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キャラメルハニー
第3位 志藤静
※恋人設定です。
「りっちゃんの馬鹿!」
そう叫ぶなり彼は身を翻し、家を飛び出していく。
オレは呼び止める事も出来ず、ゆっくりと閉まる扉を呆然と見ていた。
喧嘩の原因は、思い出せない。多分凄く些細な事だった筈。
小さな行き違いが、どうしてこんな事になってしまったのか、分からない。
ただハッキリしているのは、温厚で優しいしずかちゃんを、オレが怒らせてしまったという事実だけだ。
「珍しいな。君と志藤が喧嘩するなんて」
さして驚いた様子もなく淡々と呟き、出されたお茶を優雅に飲むのは、久しぶりにあった元先輩、日下部京一さんだ。
しずかちゃんが家出(?)して、丁度一時間くらい経過した頃、日下部先輩がやってきた。
インターホンが鳴り、勝手にしずかちゃんだと決めつけたオレが飛び出すと、彼は珍しくも面食らった顔をしていた。
どうした、と心配してくれた彼に甘え、事の経緯を簡単に説明してみた訳だ。
「ほとんど喧嘩した事ないです。大体しずかちゃんが折れてくれるし……甘え過ぎて、大分不満を溜めこませてしまったのかもしれません」
しずかちゃんは、滅多に怒らない。
オレが勝手に拗ねているだけでも、しずかちゃんは謝ってくれてしまう。放っておいていいのに、大人な彼は先回りしてオレを甘やかす。
どれだけ負担をかけていたんだろう。どれだけ、言いたい事を飲み込ませてしまったんだろう。
今更後悔しても、遅い。
臨界点突破してしまったしずかちゃんは、愛想をつかして、もうオレの所になんて、戻ってきてくれないかもしれない。
「探しに行かなきゃ……」
嫌な想像ばかりが、頭を占める。
ふらりと立ち上がると、即座に腕を掴まれた。
「待て」
「っ、でも」
「いいから、取り敢えず座りなさい」
混乱するオレを宥めすかすみたいに、至極冷静な声が告げる。
オレは日下部先輩に腕を掴まれたまま、再びソファーに腰を下ろした。手を離した先輩は苦笑を浮かべ、ため息を一つ吐き出す。
「君は家にいた方がいい。擦れ違いになっては、元も子もないだろう」
「……でも、帰ってこなかったら」
「ないな」
不安を隠しきれず、ネガティブな発言をした。だが即座に否定される。
日下部先輩は自信満々に言い切った。まるで太陽が東から昇る事のように、覆されない常識だ、と言わんばかりに。
「君に対してのみ、奴は相当チョロい」
「ち、ちょろ……」
あまりの言葉に絶句する。
自分の恋人がチョロいと評価された事も、日下部先輩がそんな言葉を使う事も、どちらも衝撃が大きすぎた。
「喧嘩の原因は知らないが、あいつは絶対帰ってくるから。君は、志藤の好物でも作って待っていたらいい」
夜になる前には絶対に帰ってくる。そんな予言めいた言葉を残し、日下部先輩は帰って行った。
用があって来たのだろうに、申し訳ない事をしてしまった。
取り敢えず先輩の言葉を信じて、待ってみよう。
台所に立ち、彼の好物を思い出す。
何でも美味しいって食べてくれるけど、特別に好きなのは……卵焼きかな?
あとはハンバーグとか……意外とホットケーキも好評だった気がする。
ホットケーキは食べた事無いって聞いて、びっくりした記憶がある。
コンビニにもファミレスにもあるし、ファーストフードのお店でも置いてある所もあるし、なにより気軽に家庭で作れる身近なおやつだと思う。
甘い物、嫌い?と訊ねると、しずかちゃんは苦笑を浮かべた。
堅苦しい家の生まれだから、おやつなんて出た事ないし。甘い物自体、あんまり馴染みがないんだよねって。
そう言ったしずかちゃんは、哀しそうではなく、少し困った顔で笑っていたから。
じゃあオレが、しずかちゃんにオヤツつくるねって笑った。
絵本に出てきそうな、生クリームとフルーツ山盛りの、3枚重ねのホットケーキ。しずかちゃんは凄く幸せそうな顔で、完食してくれたっけ。
「っ!?」
思い出し笑いを浮かべながら、フライパンを手に取ろうとしたオレは、そこで固まった。
何故なら背後から覆い被さるように、抱きつかれたから。
「……し、ずかちゃん……?」
ぎゅう、と痛い位の力で抱きしめられ、オレは目を丸くする。
肩口に顔を埋めている彼の顔は見えないけれど、髪も腕もにおいも、全部しずかちゃんだ。
「りっちゃ……っ、」
随分早い帰宅だ。日下部先輩の放った『チョロい』という言葉が脳裏を過る。
しかも気のせいでなければ涙声だ。一体何があった。
「どうしたの、しずかちゃん」
チョロいんじゃない。素直なんだ。
オレの恋人は、純粋なんだと呪文のように頭の中で繰り返しながら、なるべく優しい声で呼びかける。
ゆっくりと顔を上げたしずかちゃんの美貌は、涙に濡れていた。
蜂蜜色の瞳から、惜しげもなくボロボロと雫が零れ落ちる。
「ごめん、ねっ……捨てちゃやだ」
「はぁっ!? 捨てるって、誰が誰を!?」
本当に、何でそんな結果に辿り着いた。
「日下部が、メール寄越して……」
「あぁ……成る程」
大方予想がついた。
つまり日下部先輩から、多少過激な叱咤激励メールが行った訳だ。おそらく、愛想を尽かされるぞ的な。
「りっちゃん、ごめん。ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
体を反転させ、正面から抱き合う。しずかちゃんは、むずかる子供のように、ぐりぐりとオレの首元に頭を押し付ける。
なんだこの可愛い生き物。
顔をあげさせて、額と額を合わせる。
「オレも、ごめんなさい。しずかちゃんが優しいから、調子にのってた。何言っても嫌われないって、図に乗ってました」
「りっちゃんは悪くないよ!」
「いいから、聞いて。しずかちゃんは、我慢しなくていいんだよ。嫌な事があったら、言って。こうやって怒って」
「りっちゃん……」
「オレは、ずっと、しずかちゃんの隣にいたいから」
「っ……」
ほろりと、新たに浮かんだ涙が、オレの頬に落ちる。
しずかちゃんの頬を掌で拭えば、思いっきり抱きしめられた。
「りっちゃん、大好きっ!」
「うん、オレも好き」
仲直りのしるしに、ホットケーキを焼いた。
しずかちゃんみたいに、
とびきり甘いホットケーキを。
(ちなみに、ホットケーキを食べながら彼が呟いた不満)
(『オレがいない時に、日下部を家にあげちゃ、やだ』に吹き出して、また拗ねさせてしまったのは蛇足だ)
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