[携帯モード] [URL送信]

Under
3


「頼む。今日、泊めて」

 ぱん、と両手を合わせる。
 薄目を開けて窺った先、男は、何とも言い難い微妙な顔でオレを見ていた。
 雑誌の表紙を飾るモデルと比べても遜色のない華やかな美貌に、諦観と呆れの混じった苦笑を浮かべている彼の名は双見樹。
 高校の頃からの付き合いで、現在はオレと同じ大学に通う腐れ縁。

「……それは、なに。遠回しにオレに、死ねって言ってたりする?」

「意味が分からん」

「だろうね」

 理解不能な彼の言葉に率直に返すと、双見は大きなため息を吐き出した。

「ウオくんに他意がないのは分かるよ。でもオレにとっては割と切実、割と深刻な大問題なんだよねぇ」

「……?」

 意味不明な言動だが、からかっている様子でもない。
 首を傾げると双見は、手に持っていたビールの中ジョッキを置き、困ったように眉を下げた。
 
「そもそも、何で今日に限って?ウオくん、いつもお迎え来るでしょ」

「…………」

 オレは口を噤み、視線を彷徨わせた。
 既に出来上がっている先輩達の調子の外れた歌を聞きながら、思い返すのは先日の出来事。
 志摩に許嫁がいたという衝撃の事実が飲み込めず、オレはあの日、どう帰ったのかも覚えていない。気付いたら家にいて、スマホには充電が切れそうなくらい沢山、志摩からの着信が入っていた。
 気分が悪くなったと適当に誤魔化したものの、あの日からオレは、まともに志摩の顔が見れなくなった。

 朝は早く家を出て、帰りは出来る限り遅く。幸い、飲み会は連日あるので、言い訳には事欠かない。
 意図的に避けると、大学の違うオレと志摩は、殆ど顔を合わせずに済んでいる。

「……迷惑ばっか、かけるのもどうかと思って」

 言い訳めいた言葉を呟き、手元のグラスを傾ける。
 氷が解けて薄まったウーロンハイが、ゆっくりと食道を伝い落ちた。

「今更じゃない?」

「うるせえ」

 付き合いがそこそこ長くなりつつある悪友は、言い辛い言葉も躊躇わず口にする。

 今更なのは理解している。オレはずっと、志摩に頼りっぱなしだった。生活の大半を、志摩に寄り掛かっていた。
 許嫁の存在に、動揺して狼狽える程に、志摩はオレの生活の一部になっていた。

 最初は美人な許嫁がいる志摩を羨んでいるのかとも思ったが、そうじゃない。オレは、許嫁のいる志摩を妬んだのではなく、志摩の傍にいられる許嫁の女性を羨んだ。
志摩との生活を、壊されたくないと思ってしまった。

 愕然とした。ショックだった。
 志摩との生活が快適過ぎて、オレは、親友の幸せを心から祝ってやる事も出来ない、矮小な人間に成り果てていた。
 役に立つから、傍にいたんじゃない。便利だから好きな訳ではないと言い切れる。嘘じゃない。なのにオレは、いつの間にか志摩に依存しきってしまっていた。

「少し、距離をとるべきかと思ったんだよ」

「ああ…………うん」

 考えながら口を開くと、双見は同意するように頷いた。
 空になったオレのグラスを取り、脇に退けてあった盆を引き寄せる。

「それは確かに、そうかも」

双見は、トングで掴んだ氷を、からん、ころんと落とし、ボトルの麦焼酎を傾けて注ぐ。
最後にペットボトルの烏龍茶を加え、マドラーでかき混ぜた。

「それなら仕方ないかぁ」

 差し出されたグラスを受け取り、礼を言う。
 口をつけた格好で、双見を見た。なにが『それなら』なのか、意味が分からない。視線で問えば、彼は人懐っこい顔で笑った。

「このままだとズルズルと引きずり込まれて、骨まで食い尽くされそうで、見てて怖かったし。ウオくんが逃げるって決めたなら、オレも頑張るよ。ちょっと……いや、かなりおっかないけど。うん、頑張る」

「……?一晩泊めてって言っただけなんだけど……お前、一体何の話してんの?何と戦う気??」

「うーん。狼……猛禽、蜘蛛……蛇?……少なくとも牛じゃあないよなぁ」

 真面目くさった顔で悩む男を、胡乱な目で眺める。

「統一性が無さ過ぎだろ。酔ってんのか」

「まぁ、オレはウオくんの味方だって事」

 へにゃりと相好を崩し双見は、訳知り顔で呟く。形の良い爪がグラスを弾けば、ちりん、と涼しげな音が鳴った。

「何だったらオレと一緒に暮らす?」

「それじゃ何の意味もないだろ」

 憮然と呟く。
 それでは依存する相手が、志摩から双見に変わっただけだ。

「じゃあ、大学の近くの物件でも巡る?実はオレも近々引っ越そうかと思ってたから、一緒に回ろうよ」

 タイミングの良い話に、もしかして気を遣わせただろうかとも思ったが、双見は自分のバッグからパンフレットを取り出す。
 付箋が貼ってあるし、話しを合わせてくれている訳ではないらしい。
 目を通してみたらと渡され、借りる事にした。

「じゃあ、申し訳ないけど、取り敢えず今日は泊めてくれ」

「うん、おいで」

 家主の了解を得たので、オレはスマホを取り出し、簡潔に『今日は双見の家に泊まる』とだけメールした。

「…………」

 勝手な奴だと、呆れるだろうか。それとも清々すると安堵するか。
 どちらにせよ、あまり嬉しい想像ではなかった。

 依存して頼りきって、志摩なしではまともな暮らしすら出来ないオレとは違い、志摩はオレなしでも全く問題ないだろう。
 手がかかる子供がいなくなって、少しは寂しいと思ってくれるんだろうか。いや、ないな。最近は、迷惑しかかけていないし。
 
 シン、と静まり返ったスマホが、志摩の心を代弁しているかのようで、居た堪れない。自棄気味に双見のグラスを奪って一気に呷れば、オレの心情の如く、苦味が咥内に広がった。

「何でオレの、飲み干してんの」

「飲みたかったから」

「ジャイアンか。つか、ちゃんぽんは良くないよ。あ、お姉さん、水下さーい」

 双見は怒った様子もなく、甲斐甲斐しくオレの為に水をオーダーしてくれた。
 良い奴だなぁと、素直に水を口に含む。

 半分ほど飲み干し、ふと顔を上げたオレは目を丸くした。何故か双見が、青い顔で固まっている。

「…………っ!?」

 双見の視線を辿って振り返ったオレは、彼と同じく固まった。
 居酒屋の入口、自動ドアの向こうの人影。

見上げる長身に、引き締まった体躯。クセのないセピアの髪が、白皙の美貌に影を落とす。腕を組み、人待ち顔で佇む男は、通り過ぎる女性の目を悉く惹き付けた。
 但し、声をかけるような勇者は居ない。
 彼は、とても分かり易く怒っていた。人を殺めてきたと言われても納得してしまいそうに、激しく、どろりとした怒気を纏っている。
 
「っ、……志摩……」

 思わず呼ぶと、志摩の目がオレを真っ直ぐに捉える。薄い唇が、見せつけるようにゆっくりとオレの名を綴る。

『蜜――帰るぞ』

 遠く離れ、且つ扉を隔てているにも関わらず、彼の声が聞こえた気がした。


.

[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!