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ずるい人。この人はある意味一番ずるいかもしれない。サカズキのように徹底しているわけでもなく、ボルサリーノのように無関心でもない。ただただ中立に立って、求められれば拒まず、かといって小さな針のような抜け穴をいつだって作ってる。…ほんとうに、ずるい人。



「クザン」


「あらら、どうしたの?名無しが俺の元に馳せ参じるとはねえ」


「私が来ては、いけなかった?」


「そんなことは一言もいってないでしょうが」


彼は群青色に染まりゆく虚空に向けていた椅子をくるりと回して私と向かい合う。


「今夜、空いてる?」


「こりゃまた、お前も大胆になったな」


「分かっているんでしょう」


「ああ、名無しがいうのならいつだって空いてるさ」


私がただっひろい執務室の鍵をかちゃりと閉めれば、彼はかちりと電気を消した。煌々と月明かりが窓から室内を照らす。ことん、と持参したブランデーや諸々で私の好きな酒を作る。作るのは、ハムレット。



「月が綺麗だな」


「ふふっ、口説いてるつもり?」


「ああ、わるいか」


「わるい気はしないわ」



くるくるとマドラーを回して、ぽちゃんと氷塊を沈ませれば、ぴしゃ、一粒二粒水滴が跳ね返って私の手を濡らした。



「何があった?」


「特に何も」


「素直じゃない女はめんどくさい」


「それでも笑って聞いてやるのがもてる男でしょうが」


「不特定多数に愛されるより特定少数を愛する方が、よっぽど幸せだと思うがな」


「ほんとにね」


くるくるとグラスの中の氷を回す。さっきより少しだけ小さくなったかもしれない。どうせ、いくら回しても、溶け終わる前に呑み干してしまうのだけれど。




「今日はね、とある海賊船の殲滅指揮だったの」


「そうか」


「ひとり残らず、全員、女も子供も。勿論任務は完璧に遂行した」


「…そうか」


「小さい女の子がね、私の姪っ子にそっくりで可愛くって可愛くって」


「……」


「何にも知らずにこっちに向かってきたの」


「……」


「ちょっとクザン、聞いてる?」


「…ああ、聞いてるよ」


「あいつら海賊なのに自分の妻と子供も船に乗せてたのよ」


「…それはいただけないな」


「でしょう。海賊のくせに」


「…ああ、まったくだ」


「そしたらね、いきなり砲撃が始まったの。私はまだ指示を出していなかったのに」


「……」


「私の前で銃弾の煙が曇って、」


「……」


「紫煙の霧が晴れたら誰もいなかった」



「ねえクザン、私たちって」

「名無し、もういい」


もううんざりだとでも言うようにひらひらと手を振って、彼は私を制した。ほら、だからもてるくせにいつも上手くいかないのよ。



「正義なんてもんは立場や思想や背中に背負うものなんかで、いとも簡単に変わるものだろう」


「じゃあ海軍の正義はなんなのよ。クザンのいう正義ってなんなのよ。それらが一致しなかったときは、私たちは一体どうすればいいの」


大将なら、わかるでしょう?名無しが訊く。訊くというより皮肉っている。まったく、俺に自分を投影させて、自分の首を絞めてちゃせわねェ。ついでに俺の内心を代弁して、俺を泥に沈ませて愉しむのも止めろ。これだから素直じゃない女は面倒なんだ。



彼はさらにうんざりしたらしく、ことりとテーブルにグラスを置いて、椅子から立ち上がった。名無し飲み過ぎだ、もう今日は寝ろ、そう私に声を掛けて部屋から出ようと歩を進めながら。



彼女を部屋まで送ろうと立ち上がって、掛けられたままの鍵を開けるため扉に向かおうとすると、ぐっと腕を掴まれる。
いかないで、か細く脆く呟く声がした。


「もし万が一にでもその子が生きていたとしたら、」


「……?」


「私たちを恨んで復讐にくるんでしょうね」


「……」


「名無し、もうなにも考えるな。お前は考えすぎなんだ。自分で自分の首を絞めてる」


「ずるい」


「……?」


「だからクザンはずるいのよ」



こいつはずるい女だ。ずるくて、弱い。まったくお前がいう「ずるい」のはどっちだ。



彼はあたかも赤子をあやすかのようにゆっくりと私の髪を撫でる。その所作にひどく安堵を覚える私もまた、ずるいんだろう。



「なあ、名無し」

「ん?」

「このまま二人で何処か遠くへ、」

「クザン」



俺が最後の言葉を言うのを名無しは遮った。



「…もうここで寝とけ」

「……ん、」



ゆっくりゆっくり髪を撫でてやれば、やがて聴こえてきたすうすうという小さな寝息。はあ、と俺は溜息をつく。律儀に女の上に圧し掛かる白くて重い上着をそっと払う。今宵もまたひとり、俺は眠れない。




















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あきゅろす。
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