[携帯モード] [URL送信]
タイムカプセル


街でふと懐かしい背中を見かけた気がした。
あ、と呟いた瞬間、その背中は視界から消えて雑踏の中に紛れてしまったから、それは私の見間違いかもしれないし、そもそも最初から私の幻覚だったのかもしれない。

何年ぶりのことだろうか。
嘘でもあの広くて頼れる背中を思い出したのは。
…いや、違う。無意識にいつも、あの背中を追い求めていた気がする。






私とマルコは幼少期を共に過ごした。
もう、十何年も前のことだ。南国の花が美しく咲く、平和な、熱帯の島だった。

マルコは小さい時から、人より少しだけ優しくて、人より少しだけ落ち着いていて、そのくせ人より少しだけ醒めたような、寂しい眼をしていた。

私はそんなマルコが好きだった。一緒にいると安心したし、マルコも私を妹のように可愛がってくれた。でも、私はほんの少しだけマルコが怖かった。マルコの醒めたような眼は私をひどく不安にさせた。その眼の奥の、マルコの心に、私は決して手を伸ばすことが許されないような、そんな気がしていたからだ。

マルコは兄貴分として町の子どもたちからも、同い年の男の子からも女の子からも慕われていた。あの性格のことだから、わかるでしょう?優しいくせに、悪戯を閃いてはあの不敵な笑みで、こっそりと耳打ちしてきて、一緒に笑い合う、あの屈託のないマルコの笑顔が好きだった。


例に洩れず、他の町の男と同じように、マルコは15になった時、海へ出ると言いだした。私が12になったばかりの、暑い夏の日のことだった。

「お前を残していくのは心配だよい」

私の頭をあの大きい手でゆっくりと撫で続けながら、マルコは言う。
…そんなことを言うくらいなら海賊になんかならなくったって、マルコだったら町のお医者さんでも、料理屋さんでも、町長さんでも、船大工でも何だって出来るのに。そう言いたくてたまらないのを我慢して、私は心の中で呟いた。たとえ今そう言ったとしても、きっとマルコの気持ちが揺らぐことはないし、たとえマルコが何にでもなれるとしても、一番マルコに似合っているのは海賊であることは、私も心のどこかで分かっていた。

「マルコ」

私は泣いてマルコを引き留める代わりに一つの提案をマルコに願った。タイムカプセル。いつか、この島で二人が再会できた時に一緒に開けたいと思ったのだ。それは1年後か、5年後か、はたまた来世かは分からないけれども。

「…ふふ、いい考えだなァ」



その日の夜、私たちは無言で島の端にある大きなヒルギの樹まで歩いた。そこはちょうど丘のようになっていて、町の風景がここから一望できた。無言で一緒に土に穴を掘って、お互いに入れたものを見ないようにして、また土を戻した。十字の切り傷を根元に付けたのを今でも覚えている。



……マルコはあのタイムカプセルに、いったい何を入れたんだろう。






久しぶりの夢を見た。
故郷の島の一番でかいヒルギの樹の下で、あいつと一緒にタイムカプセルを埋めた夢だ。もう何年も見ていなかった夢を、どうして今頃見たんだろう。

…いや、何年も見ていなかった気がするだけで、無意識の中で何度も何度も見ていた気がする。





…あいつはあのタイムカプセルに、いったい何を入れたんだろう。







帰りたい。



1番隊と4番隊と合同で船の備品を買い出しに行った時だった。ふいに、ほんとうにふいに、あいつの華奢で小さい背中を見たような気がした。慌てて後を追ったけど、曲がり角を振り返るともう、その背中はどこにも見当たらなかった。

「マルコ?」

サッチが怪訝そうに訊く。

「…ああ、何でもないよい」

その時ふいに思ったのだ。

帰りたい。
故郷に、あいつの元に帰りたい。





あの日からマルコは魂が抜かれちまったみたいにぼーっとしている。名前を呼んでも上の空だし、エースがマルコの飯を横取りしても何にも言わねえし、俺がどんなに下ネタを叫んでも、聞いているのか聞いていないのかよく分からなかった。

何かあったのかと尋ねても何もないの一点張り。
そうさ、あいつは決して悩み事を俺達にこぼさないんだ。それがこの船の右腕として当然だと思ってる。俺達に心配かけたくねえんだ。マルコは本当は何も相談されない方が俺達は心配であることまでは分かっていない。まあ、それがあいつのいいところでもあるんだけどよ。

「親父」

「どうした、サッチ」

「あのさ2,3日マルコに休暇を与えてやってくれねえかな?」

「グララララ、お前も気付いてたのか」

「…ああ。何なのかは本人が言わねえからこれ以上訊けないが、まあ、何かあることぐらいは分かるさ。マルコが抜けた分は俺とエースとで回すから」

「グララ、いいだろう」

「おう。ありがとよ、親父」



今日久々に親父に呼ばれたと思ったら、3日間休暇をとれ、という命令だった。休暇をとれ、なんて命令あるかと言ったけど、親父はただ笑っていいからとれ、船長命令だ、と言った。
休暇なんて本当に久しぶりのことだったから、何をしていいのか逆に迷う。手持ちぶさたで何もすることがねえもんだから、仕方なく忙しそうに荷物を運ぶサッチを手伝おうとしたが、

「お前、休めって親父に言われてんだろ。働くんじゃねえよ」

と言って決して俺に仕事をさせようとしなかった。

仕方がないので、武器の点検をしているエースのところに向かったが、

「おい、マルコ。おれんとこはいいから、しっしっ」

と邪険に追い出されてしまった。

何だか何処にもこの船に居場所が無くなってしまった気がして、マストの上にある見張り台で紫煙を燻らせていると、いつか浮かんだ感情が俺の胸に去来した。


帰りたい。


ああ、そうか。
俺はもう一度あの島に帰りたい。

もう二度と拝めるなんて思っちゃいなかったが、きっとこれは、親父や船員達が、帰ってやれ、と言っているのだと、ようやく理解した。

俺は煙草の火を手で握り潰してかき消すと、いってくる、と言って月が顔を出しはじめた群青色の空に向かって、飛び降りた。



[次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!