨てるつもりだった。
親友離れして、志摩と婚約者の彼女を、ちゃんと祝福してあげる為だなんて偽善もいいところ。
オレは、ただ単純に、捨てられるのが嫌だった。
彼女と暮らすから、と申し訳なさそうに謝られるのが嫌だ。
行くあてはあるかと、同情されるのも、オレがいなくてもちゃんと飯を食えよと、幸せそうに笑われるのも御免だ。照れ臭そうに紹介されるなんて冗談じゃない。
志摩がオレから離れていく未来が確定的なら。動かせない決定事項ならば。
一歩離れて、物分りの良い友人の顔で騙そうと。
.
[*前へ][次へ#]
[戻る]
無料HPエムペ!