人として軸がブレてる MIHASHI1/2編 3 三橋は訳が分からないまま、再びモーションに入る。 胸近くまで高く上げられ、大きく前に出る左脚。 細い腕が弓のようにしなやかに伸び、長い指先から放たれた白球は、先程と寸分違わぬコースを辿り、阿部のミットに見事に収まった。 間違いない、コイツは―。 阿部は立ち上がると、三橋の元へと駆け寄る。 「あ、あの、ご、ごごごめっ」 「三橋、手見せて」 「うぇ?」 「だから、右手!」 阿部は三橋が差し出す前に、三橋の右手を掴む。 先程は舞い上がっていてちっとも気がつかなかったが、その手には三橋の努力の跡が深く刻み込まれていた。 男でも、ここまでやれる奴はそうそういない。 「やべェ…」 女だとか、許婚だとか抜きにしても、三橋に人として本気で惚れ込んでしまったのを、阿部は自覚した。 「あ、阿部、君…?」 「おーい、風呂沸いたよ!」 「うぁ、は、はいっ」 阿部の弟から急に声を掛けられ、反射的に返事をしてしまった三橋は、慌てて阿部の様子を窺う。 「行ってこいよ、早く入んねぇと風邪引いちまうぞ」 「あ、う、」 「キャッチボールなら、これからいくらでもできるだろ」 「あ、阿部君、と…?」 ホント、コイツって…。 「あぁ、お前の気の済むまでな」 そう言って、阿部がミットで頭を軽く叩いてやると、感極まったのか、三橋はほんの少し涙を浮べながら、笑顔で頷いた。 「いーなぁ、兄貴」 三橋を浴室まで案内して戻ってきた弟が、縁側でミットの手入れをする阿部に溜め息混じりにもらした。 「は?」 「会って早々、もう三橋さんとラブラブなんだもん」 「そっか?」 と気のない返事をしながらも、阿部の心の中はピンク一色だ。 そうか、シュンの目から見てもそう映るのか。 てことは、やっぱ三橋もオレに惚れてんだな! いやぁ、参ったな。 もしかしたら、今夜あたり、 「知らないお部屋で、一人、は怖く、て…。 阿部君、と、一緒に寝ても…いい?」 なーんて言って来るんじゃ…。 いいぜ、三橋! オレは準備万端で、お前を待っててやるよ!!! 「兄貴、キモい」 「は?」 いつの間にか、隣で顔を覗き込んでいた弟が、白い目を向けてきた。 「分かんないならいい」 弟は兄を一瞥した後、自室へと戻った。 何がキモい、だよ。 実の兄に向かって失礼なヤツだぜ。 「―あ、」 そういや、三橋にバスタオル渡したっけ? 「おい、シュン! お前、アイツにバスタオル渡したのか?!」 思い出すのが遅かった為、本人に訊きにいく訳にもいかない。 仕方なく、弟に確認する為、部屋のドアを乱暴に叩いた。 「もう、うるさいな! 準備は全部、兄貴がするって言ったじゃん!」 弟の応酬として、迷惑そうな顔と素っ気ない声が返ってくる。 あ〜、やっぱり。 三橋も気付けよな。 肝心なところで抜けてるよな。 …でも、待てよ。 これって― オレは深呼吸を3回した後、注意深く脱衣所の扉をそっと開けた。 が、そこには誰も居ない。 三橋はまだ浴室のようで、中からシャワーの音がする。 着替えを入れる大きなカゴの中には、オレが貸した服がキレイに畳んで置いてあった。 この下に、下着あんのかな…。 じゃなくて。 オレは、三橋と遭遇しなかったことに、そっと胸を撫で下ろす。 しかし、思いがけないハプニングが起こったのは、オレがカゴの中にバスタオルを置いたのと、ほぼ同時のことだった。 「キャッ! あ、ああ阿部、君っ」 浴室から出ようとしていた三橋は、オレの姿に驚き、慌てて後ろを向く。 背中を見せるより、タオルで隠している前の方が、安全なような気もするが。 もとい。 オレも、慌てて後ろを向いて謝る。 「わ、悪ィ。 その…、お前にバスタオル、渡してなかったから」 「あ………」 気まずい沈黙の中、自分の心臓の音だけがやけに煩い。 湿度と温度の高い空気に、余計に居心地の悪さを感じる。 とにかく、ここを早く出よう。 でないと、三橋が風邪を引いてしまう。 「ホントにごめんな」 もう一度謝って退室をしようとしたら、なぜか右手が湿った温かさに包まれた。 一瞬、何が起こったのか分からなかった。 しかし、それが三橋の手に触れられたからだと気がついた途端、指先にゆるい痺れが走った。 「みは、し…?」 先程から上昇しつつあった心拍数は、今やマックスの速さで躍り、平常心を打ち砕こうとしている。 ほんのり香ってくる石鹸の匂いまでもが、まるで媚薬のように理性をかき消そうとする。 「あ、あの、タオル、ありが と…」 「お、おう」 「それと、ね…。 謝らなくていい よ」 「え?」 「だって、オレ達………許婚、でしょ」 「三橋…」 今度こそ、オレは三橋と正面から向き合う。 濡れているはずなのに、柔らかく跳ねる明るい色の髪。 潤んだ大きな瞳と、ピンクの頬、紅い唇。 そして、膨らみのある胸の前で、タオルを握り締める白い指。 「あべ、君」 切なげにオレの名を呼ぶ三橋の声を合図に、理性が完全に決壊した。 「三橋―っ」 オレは三橋を抱き締め、そしてその紅い唇を― おっと、また妄想が行き過ぎるトコだったぜ。 脱衣所の扉の前で、5分程ニヤけた顔で突っ立っていたなどとは露も気付かず、阿部は一呼吸ついて、この先に繰り広げられるであろう夢の世界に備えた。 愚かな期待を胸に、リプレイの如く妄想の中の自分と同じように、扉を開ける。 「うぉっ、あ、阿部、君?!」 予定より、少し早く三橋と遭遇してしまったが、阿部にはまだ想定内の出来事だ。 「あ、悪ィ。 お前にバスタオル渡してなかったからさ。 ほら、これ」 「あ、そか。 忘れてた、あ、あり、ありがと」 嫌がる様子はないし、なかなか順調。 「おう、ちゃんとしっかり拭けよ」 「う、うん!」 二人笑顔を交わした後、阿部はゆっくり扉を閉めた。 ………ん? 何か、予定と全然違うぞ。 すごくあっさりしてるというか。 確か今…、三橋は風呂から出てきてて、うっかり入ってしまったオレは謝って、タオル渡して。 そんで―? 「……………!!!」 阿部は、今度はものすごい勢いで閉めたばかりの扉を開ける。 「ひっ?! あ、阿部、君?!」 「………」 「あ、あのっ、何 か―」 三橋を凝視し、予定が狂った原因をしっかり確認した阿部は、三橋の言葉を最後まで聞くことなく、その場で卒倒した。 [*前へ][次へ#] [戻る] |