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熱しやすく、冷めやすい。エースに対する私の印象だ。というよりも、お互いの距離が近付けば近付いただけ、見えてきた本質、かもしれない。きっかけは些細な事。この前も毎晩のようにクルーを誘ってチェスに没頭していたのに、或る日を境にぱったりとその姿を見ることは無くなった。どうしたのか、と訊ねると、ああ、棄てた。その一言。飽きたから。それが理由だった。単純かつ明白な理由。でも理由になっていない、その理由。何でもないその一言は私の心に突き刺ったまま、だらだらと私の心は僅かに血を流し続ける。ちくり。何でもない、ふとした瞬間にそれは存在を主張する。むくむくとその傷に摺り寄るようにもたげだすそこはかとない、不安感。記憶をひっくり返せば、思い当たる節がいくらでも見つかる。この前私は晴れて、恋人という彼にとって'特別'な存在になれた気がしていたけれど、案外'なれた気がした'、本当にそれだけかもしれない。彼にとっては'恋人'という名をつけるか、つけないか、ただそれだけであって、そこには傷つけてはいけない、愛を伝えなければならない、そんな本来の意味から離れた義務としての意味すら、存在しないのかもしれない。そう思った瞬間から、忍び寄った猜疑心という悪魔に囁かれるまま、私は悶々とした日々を過ごしているわけだ。


「どうしたんだよい?そんな顔して」

「…別に、どうもしないよ」

「じゃあなんでエースと飲んでいないんだい?」

「…別に」

「…はァ、図星かよい」

「だから別に何も言ってないじゃない」


しまった。染みのようにぽたり、後悔がじわりじわりと広がっていく。少々口調が荒くなってしまった。マルコにはいけないと思いつつ、いつもこんな態度をとってしまう。エースを見て子供っぽいと思ったが、これでは人の事を言えたものではない。


「ごめん」

「いや、俺が言い過ぎた。…ただ、」

「ただ?」

「お前が'別に'って言う時は、大抵それとはと逆の事を考えているからなァ」

苦笑いする彼にほれ、と手渡されたグラス。素直にいただきます、と氷の音を響かせながら傾ければ、おう、まあ今日は付き合えよい、くつくつと笑いながら、とぷとぷと酒を注いでいく。立ちのぼるバーボンの強い匂いに、強張った心が少しずつほどけていく。


「…不安かい?」

「え?」

「エースのやつは今日もいない」

「……」

「マルコ、」

「ん?」

「…そうよ。不安なの」

「……」

「今日だって前みたく女を渡り歩いているかもしれない」

「……」

「冷たくゴミ箱に棄てられたいつかのチェス盤のように、エースに飽きられてしまうかもしれない」

「いつかわたしが…棄てられるかも、しれない」

「……」

「その時お前は…ひとりかい?」

「…え?」

「お前は、あいつを想って泣くんだろうなァ」

「…マルコ」

「お前にそんな顔をさせるくらいなら…」

「………」


マルコの長くて、男にしては不釣り合いな程綺麗な右手が、ゆっくりと私の頬を撫でるように添えられる。そのまま彼の人差し指が、私の瞼の上をするり、優しく滑っていく。



「おれだったら」

「…マルコ」

「おれなら、お前を」

「わたし、は、」

「…ちっとは思い出したかい?」

「…え?」

「お前の本心」

「…あ…」

「なあ、馬鹿な事は言うもんじゃねェさ」

「…マルコは、」

「…優しいね」

「………」


カラン。いつの間に空になったのだろう、今はもう透明な氷しか入っていないグラスをゆっくりと音を立ててくるくると、彼は回し続ける。


「優しい、かね」

「………」

「…俺は、」

「……?」

「俺はお前が思ってるほど優しくもなければ、大人でもない。利用出来る事は利用するずる賢さも持っているし、その気になればある程度の事は出来る。お前がぶれたらエースはどうなる?あいつが昨晩も今夜もいないのは、お前が思ってるような事のせいじゃねェ。エースは、もうそんな事するような子供じゃねェさ。
その証拠に、ほら、」


グラスに注いでいた目線を上げて、かれはその視線だけで私に合図する。マルコの示した目線の先には、真っ直ぐに此方に向かってくるエースの姿。


「…まあ、億が一にでもそんな事が起こったら、」


彼の横顔がすっと私の方に向き直り、彼の優しく静かな瞳が私の瞳を捉える。


「おれの胸で、あいつを想って泣けばいい。気が済むまで、何度でも」


いつだって、そうなのだ。ふんわりと静かに、暖かく彼が微笑むから、私はそれに甘えてしまう。彼は利用出来るものは利用すると言っていたけれど、利用出来るものは利用する、ずる賢い狐は私の方なのだ。そして彼はそれを承知の上で、私に惜しみなくその優しさを分け与えてくれるのだ。


彼はことりと手に掴んだグラスをテーブルに置き、いい夜を、そう言い残して、ゆっくりと去っていく。優しく私の頭を撫でるその右手が離れていく。その代わりに、いつもは被っている眩しい橙のテンガロンを脱ぎながら、ゆっくりと近付いてきた私の恋人の右手には、小さな小さな深紅の箱が、しっかりと握られていた。


カラン。小さな小さな音を立てて、彼の残したグラスの中の氷がゆっくりと溶け落ちた。



















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▼2010621
thanx:maria




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