人として軸がブレてる
MIHASHI1/2編 4
誰か、泣いてる。
………三橋?
なんで泣いてんだよ。
お前、結構泣き虫だよな。
人見知りもするし、喋るのもたどたどしいし、ちょっとトロいし。
―けどさ、これからは、寂しがったり、怖がったり、不安になったりしなくていいんだよ。
オレがずっと傍にいるから。
ずっとお前を守るから。
「いろいろ迷惑をかけたみたいで、すまなかったな」
「君も来るなら来ると、連絡をくれれば良かったのに」
「いや、ホントは私だけ自宅に帰るつもりはなかったんだけど、雨が急に降ってきたからさ、」
父親と聞いたことのない男の声が、三橋の泣き声でゆっくりと目覚めかけた阿部の意識を、一気に現実に引き戻した。
「あ、ああ阿部君!」
どれだけ泣いていたのか、ぐしゃぐしゃになった顔をぶつけるように、三橋は阿部の胸目掛けて抱き付いた。
「阿部君っ、よかった…」
「お父さん、兄貴が目覚ました〜」
間延びした弟の声も聞こえてくる。
オレ、なんで寝てんだ?
阿部は起き上がろうとしたが、三橋が邪魔になったのと後頭部に走った痛みに動きを止めてしまう。
「あ、阿部君。
無理して、起きちゃダメ、だよ」
「お、おう…」
三橋に、やんわりと頭をクッションの上に戻され、阿部はもう一度三橋を見上げる。
………なんだ?
何かが、違う?
「タカ、大丈夫か〜?」
息子の顔を覗き込む父親は、言葉とは裏腹に心配をしているようには見えない。
「いやぁ、隆也君すまなかったね。
廉が驚かせてしまったみたいで」
もう一人、頭元にやってきたのは、先程聞こえてきた知らない声の持ち主。
三橋の父親が、いつの間にか来ていたようだ。
三橋に驚かされた?
オレが………?
「気にしなくていいよ、三橋君。
逆にこっちが謝りたいくらいだよ」
「やーらしーなぁ、兄貴は。
風呂場の前で倒れてんだもん」
父と弟が、軽蔑のまなざしを向ける理由が分からない。
「ご、ごめんなさ…。
オレ、言わなかった から」
止まりかけていた涙が大粒になって、また三橋の両目から零れ落ちていく。
「ごめ、なさ…阿部く…」
「三橋、」
泣くなよ。
お前が泣くと、こっちまでツラくなっちまう。
そう言いたかったが、三橋が泣いている原因も探さなくてはいけなくなり、頭の中が忙しくて言葉にするどころではない。
確か―。
確か、三橋にタオルを渡して…。
その後、もう一度脱衣所に戻って………。
なんで戻ったんだっけ。
「隆也君、本当に悪かったね。
廉は人見知りが激しいから、大変だったろ」
「いや、そーじゃなくて、」
そう、そんなことはどうでもいい。
阿部は、もっと大事な何かを忘れているような気がして仕方がない。
「廉、もう一度皆さんにちゃんとご挨拶をしなさい」
父親に促された三橋は、二人あらたまって阿部一家に向かい合った。
「え〜、あらためて自己紹介を。
私は阿部君の友人で三橋といいます。
そして、こちらが息子の廉」
「み、みみ三橋 廉、です。
すみま、せん…」
「「「………えええぇっっっ?!」」」
驚愕のあまり、固まってしまった阿部一家に、三橋は泣きながら謝る。
「む、息子って?!
君、男の子だったのかい?!!」
「ごめっ、なさ…。
お、オレ、言えなく て…、ごめん、なさい…っ」
「えっ、でも三橋さん、確かに女の子に見えたよ!
胸だって、ちゃんと………って、アレ?
全然ない」
「テメェ、どさくさに紛れて何やってんだ!!!」
「〜〜〜〜〜ッ!!!」
阿部に思い切り頭を殴られた弟は、声も出ない。
「三橋く〜〜〜ん、説明してもらおうかぁ?」
「う〜む、何から話せば良いのやら…。
ま、とりあえず、」
そう言うと、三橋の父は徐に立ち上がり、「廉、」と息子に呼び掛けるや否や、首根っこを掴んで、縁側から庭に放り出した。
「うわぁっ!」
「三橋!!!」
阿部は何とか助けたかったが、その甲斐虚しく、三橋はものの見事に庭の池に落ちた。
「三橋!大丈夫か?!」
「……………ぶはっ!
ゲホッ、カハッ!
お、お父さん…、ヒド い!」
池から顔を出した三橋を手を引いて立ち上がらせた阿部は、目が覚めた時の違和感と三橋の父の言葉の意味を、同時に理解することができた。
そして、自分が卒倒した理由も思い出した。
最初に出会った三橋は確かに少女であった筈なのに、脱衣所で遭遇した時は―。
そして、今。
「三橋………お前、どっちが本当、なんだ?」
変な質問だが、他の尋ね方なんて思い付かない。
「うぇ………お、男 です………」
「……………」
三橋の手を握ったまま俯いてしまった阿部に、三橋は慌て出す。
「あのっ、あのっ、本当に、ごめんなさい!
い、言うタイミング 分かんなく、てっ」
「残念だったね、兄貴。
まぁ、カノジョなんていつでもできるって」
シュンは笑いを堪えながら、上辺だけで兄をフォローした。
阿部の父親はというと、怒りも露わに友人につかみ掛かる。
「三橋く〜〜〜〜ん、君、『娘がいる』って言ったよねぇ?
だから、許婚の約束をしたんだよねぇ?!!」
「仕方ないだろ!
そうでも言わなきゃ、あの時金貸してくれなかったじゃないか!!!」
(い、許婚?!
………お父さん、オレを借金の肩代わりにしていたのか…)
坊ちゃん育ちの父が、他人とは感覚が少しずれているとは薄々気付いていたが、それは育ちのせいではないかもしれない。
友人として阿部家に出向くようにしか言われていなかった三橋は、勝手に息子の人生を売り飛ばした父親に、怒りを通り越して虚しさを感じた。
「でも、三橋さん。
なんで、女になっちゃうの?」
「うぇ、あ、そ、それは、」
「そーだよ!三橋君!!
どういうことだよ?!」
「よくぞ聞いてくれた!」
三橋の父は、友人の怒りの矛先が微妙にずれたのをいいことに、素敵な思い出でも話すかのように、流暢に語り出した。
「実は、廉は世界一の投手を目指しているんだ。
親の私が言うのも何だけど、息子は才能あるからねぇ。
けど、並大抵な努力じゃ世界一は無理だからね。
私は涙を隠し、心を鬼にして息子の夢に力を貸した!
そりゃもう、いろんな処でいろんな修業をさせたよ。
何と言っても、息子の為だからね。
最後に行ったのは、そう。
中国だったなぁ」
「台湾じゃなくて?」
「お父さん、間違えた、んだ」
「「………」」
自分に向けられる冷たい視線を、三橋の父は意に介さず、更に続けた。
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