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カラン…カラン。空一面の花吹雪。くるくると廻り舞う桜の花弁が絨毯のように、透き通る水色を覆い尽くす。遠くで幸福を告げる鐘の音が聴こえてきた。こんな日に結ばれたふたりなら、きっと大丈夫。だって神様が祝福しているのだから。


見渡せば既にみんな顔を真っ赤にして出来上がってしまっている。ただいつもの宴と違うのは、思い思いにスーツを着込み、洒落込んでいるという所だけだろうか。全員が全員、笑顔を浮かべて笑い声を上げているのはいつもと変わらない。


「名無し」


袴姿のビスタの、陽気だが長い自慢話から漸く逃れて、私の一番の親友が近付いてくる。慣れない訳ではないだろうが、高いヒールで転ばないか心配だ。咄嗟に手を差し伸べれば、まったくもう、平気よ。苦笑いしながらも私の手を取って横に並ぶ。


「綺麗なドレスだわ。本当によく似合ってる」


ありがとう、照れ笑いを浮かべる彼女に私まで顔が綻ぶ。こんなに豪勢にするつもりじゃなかったんだけど、挨拶回りでは見せない困った顔で彼女は申し訳なさそうに呟く。いいじゃない、人生に一回きりなのよ?にやりと口角を上げて笑うと、そうね、彼女も一緒に笑い返した。


この美しい花嫁を手にした幸せな花婿は何処に行ったのだろう。…いた。サッチやらマルコやらに早速頭上からとぷとぷと瓶ごとシャンパンを浴びせかけられている。そしてその横には、腹を抱えて笑うエース。笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を右手で拭うと、私とばっちり眼が合った。


「名無し」


主役がびしょ濡れだなんて。エースが半ば強引に連れてきた花婿に眉を寄せて手渡したタオルを、彼は代わりに受け取って、頭に掛けてやる。名無しさん、すみません。がしがしとタオルで頭を擦るエースの手を押さえ押さえ、花婿は眉を下げて謝る。気のいい男なのだ。気にしないで、こんな日に貴方が謝る事なんてないわ。私が応えると、すみません。頭をぽりぽりと掻いて再び謝る彼に、その場には笑いが溢れた。


顔がにやけてやんの。自分も人の事など言えない程充分ににやけているエースが花婿にちょっかいを掛けている。花婿は困った顔をしながらも、ありがとうございました、今度は謝罪の代わりに謝辞の言葉を私達に向けた。


「お二人がいなかったら、僕達が今こうしていることなど考えられなかったので」


名無し、ありがとう。花婿と一緒に花嫁まで水くさい事を言う。運命なんてものは信じる方ではないけれど、やっぱりふたりは出逢うべくして出逢ったんだよ。そうでしょう?


「次はエースの番かねェ」


ひょいっとエースの肩に右肘を乗せて、したり顔で彼をごつくのは、サッチ。その横側には右手に泡立つシャンパングラスを軽く握った、マルコ。普段は冷静沈着、滅多に感情を表情に乗せる事はない。そんな彼も今日ばかりは幾分ほどけた顔をしている。


「案外早ェかもしれねェな」


エースの顔をまじまじと眺めながらニヤリ、口角を上げてからかうマルコを、ぷはは、と笑って彼はあしらう。彼も随分とマルコの扱いに慣れたものだ。入りたての頃は何しても何を言われても突っ掛かってくる猛々しいじゃじゃ馬のようだったのに。


名無し、いいのかよ、こんなんで。絶対おれと結婚した方が幸せになれるぞ。自分自身を指差して懸命に主張するサッチの求婚を、ははは、私も笑って茶化す。サッチに一同全員からの突っ込みが入るその脇で、エースがにこやかに笑っているのをちらり、盗み見る。


結婚…か。彼と付き合い始めてどれくらいの月日が経ったのだろう。生きるか死ぬかという最上級の刺激を毎日感じながら、人生はこんなにも短いのかと振り返るのは、きっと彼のおかげだろう。彼といると時間という感覚を忘れ去ってしまう。朝日を浴びて輝く笑顔を浮かべる彼におはよう、を伝えるのも、静まりかえった仄暗い部屋で仔猫のようにふたり、同じベッドに潜り込んでおやすみ、を告げるのも、手で掬った水が流れ落ちるように、早い。その流れを形在る氷にする事ももうそろそろ許されるのかもしれない。こうして部下の幸せそうな顔を笑って眺める彼は、自分自身の未来をどう思っているのだろう。


『えー、ごほんごほん…失礼、それでは新郎、新婦からのご挨拶に移ります。お二人はどうぞ此方へ…』


「名無し」


男達の喧騒から離れ、船上へと呼ばれた新婦が小声で私の耳に囁く。私の真向かい、最後列にいて。絶対よ。


え?考え事をしていた所為で言葉が意味を成さずに困惑する私を他所に、彼女は笑顔を浮かべて私を振り返る。絶対だからね。首を傾げつつひとまず、分かった、と返事を返すとまた微笑を浮かべて今日の主役はみんなの歓声に呼ばれるままに姿を消してしまった。


「ここにいろ、って言われたんだろ?」


「…エース」


ぐっ、と左腕を掴まれたかと思えば、いつの間にか私の横に並んだ恋人の姿。左手をポケットに突っ込んで、船上に呼ばれたふたりをじっ、と見守っている。


「…家族か」


家族。彼から発されたその言葉を聴いた途端、思い出の奥底に仕舞われていた記憶が甦った。同じやりとり、同じ言葉。まだ付き合い始めて間もない頃、船を離れた同胞が結婚した、と聴いて彼が発した言葉がそれだった。家族。そこには普通滲み出る郷愁とか懐古なんてものはなくって、ただただ無機質な三文字と…忍び出た寂莫が並んだだけ。それ以上その意味を訊ねる事が、私には躊躇われた。


「こういうのも…いいな」


え?記憶していたいつかの彼とは違う、その優しい物言いに、私は意表を突かれて思わず彼を見遣った。私より幾分背の高い彼を見上げれば、同じように彼も私を見つめている。


「名無し、いいのか?あれ」


…え?
微笑をたたえる彼が指差す先を思わず振り返ると、花嫁の純白のドレスと同じ、眩しい程に白い薔薇の花束がゆっくりと空に半弧を描いていた。離れては落ちる花弁がひらひらと水色の空に映える。薄桃色の桜に混じって、それはそれは綺麗だった。


『名無し』


突然の出来事に何が何だか訳が分からない私に向かって、純白の花嫁が叫ぶ。受け取って。幸せになって。くるくると空を舞うブーケに先程掛けられた言葉が漸く意味を成した。


「弟」


ゆっくりと此方に向かってくるそれに、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ新人のナース達が無邪気に手を伸ばす。


「それに弟の仲間達」


近付いてくるそれは、恐らく私には届かない。ほんの少しばかり距離が足りずに、私の前に並ぶ若い彼女達の手を擦り抜けていく。


「あと…東の海に育ての親がいるんだ。そいつらとジジィも」


ポン。その時だった。柔らかく背中を一押しされて、私は一歩前に出る。固まって動けなかった私をいとも簡単に押し出して。投げ掛けられた幸せを私はすっぽりとその腕に包み込んだ。


「お前に会わせてやりてェな」


振り向けば優しい笑顔が、そこにはあった。静かに光を湛える彼の瞳があまりにも深くて、優しくて、私はその瞳から眼を離そうにも離せずにいる。


その瞬間、沸き起こる甲高い悲嘆と暖かい歓声。その視線の先には私たち。悔しそうに爪を噛む者もいれば、したり顔で笑みを顔を浮かべる者もいる。幸せを分け与えてくれた今日の主役達は優しい顔をして私達を見つめている。ひゅう。サッチが口笛を鳴らして、満面の笑みで笑った。


「随分騒がしくなりそうだ」


まあ、それもいいか。両手に抱えた白薔薇の花束を越えて、私の頬に優しいキスをひとつ落として、彼は笑った。











指切りの結婚式











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▼2010713
thanx:臍
結婚式っていいよね。



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