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勉強と恋愛は別腹だと言ったのは誰だったか。…ああ、私の'親友'だ。なんだ。嘘じゃないか。この二つもまた、私には、両立しえない関係だったよ。


漸く長かった授業から解放されて、私はトントンと階段を駆け上がる。目指す場所は、私だけの秘密の場所。がちゃりと安っぽく軋む銀色のドアノブを捻ると、焼けつくような夕焼けが名残惜しそうにその残光を此処まで伸ばす。でもその橙光はとうとう私の処まで届く事はなく、未練がましく夕陽が沈んでいく。あーあ。思わず洩れた溜息をお供に、ごろりと冷たいコンクリートに寝転がると、命短い秋風が構って欲しそうにひんやりと冷たく私を包み込んだ。


右腕を瞼の上に置いてふうと深く長く息を吐く。夕焼けの悪あがきのような残光がやけに眩しい。



「あー、こんなはずじゃなかったのになあ」



うん、こんなはずじゃなかった。私は今年大学受験を控える高校3年生。後3か月頑張れば、晴れて大学生の身だ、すべて上手くいけば。でも、その為に犠牲にしたものは私が思っているよりもずっと、ずっと大きな痕を私に残した。



私には1年半、付き合った人がいた。…付き合った人がいた。過去形だから分かると思うけど、受験を目前に結局別れる事になってしまったのだ。お互い頑張ろうねって励ましあって、なんて理想論は通用しなかった。人一倍強い私の独占欲が、嫉妬が、不安が、この恋をだめにしてしまった。



エースはもてる男だった。誰に対しても公平に優しい。突き抜けるような明るさ。運動もよくできるし、勉強の方もやればできる男だ。そして極めつけは、あの太陽のようなとびきりの笑顔。まあ、もてないわけがない。

別にエースがもてはやされようと、私はそれを気にするような事はなかった。だって、あんなに明るい太陽のようなおとこの裏側にある弱さや脆さを私だけは、知っていたから。甘えん坊で寂しがり屋で、独りでいる事が何よりも怖くて誰かが傍にいなければだめになってしまう、そういうずるいところも。私だけが、埋めれるんだと、思ってた。



「今日こそは…消そう」



携帯のメール画面を開いて、愛しい人の名を辿る。昔は受信画面が表示される度に、どきどきして、そわそわして、メールが届く度に、嬉しくって頬を綻ばせた。…今はただ、見るのが辛い。


かちり、とフォルダをクリックすると、懐かしい面影が残る幾つもの文面が並んだ。



アドレスを交換してから初めてのメール。サッチが私に「訊け訊け」エースに言ってたから、すっかり罰ゲームなんだと思ってた。サッチに感謝してる、なんて書いてあって、初めて彼の気持ちが私と一緒だった事に気付いた。


次は、あ、ルフィの誕生日祝いを一緒に買いにいく事になったんだ。誕生日祝いを言い訳に、ちゃっかり、デートを申し込んでくるところが彼らしい。



彼との別れは、私から振った形になった。どちらにしろ別れる事になっていただろうに、彼から振らなかったのは、彼の優しさだろうか。



他愛もないメールが続く。サッチがマルコ先生にいじられてる、とか授業がつまんない、とか。何十通目かのやり取りまできて、自然と笑みが溢れた。…付き合って初めてのメールだ。緊張する、も、付き合ってるんだな、も、ふふっ、彼らしくない。



エースと別れた後は、ぽっかりと穴が開いたように心がすうすうした。何人かに告白されたけどそんな気にもなれずに過ごす毎日。だけど、いつもおちゃらけて傍にいた同じクラスの男の子が告白してきた時は驚いた。驚いたけれど、どこか安心して、いいよ、なんて言ってしまったのだ。彼は私に優しく接してくれたけれども、お互いに不満が溜まっても、上手く吐き出す事が出来なかった。不安や不満はお互いに言い合おうね、なんて馬鹿みたいな約束を一方的に押し付けても、彼は顔に滲む不満を押さえようともしないくせに、口では別に、と言う。この時いつも私の頭の中に浮かぶのは、エースの喧嘩した時の、寂しそうな顔だった。彼は自分勝手な不満や不安を私がぶつけても、ただただ笑ってごめんな、と言ってポンボンと私の背を撫でるだけだ。だけど、彼が不満に思っている事や心のわだかまりみたいなものは、きちんと、言葉を選んでなるべくお互いに良い方に解決出来るように伝えてくれた。


私は自分勝手で我が儘な人間だから、相手の気持ちなんて、自分に立場を置き換えてぐるぐると想像してみても、きっと十分の一も分かってなんかいない。エースみたく言ってくれないと、分からない。エースの後に付き合った男の子は、いくら私が言ってほしいと言っても結局、頑なに黙っているばかりだった。疲れてしまった私はたかだか1か月で彼を振った。受験生なのに、自分の将来かかってるのに、何してるんだろう、私は。



左端に表示された数字が優に300を超える頃、エースが誕生日を迎えた。何が欲しい?と訊ねても、何もいらない、というばかりの彼に、悩みに悩んで結局淡い橙色のマフラーをあげた。太陽のような彼に似合うように、と思って選んだけれど、今思えばそれは、沈む夕陽の橙によく似ていた。



私達が別れる事になった原因は、至極つまらない事だった。私は結局、自分の不安に呑み込まれてしまったのだ。他の女の子と彼が話す度に、彼が笑う度に、彼の手が私以外の女の子に触れる度に、私の心は硬直し、頑なに閉じていった。私は、エースを独占したくてたまらなかった。それは単純な嫉妬心というよりむしろ、自分の将来に対する不透明な不安だったり、身勝手で我が儘な自分への苛立ちだったり、要領よく生きられない自分への劣等感のせいだったりした。エースが何をしたかが問題なのではなく、そこに投影する、自分のこころの有り様が問題だったのだ。



一年記念を迎えた頃から、私達の関係は歯車が僅かにずれていくようにおかしくなりはじめた。私は彼に持て余した苛立ちをぶつけ、彼はその度に、あの、寂しそうな顔をした。彼はいつだって彼自身の気持ちを、二人にとって最善の方法で伝えようとしてくれていたけれど、私の気持ちはそれでも満たされる事はなかった。追い詰められた彼は次第に私から離れるようになり、離れ行く彼に私はまたちくりと心が痛んだ。身勝手なものだ。人は気持ちを伝えるために言葉を作り出したのに、どうして何処までいっても解り合えないんだろう。




夏も過ぎ去り、秋風の匂いが僅かに、でも確かに空気に薫る頃、私達は、別れた。彼からの最後のメールは、一言だけ、






700
09/03 02:06
From Ace
To 2mm@xxx.ne.jp
Sub Re:
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それでも俺は、
愛してる。






愛してる、なんてたかだか17、18年生きた人間が口にするのは、薄っぺらいかもしれない。でも、私にとっては、それで充分だった。あんなにひどい言葉を投げつけられて、身勝手に振り回されて、挙句の果てに送られてきた別れの言葉に対する返信が、愛してる、だなんて。どうかしてる。




私は意を決して、いつものようにこのボタンに手を掛ける。今日こそは、消そう。明日からは、忘れよう。何事も無かったと思えばいい。何にも無かったと思えば…





削除しますか?









削除、しますか?





…削除なんか、できるわけない。いままで大切に大切に積み重ねては大切に仕舞い込んだエースへの想いを、思い出を、削除なんか、できるわけない。






右腕を再び瞼の上に乗せる。でも今は、私を照らす眩しい夕焼けの橙光は、もう差しては来ない。11月の屋上は、夕陽が沈めばすぐに降りてきた暗闇に完全に支配される。まるで世界を丸ごと抱きしめるみたいに。ひんやりと秋風が構って欲しそうに私を冷たく包み込む。






「やっぱり此処だったか、」




群青色の空に、ぽつりと光をたたえた声を聴いた、気がした。まるで太陽のように暖かく包み込むような声を。



「だいぶ探したんだぞ」



「なんで分かったの」



俺が初めて告白した場所、だからな。彼は優しい声で、ぽつりと呟いた。



…そうだった。此処は私だけの場所ではなかった。昔は、二人の場所だった。




「あのメールの返信を、俺はまだ貰ってない」




「返信なんか、いらないわ」




「俺には、必要だ」




「私には、必要ない」




「…ったく、」


コツコツと硬い靴音がして、ゆっくり黒い影が私の上に降りてきたのが分かった。ぎゅっ、と少しだけ力を込めて、私の右腕が掴まれる。




「…だったら、なんで泣いてんだよ」




「泣いてなんかない」




「…相変わらずだなあ」




くつくつと喉を鳴らして彼は笑う。なんで、こんなときに、笑う事が出来るのか。



「なあ、お前と別れてから、俺はひとつ気付いたんだ」



「…なによ」




「お前じゃなきゃ、だめなんだってこと」




「……今更、」



「…そうだな、今更かもな、でも、」




彼が優しく私の右腕を掴んで、私の上体を起こす。困る。泣き顔なんて見られたくない。




「…もういちど、話をする事は、出来るだろ?」




彼の日に焼けた、でもすらっと伸びた長い指が、私の目蓋を優しく拭う。彼の云うことに、私は何一つ、彼に言い返す言葉が出てこない。ほんとうは私は、彼になにひとつ、私の本当の気持ちを、言葉にしてなかった。




「…ほんとは、寂しかった」




「…うん」




「不安だった」




「…うん」




「エースが離れていくのが怖くて、」




「………うん」




「…意地をはってたね」




「…ごめんな。…寂しい思いを、させちまった」




「…あの時ちゃんと、話をすれば…よかったね」



「…ああ、そうだな…でも、」




「……?」




「今、ちゃんと…話が出来た」




「あ…」




「やりなおそう、俺たち」







人は気持ちを伝えるために、言葉を作ったのに、気持ちは何処までも解り合えないんだと、そう思ってた。でも、今は少しだけ、それでも何故人が言葉を望んだのか、分かった気がする。













いいえ、
消したくない想いが、
私にはある






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▼20100522
素敵企画サイト「涙墜」提出。メール画面を作品に入れる、というコンセプト、凄く楽しませて頂きました。文章が長くなってすみません。素敵な企画をしてくださった主催者様、読んで下さった方、ありがとうございました。


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あきゅろす。
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