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高校生と恋する乙女との関係は、例えるなら食事とデザートとのそれと似ている。つまり、別腹。両立しうる稀有な関係である、ということ。だって、勉強という砂漠に咲く一輪のオアシスの花といえば恋愛のはなし、でしょ?今日も我が教室には、開け放たれた窓から、初夏の訪れを感じさせる生暖かくてやけに眠気を誘う柔らかい風が吹く。この狭いハコのような教室に詰められているのは、1年の頃の初々しさを忘れ、かといって3年生のようにピリピリしているわけでもなく、中途半端に宙ぶらりんの、なりたて2年生だ。やれ、シャンクス先生が格好いいだの、いや、マルコ先生のあの大人の余裕が、だの兎に角休み時間の女の子は忙しい。



「ねえ、聞いてよー、サンジ先生がさあ、」


この台詞を私に向かって発したのは、1年から同じクラスの'友人'。此処だけの話、彼女は今年の春休みからサンジ先生と付き合っている、らしい。まあ、いわゆる禁断の恋、というやつだ。生徒と教師の恋愛だなんて、サンジ先生はいったいどういうつもりなのだろう。



…ま、いいか。
サンジ先生が本気だろうと遊びだろうと、全くもって私には関係の無い事だ。



「ねぇねぇ、どう思う〜??」



うーん、
そうだなあ…、



敢えて一つ挙げると
するならば、















内心無理して作った愛想笑いを浮かべて、えーいいんじゃない?愛されてるんじゃないの?とか何とか言えば、えへへ、やっぱり?と幸せそうな彼女の笑顔。



…自分が吐いた自分の台詞に自己嫌悪だ。「愛されてる」ってなに?…「愛」って、なに?


はあ、とこっそり気付かれないように吐いたため息と共に始業のチャイムが鳴った。月曜1限、数学。今日はベン先生の代わりにマルコ先生が臨時で授業を受け持つ事になっているらしい。


マルコ先生は必ず生徒に質問を投げ掛けては答えさせるから嫌だ、という生徒も中にはいる。でも、私はそうは思わない。ただひたすらチョークで黒板に描かれる数字と記号の羅列をノートに駆け足で書き写すより、よっぽどいい。問題について質問された生徒が「わかりません」という度に、マルコ先生は必ず「まずは考えてみろよい」と優しい光を瞳にたたえながら、あの独特の喋り口調で口癖のように、言う。考えろと言われた生徒が思案顔であれかなこれかなと試行錯誤する様子を見るのがすきなようだ。あ、これは別に困ってる様子をみるのがすきっていう意地悪な先生と言うつもりはなくって、ただ生徒が一生懸命なところを見るのがすきなんじゃないかな、と私は内心思っている。…まあ、本当はどっちが正しいのかはわからないけどね。




授業が終わって分からない問題がひとつだけ残った。何度やっても答えが出ない。


「…あとで訊いてみよう」


放課後に職員室に質問に行く事に決めた。





放課後は担任との二者面談が入っていたのを忘れてた。私の前の人に呼ばれて思い出したのだ。



志望校は?と単刀直入に訊かれたので、思い切って一番いいところ、と言ってやった。でも、担任の反応は冷たかった。暗に現実を見ろ、堅く安全に行ける所を目指せ、そう言われた。まあ、それはそうかもしれないけどさ。私まだ高2なのに。可能性は無限とまではいかなくても、逆転するくらいには、広がっているのに。…頑張れ、応援してるぞ、その一言が欲しかっただけなのに。やっぱり私なんかじゃあ、期待もされないかあ。





ポン



……?


ポンポン。数学の教科書で、頭を軽く叩かれる感触。



「何が分からないんだよい」



「…マルコ先生」



三者面談後気を取り直して質問に行こうと職員室の前まで来たのはいいものの、ベン先生もマルコ先生もいない、ルッチ先生は非常に頭が切れるけど非常に近付き難いオーラを発散しているし、サンジ先生に至っては既に質問に来ていたのかお喋りしにきただけなのか、女子生徒が何人かできゃあきゃあと先生を独占していたので、とてもじゃないが質問出来る状況じゃなかった。元々質問しにいくのは好きじゃない。この状況なら数学の出来る友達に訊いた方が気が楽だった、そう後悔した時に声を掛けられたのだった。



「…いや、長くなるし…それに初歩的でくだらない質問なのでいいです」


何だか此処にいるのがひどく気まずくなって、そそくさと退散しようと先生の脇を通り過ぎると、少しだけ強く左腕を掴まれた。


「生徒が質問に来てるのに、面倒だのくだらないだの言う教師があるかい。学生の本分が勉強だとすりゃあ、教師の本分はそれに応えることだろうが」


そう言って先生は私の腕の中にあったノートをひょい、と奪って、で、どこが分からないんだよい、と私にそれを差し出して疑問点を教えるように再度催告した。



…意外だった。こんな教師。大抵いつも私の質問は初歩的な計算ミスで答えが出ないか、解答を導くには本来不要な個所の質問だったりして教師からすればつまらない質問だったと思う。先生達も大抵苦笑いしてやり過ごしてくれるけど、そわそわ目線が動いていたりして暗に早く出ていってくれ、と思っているのが伝わってきて、自分が納得できるまで聴いて貰えるという事は無かった。考えすぎなのはわかるけど、なんとなくそれで質問に行くのも、教師も苦手になったのだった。



マルコ先生は粘り強く私の反応を待ってる。私は差し出された自分のノートを受け取って、あらかじめ付箋を付けておいた個所を開く。


「この問題なんですけど…」


「お前はどう考えた?」


「え?…あ、まずこの囲まれた部分の面積を求めようと積分して、」

「そうしたら答えが汚い数字になって、で計算ミスかなと思って何度もやり直したんですけど、」


「…結局答えが出ずに次に進めなかったんです」



先生は優しい瞳で、時々相槌を付いて黙って私の説明を聴いてくれた。



「なんで積分しようと思った?」

「…?積分の典型問題だから?」


「…そうかい。じゃあ、こういう風に煮詰まった時はなァ、」


先生は何度も消しゴムで消されて少し薄くなったノートの上に、簡単な関数を描いて一本、すうっと補助線を引いた。



「発想を転換しろ」



「お前はいっつも一生懸命でまっすぐだからなァ、」


そのままノートを私に手渡す。


「教師としては苦手かもな。先生、先生つって懐かねェし、質問も鋭いからな、答えられねェ時もある、ってシャンクスが漏らしてたな。…まあ、でも」


先生は優しく微笑んだまま、私の頭をポンポンと撫でて、


「あんまり思いつめないで気を楽にしていいんだ」



「その問題、積分から離れて解いてみろよい」



その時の私といえば、くすんだ濃紺のシャツに、薄いグレーのスーツ、先生似合うなあ、なんてぼんやり考えていた。


「え?」


すぐに意識を取り戻して、渡されたノートに集中する。先生が引いた、一本の補助線。…ああ、そうか、これは積分にみせかけておいてじつは関数の問題だ。



「解けたらもってこい。答え合わせしてやるから」


ヒラヒラと教科書を揺らして、先生はゆっくりと私の元から去っていく。



「先生」


「…なんだよい」


行きかけた足を止めて、先生は私の方を振り返る。廊下には、今、私達二人しかいない。…みんみんと、気の早い蝉の鳴き声が遠くから聞こえる。



「教師と生徒の間に、本物の恋愛感情がうまれることって、あると思いますか?」


先生は困ったように眉尻を下げて笑って、言う。


「恋愛ごっこなら余所でやれ」


「…もし、'恋愛ごっこ'じゃない恋愛のこたえを知りたい、と言ったら?」


さらに困ったように、先生は苦笑する。でも、いたずら好きの子どものように、眼に光が宿っている気がするのは、私の見間違いだろうか?



「…まずは自分でその答えを考えてこい。そしたら答え合わせ、してやるよい」


そういってふっと笑って先生は去ってしまった。





左胸に手をあててみると、どくんどくん、といつもより速い鼓動。いつのまにか蝉の鳴き声は消えて、柔らかい初夏の風が私の頬を優しく撫でていった。何度も自分の胸に問うたこたえは、きっと正しい気が、する。







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▼20100522
素敵企画サイト「鯉が泳ぐ」提出。「先生」設定、とても楽しませて頂きました!読んで下さった方、素敵な企画を立ち上げて下さった主催者様、本当にありがとうございました。


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あきゅろす。
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