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ドラゴンテイル
第1位 黒さん
※恋人設定です。
「うわっ、本降りになってきた!」
休日の昼下がり。ほんの1,2時間前までは太陽が出ていたのだが、立ち込めだした暗雲は、さして間も置かず、雨粒を降らせ始めた。
走る度に、パシャパシャと水滴が跳ねる。だんだんと勢いを増してきた雨は、掌ごときでは何も防げない。
髪も服も、ずぶ濡れだ。
もう走らなくてもいいかな、なんて自棄になりそうになったが、促す手に、肩を抱くように押された。
「もう少しだ」
見上げれば、同じくずぶ濡れの黒さん。
車に辿り着く頃には、乗り込む事も躊躇う位、全身濡れていたが、見越していた黒さんは助手席にオレを押し込んだ。
少し遅れて、運転席に黒さんが滑り込む。
びしょびしょのオレ達は、そこで漸く深く息を吐き出した。
「……濡れたなぁ」
肩で息をするオレとは違い、黒さんは息一つ乱していない。
濡れた前髪をかき上げて、苦笑を浮かべた。
「まさか、こんなに降るとは思いませんでしたね……」
天気予報、大外れだ。
ぼやくオレの頭を、宥めるように軽く、ぽん、と叩いた黒さんは、体を反転させ、リアシートを探る。
フロントガラスを打つ雨音が、だんだん激しくなるのを聞きながら、オレはなるべく背凭れから体を離した。
車の持ち主が気にしていないみたいだけど、オレは気になる。
革のシートだから水が染み込み難いとはいえ、こんな濡れ鼠のまま座るのは、気が引ける。高そうな車だから、余計に。
「お。一枚だけあった」
ぱさり、と乾いた音と共に、タオルを頭から被せられる。
ぐしゃぐしゃと少々乱暴な手付きで、頭の水分を拭われた。
「ちょ、黒さん」
「ん?」
慌てて彼の手を止める。
顔をあげると、不思議そうな顔した黒さんと目が合った。
「多少手付きが荒いのは、我慢してくれ。風邪ひいちまうだろ」
「そうじゃなくて! 一枚しかないなら、黒さんが使って下さいよ」
「却下だ」
「うゎっ!?」
即座に却下され、抵抗虚しく渇かされるオレ。
ある程度髪が渇くと、首筋にタオルは落とされた。風呂上りの猫みたいに軽く頭を振ってから、ふぅと息を吐き出す。
拭いきれなかった水滴は、頬に落ちて顎を伝う。黒さんの大きな手が、雫を拭ってくれるのが気持ち良くて、目を瞑って上向いた。
「……っ、」
「?」
息を呑む音がしたので、何事かと目を開ける。
オレの顔や首を拭おうとしていた黒さんは、何故か動きを止めていた。
見上げるオレの上から下までまじまじと眺めた彼は、何故か目を逸らして、深いため息を吐く。
意味が分からず目を丸くするオレを放置し、またもリアシートを探り出した。
「黒さ……っぶ、」
さっきのタオルみたいに、何かを被せられる。
厚みのある布が何なのか分からず、頭から下ろす。良く見てみればそれは、黒さんのジャケットだった。
「何してんですか! 濡れちゃいますよ!」
慌てて脱ごうとすれば、大きな手に上から押さえ付けられた。
見上げれば、据わった目の黒さんが、問答無用とばかりに低く言い放つ。
「着てろ」
「……別に寒くないんですけど」
「いいから、着・て・ろ」
そんな一言一言区切らなくても。
出来の悪い子供に言い聞かせるみたいに言われ、しょぼんと項垂れる。
ちらりと横を窺うと、黒さんは何故か眉間にシワを寄せ、不機嫌そうな顔をしていた。
……何で? 何か怒らせる事、した?
確かに車のシートや、タオルにジャケットまで濡らしてしまったけど、黒さんがそんな事で怒るとも思えない。
疑問を一杯抱えながら、黒さんを見ていると、彼の髪から流れ落ちた雫が、頬を伝い落ちた。
そういえばオレの事ばかりで、黒さんは全く乾かせてない。
オレの首にかかったままのタオルは、大分水分を含んでいたが、何もしないよりマシなんじゃないだろうか。
「っ!?」
身を乗り出し、タオルで黒さんの頬を拭うと、彼は驚きに息を詰めた。
過剰に反応され、オレも驚きに動きを止める。
至近距離にある黒さんの目は、大きく瞠られた後、スゥ、と眇められた。
「わっ?」
視界が反転する。
強い力でシートに押し付けられ、オレは衝撃に、思わず目を瞑った。
何事っ?
突然の事に訳も分からず、オレは混乱した。
恐る恐る目を開けると、さっきよりも近い位置にある、黒さんの整った顔。
息がかかる位、間近にある美貌に、オレは目を見開いた。
「くろ、さん……?」
呼んでも、黒さんは全く動かない。無言のまま、オレを見下ろしている。
その表情は、不機嫌というか……気のせいでなければ、怒っているような……。
「っ?」
ふいに黒さんの大きな手が、オレの首筋を撫でる。
思わず声をあげそうになり、慌てて自分の口を塞いだ。
危ない……変な声出そうだった。
「お前さ、危機感とかあるか?」
「へ?」
唐突な質問に、オレは間抜けな声を返す。
危機感? それが今、黒さんを怒らせている事と、何か関係があるの?
そして正直に答えるなら、今はない。
基本ビビりなんで、人並み以上に警戒心は持っているつもりですが、今は必要ないと、勝手に気を緩めている。
だってオレは、貴方の傍以上に安全な場所を知らないから。
「黒さんといるのに、そんなもの必要ですか?」
思ったまま、伝える。すると黒さんの端正な顔立ちが、苦々しく歪められた。
頸動脈のあたりを、そっと辿っていた指が、下へと下ろされる。
「……っひゃっ!?」
濡れて張り付いたTシャツの上から、胸の先端を擦られる。少し強めの力で摘ままれ、今度は堪える間もなく、変な声が出た。
「黒さんっ!」
「濡れて、透けてんだよ。ここも、ここも」
手を振り払おうとするが、力で敵う筈もない。少々キレ気味の黒さんは、遠慮なく脇腹や腰骨の辺りを、まさぐった。
「ちょ、」
「お前はオレの何だ?」
ジーンズの中に手が入り込もうとしたところで、オレは両手で黒さんの右手を掴む。全握力をもって、抵抗した。
黒さんはピタリと動きを止める。オレに力負けしたのではなく、彼の意志で。
低い声音で投げて寄越された問いに、オレは恐る恐る顔を上げる。
そこには、悲鳴をあげて逃げ出したくなるような獰猛な獣の目をした、黒さんがいた。
……久々に踏んだなぁ、地雷。
泣きそうになりつつも、頭の片隅で、思う。物凄く久々に、龍の尻尾を踏みました。
「こ、恋人です」
「そうだ。その恋人が、喰って下さいと言わんばかりの恰好で隣に居て、何も思わない程、オレが清廉な男に見えるか?」
「見えま……すん」
「どっちだ」
雄々しい美貌が近づき、べろり、と顎を舐められる。うぎゃ、と潰れた悲鳴をあげるが、黒さんは気にした様子もない。
何かを振り切った様な顔で笑う黒さんは、迫力満点だった。
残念ながら、オレは聖人君子じゃねぇよ、と呟いた声さえも、怖い。低すぎて、というよりも、妙な色香があって。
「車の中で、ってのは流石に可哀想かと思って、我慢してたんだがな」
「え……」
あ、あれ。なんか、不穏な方向に話が進んでないか?
嫌な予感が、物凄く、する。
「やめだ。折角、可愛い恋人が、誘惑してくれてるんだ。据え膳喰わぬは男の恥って、な」
「ゆっ!? してない! してませんよ!?」
「我慢は体に悪いとも言うし」
「オレは我慢している黒さんって、恰好良いと思う!!」
「さっき見ただろ? 良かったなぁ」
「短い!!」
必死に言葉でやりとりしている間も、ジーンズにじりじりと指が入り込んで来ている。防衛ラインがそろそろ突破されそうで、オレは涙目だ。
確かに恋人の前で、安心しきっているのも、ある意味失礼だ。
でも恋人期間よりも保護者だった時間の方が長いし。なにより黒さんて、基本涼しい顔というか。余裕がありまくりだから、全然分からないんだよ!
「!」
両手を掴まれ、あっさりと万歳させられた。必死に抵抗していたが、黒さんの力の前には無抵抗と大して変わらなかったらしい。
珍しくもにっこりと笑う黒さんの目は、笑っていなかった……。
「りぃ?」
「……はい」
「あきらめろ」
「…………はぁい」
情けない返事をすると、良く出来ましたとばかりに撫でられた。
黒さんに頭を撫でてもらって嬉しくないのって、凄く稀な事だと思う。
土砂降りの空を見上げながら、雨がやみませんようにと、切実に願った。
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