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ふと、突然部屋の掃除をしたくなったので、がさごそと迷惑極まりない騒音を立てながら家具を移動していると、持ち上げた机の引き出しの隙間から、懐かしい文字が並ぶ一通の手紙が、ひょっこり顔を覗かせた。


「ふふ、なつかしい」


掃除の手を止め、近くにあった深緑のソファーに腰掛けると、淡い蒼色の封筒の、少し古ぼけて黄ばんだ封をそっと開けてみる。中に挟まれた厚めの羊皮紙をぱさりと開くと、そこには流れるような万年筆の跡が、綺麗に並んでいた。


「…昔の男からか?」


部屋の掃除の手伝いをお願いしたのに、いつのまにやら仕舞われていた私の古ぼけた拳銃を気に入ったのか、撫でるように磨きながら同胞の男が私に問う。


「…昔、同じ時間を偶然過ごした、ただそれだけよ」


まだからかうような目線を外さない彼に、気に入ったのかと問えば、ああ、これ俺に譲ってくれないか、とねだられた。


…ええ、いいわ、と応えると、いつも渋い顔をして無表情を決め込んでいる彼も、頬を綻ばせて、ありがとな、礼はダイヤのついたピアスでいいか、と嬉しそうに応える。


とびきり上等のを、と軽口を叩きながら、淡いベージュ色の羊皮紙に書かれた文面に目を走らせる。書かれている内容は、乗船の誘い。今日深夜零時、お前を迎えにいく、簡潔にそう一言だけ書かれていた。


「そういえばお頭からお前に言付けがあった」


今はもう彼のものとなったリボルバーを、鼻歌が聴こえてきそうなくらいにぴかぴかに磨きながら、彼は言う。


「お前、ちょいとお頭に頼まれろよ」


「…いいけど?」





「じゃあ確かに伝えたからな。この海図に従って進めば間違いは無い。よろしく伝えてくれ、だとさ。…ちゃんと帰ってこいよ」


「…当たり前でしょう。子供じゃあるまいし」


心なしか少しだけ物憂げな彼の背中を見送りながら、私はこの手紙を受け取ってから流れた歳月を数える。



…16年。もうそんなに経ったのか。黒いインクで綴られた文面を眺めながら、私は沈むソファーの席を立った。












行き先は聞かされていたが、まさかこの船への用事だとは。船長も私に言付けを頼んだ彼も、行き先の船の名を執拗に伏せた理由が漸く分かった。…仕方がない。船長命令には逆らえない。


比較的容易に船長室に通して貰って、船長からの用事を済ませる。おそらくは調査報告やら機密文書やらが入っているのだろう、手渡した封筒は分厚く、重かった。


ゆっくりしていけと気を遣ってもらったが、この船に私が長居するわけにはいかない。ひとまず、無事に'お使い'も済ませ、ほっと安堵して船に戻ろうと来た道を引き返すと、私のよく知る姿が、そこにはあった。





「…まさかお前が来ようとはな」


「…ひさしぶり。私も此処に来ることになろうとは、思いもしなかったわ」


「赤い髪の船長は健在か?」


「ええ、おかげさまで」


「……」


「……」


「…あの日から、もう…16年、経ったのか」



「…ええ、'もうそんなに'過ぎたのね」



「…元気に、してるみてェだな」



「マルコこそ」



16年前のあの日に、マルコと共にこの船に乗らなかったことを、私は後悔していない。彼の乗ったこの海賊船に、あの日私は乗らなかった、ただそれだけ。そして16年が経った、ただ、それだけ。



「…お前、この船に」



「ふふ、今や白ひげの1番隊隊長ともあろう方に直々にお誘いして頂けるなんて、身に余る光栄だわ」


「…まだ何も言ってないだろい。それに、冗談で言うつもりもない」


「…それもそうね、ふふ、お断りするわ」



「………」



「…あの手紙、」


「…もう棄てたのか?」



「……ええ」



「…そうか」



「後悔…してないのか?」



「…ええ」



…そうかい、ぽつりと彼は呟いて、海風が吹く水面に視線を向けた。水分を含んだ重たい潮風は、秋の気配を漂わせて、私と彼の間を通り抜けていく。


「…じゃあ、船長さんとみなさんによろしく」



「…ああ」



海風に金色の髪が柔らかくなびくその背中に、さようなら、そう一言だけ言い残し、私は彼に背を向ける。彼はきっと二度と振り向く事はないし、私も二度と振り向く事は、ない。


「あの日、」


不意に掛けられた少し張った声に驚いて、思わず行きかけた足を止める。










「どうして来なかった」



ふう、と全身から力が抜けてつい苦笑が漏れる。やっぱりこの人を誤魔化せはしない。誤魔化してはいけない。16年もの月日が経とうとも、心の奥底に澱のように溜まったまま、消えも変わりもしない感情を、誤魔化しては、いけない。



「私は貴方より今私が乗る船に留まる方が大切だった」


「…だったらそう言えばよかっただろい」


「言えるわけないじゃない」


「なぜ」


「だって、…だって貴方に会ったら、」



断る自信なんて、なかった。顔を見たら、その暖かい腕の中に包まれたら、きっともう何も考えたくなくなるに決まっていた。



私はマルコも、船の仲間たちもどちらも大切だった。これは比べられるものじゃない。それでもきっと仲間達は私が彼についていくと一言いえば、何も言わずに送り出してくれただろう。幸せになれよと、笑って見送ってくれただろう。


でも、ただマルコを愛している、ただそれだけの理由でひとりこの船に乗って、何になるの?マルコが乗った船だもの、この船の船員はみな気のいい人達ばかりだろうから、私の居場所はすぐに出来たかもしれない。マルコの女から、白ひげの名を背負う同志としての居場所が、出来たかもしれない。でも、それは、本当に私が望む事だった?私の居場所は、此処だった?私は、漸く見つけた気心の知れる仲間と離れてしまう事が怖かった。…違う。そんな綺麗事だけじゃない。私は私の知らないマルコを見るのが怖かった。マルコひとりに縋って、私はいずれひとりで自分を支えていけなくなる事の方が怖かった。もし仮に、私に彼がいなくなった時、私に存在意義が無くなる事が、彼に私の全てを差し出す事が、彼に頼りきって、完全に彼に埋もれてしまう事が、怖かった。



こんな事を言ったら、きっと彼に嫌われてしまう。悲しませてしまう。愛してると言った言葉は嘘だったのか。俺よりも自分の仲間を選んだのか。俺はお前にとって、…その程度の男だったのか。そう言われるのが、何よりも怖かった。愛情よりも恐怖に囚われた私を、ただそういう人間なのだという単純な理由で説明していいのだろうか?あの時の私は、彼を心から愛していたと、果たして胸を張って言えるだろうか?




「こんな事なら、無理矢理にでもお前を、さらっていけばよかった」



「……」



「お前を守り抜く自信も、幸せにする自信も、あの時の俺には…あった」



「………」










「お前は今、

幸せかよい?」









「……ええ」









「…そうかい。
それなら、…よかった」


マルコは、と問いを返すのは野暮な気がした。訊いたところで私が彼にしてあげられる事はもう、ない。彼が私に望む事ももう、何もない。もう私達が会うことも、二度とないだろう。



「じゃあ私、いくわ」



「…ああ」



私は振り向かなかった。彼もそうだと思う。察してくれたのかどうかは分からないが、彼の仲間達は私と彼の二人にしてくれたみたいだった。誰もいない甲板を通り過ぎ、近くに停泊している迎えの船に乗り込んだ。おかえり、と航海士に迎えられる。ただいま、と返すけれど、何故か上手く笑顔が作れない。


…船長に連絡しよう。入れておいた、小さな電伝虫を取り出そうと、羽織った上着のポケットを探る。






かさり







…指の腹に、硬く、薄い感触。心が無意識にざわついていく。覚えのない'それ'を掴んで、ゆっくりと引き抜いてみる。
…淡い蒼色が、やけに鮮やかで眩しかった。



「…ばか」



それはあの日送られてきた封筒と同じ色をしていた。色も、形も、同じ。そしておそらく送り主も…同じ。



「…どうしてこういう事、するのよ…」



封筒の中身だけ、あの時とは違っていた。あの日の乗船の誘いの代わりに、一枚の小さな正方形の白い紙。裏面には、万年筆で書かれた、あの流れるような綺麗な文字で一言、




会いたかった




それだけ書かれていた。



「…なんで、こんなこと、書けるの…」




純白の上に黒いインクが滲むそれは、私がさっきまでいた船の方角を差して、微かに動いていた。彼の生存の証。彼の存在の証。私が何処にいようと、彼が何処にいようと、私が望めば、必ず彼と引き合える。…昔、彼との繋がりを自ら断ち切った私は、彼と再び繋がる事を、許されたのだ。



ぽたぽたと、白紙の上に染みが出来ては消えていく。あの日彼と共にあの船に乗らなかった事を、後悔などしていない。…でも、彼との繋がりを断ち切ってしまった事を、後悔してなかったと言えば、嘘になる。私は、大切な人を自ら失ってしまった。寂しかった。辛かった。…哀しかった。



「…本当に、馬鹿」



馬鹿で愚かなわたし。

…待っていてほしい。

いつか必ず、私から貴方に、会いにいく。

























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▼20100525
素敵企画サイト「ふたりのゆくえ」提出。「手紙」企画に参加させて頂いて本当に嬉しく思います。主催者様には色々とお手数をおかけしてしまいました…素敵な企画をありがとうございました。読んで下さった方、主催者様に感謝いたします。


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