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赤頭巾ちゃんD


喰わせろ


そう言って、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた狼に、子供は目を大きく見開きました。もともと大きな瞳が、こぼれ落ちてしまいそうです。


何度か瞬きを繰り返す黒い目に、鋭い牙が映り、子供は漸く言葉の意味を理解したようでした。
顔色がどんどん青くなります。怖いのは当り前。


きっと痛いのだと、まだ幼い頭でも理解出来ました。
病気のときに腕に何かを刺されるチクッとした痛みや、椅子から転げ落ちた時のズキズキよりも、ずっと。


死にたくない。
そう、幼いながらも子供は思いました。
大きな瞳には、涙の膜が張ります。


それを見て、狼の鋭い目が一瞬揺れました。
子供と同じ色の瞳なのに、自分のよりずっと深くて綺麗な狼の瞳が、痛みを堪えるように細められたのを見て、子供は考えます。


痛いのは、いや。
怖いのも、すきじゃない。


でも、このとてもきれいな目をしたお兄さんが、死んでしまうのもいやだ、と。


「……おにい、さん」

「…………」


子供の声が震えます。
怖い、凄く怖い。それは当然だ。死ぬ事を怖がるのは、生きるもの全ての本能です。


震えながら、泣きそうになりながら、けれど子供は気丈に顔を上げました。
俯かず、真っすぐに狼を見つめたまま、


小さくお願いを、しました。


「……いたいの、いやです。……いたくないように、がぶっ、て一口でおねがいです」

「っ!!?」


狼の闇色の瞳が、際限まで見開かれました。
理解出来ない…否、理解したくないと言わんばかりに、綺麗な瞳が子供を凝視します。


「……何を、言っている?」


呆然と呟く声が、震えています。子供の肩を押さえる大きな手も、小さく震えていました。


食べられる自分と同じように、食べるお兄さんも怖いのかな、と子供は思います。


「喰われるって事は……死ぬって事なんだぞ!?」

「っ……」


狼の声は、だんだんと大きくなり、怒りをぶつけるような叫びになりました。


「それで、いいって言うのかよ…!!」

「…………、」


でも子供は、泣きそうになるのを堪え、唇を引き結び頷きます。
それを見た狼の顔の方が、泣きそうに歪みました。致死の痛みを受けた様に、強く胸の辺りを押さえます。
絞り出した声は、酷く擦れていました。


「いいわけ、あるかっ…!!死にたくねぇのに、そんな覚悟止めてくれ……!!!」


自分よりも悲壮な声に、子供は瞬きました。
懇願する声音に、戸惑います。
子供の胸に額を押し付けるように蹲った狼の、綺麗な漆黒の耳を見つめながら、子供は口を開きました。


「ぼく、おかあさんのシチューすきです」

「……?」


突然始まった話の意味が、狼には分かりませんでした。
でも止める気にはなれなくて、その続きを黙って聞いています。


「グラタンもおなべも、だいすきです。いっぱいいろんなものが入ってて、すごくおいしい」


両親の愛情を沢山受けて、健やかに育ったのでしょう。どこにも歪みのない子供を、狼は眩しく思いました。
でも、真っ直ぐである事は、無知で無垢な事と同意ではないのです。


子供の両親は、子供を愛し大切に育てました。
けれどそれは、温室で雨にも風にもあてないように、汚いものを見せぬよう、目を塞ぐのではなく。


ありのまま、のびのびと、時に厳しく時に優しく、強かに。


どんな雨にも風にも、負けない、優しく強い子になるようにと願いを込めて。


「シチューには、鳥さんが入っています」

「っ!」

「グラタンやおなべにはお魚さんが、カレーには豚さん、ハンバーグは牛さんが入っているのです」


狼は弾かれたように顔を上げました。
大きく瞠られた狼の瞳を見つめながら、子供は必死に言葉を紡ぎます。


「鳥さんはきっと、死にたくなんてなかった。ぼくに食べられたいとも思わなかった」


子供の母は言いました。
何かを食べるという事は、命をもらう事だと。生きるという事は、周りに生かされているという事でもあると。


だからこそ、感謝の心を忘れてはいけません。そう、教えたのです。


「鳥さんやお魚さんにもらったものをこんどはぼくが、お兄さんにあげる番です」


さぁ、どうぞ。
そう言って小さな両手を広げ、狼に精一杯笑いかける子供に。


「…………っ、あ」


狼の綺麗な夜色の瞳から、雨粒みたいな雫がこぼれ落ちました。


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