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DOLLシリーズ
乱情緒

どうして、人は、大切な者さえ傷付けてしまうのだろう。
もっと強くなれば、優しくなれば、大人になれば、君を傷付けなくなるのだろうか。
頭も心臓も、君を想うだけで壊れそうだ―。




朝の冷たい空気と予想外の事態に包まれて、身体が凍て付いた。
右の頬も痛むけれど、それよりも今起きた現実があまりにもショックで呼吸すらままならない。


「おい、何すんだよあんた!
いきなり引ッぱたくことないだろ?!
レン、大丈夫か?」


大丈夫なんかじゃない。


「だいたい、レンを一人にしたあんたにだって責任あんじゃないのかよ?!」

「…テメェに言われたかねぇよ」


止めて。


「保護者のふりして、レンを放っておくなんて最低だ!!」

「違う、よ!」

「…レン」


違うんだ、だからアベ君を責めないで。
だって一番悲しい顔をしているのは、アベ君だ…。


「ごめんなさい…オレ、が……」


アベ君はオレの言葉を聞いた後、俯いてしまった。
あの時と同じだ。
シュウちゃんがアベ君のことを探ったのだって、オレが何も知らずにいたから。
オレはまたアベ君を傷付けてしまったんだ。
アベ君を守りたくて、笑って欲しくて、いっぱい考えて、いっぱい頑張ってみたけれど、子供で馬鹿なオレにはこんなことしかできなかった。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい―。
でも、それでもオレは…。


一瞬、地面が反転したかに思えた。
平衡感覚を失ったオレは立ってられない。
周囲の音が消滅する。


アベ君がオレを見る。


アベ君。
それでも君の傍にいたいと願うのは―。



そこで、思考が途切れた。





小さい頃、アベ君は毎日添い寝をしてくれた。
オレがせがむままに御伽話を語り、オレが泣けば頭を撫で、オレが眠りに落ちるまで手を握ってくれた。
それだけで満たされ、幸せを感じていたあの日には、もう戻れない。



「レン、大丈夫か?」


シュウちゃんの声で目を開ける。
頬に流れた涙をシュウちゃんに拭われて、これが現実だと気付く。
コテージの2階にある自分の部屋だ。

幼い頃の夢を見ていた。
何も知らず、何も考えず、ただアベ君の優しさを享受していた日々。


「シュウちゃん……」

「あんま驚かせんなよ、急に倒れるからビビんだろ。
気分悪くないか?」


熱は出してるし、少し脱水症状も起こしてるしって言って、シュウちゃんは苦笑いをした。
この部屋にアベ君がいないことが分かってホッとする。
けれど、すごく寂しくもある。
また、訳の分からない感情に飲み込まれそうになった。


「あ、アベ君…は…?」

「下」


よかった、まだオレの近くに居てくれている。


「ごめんね、シュウちゃん。
オレ、また迷惑かけて…」

「迷惑じゃなくて心配かけ過ぎ。
あいつから電話が入った時は、本気で焦ったぜ。
でも、無事だったからもう良いよ」


そう言って、オレの額に載せた冷却シートを取り替えてくれる。

アベ君がシュウちゃんに連絡したんだ。
今までシュウちゃんに電話なんかしたことなかったのに。
オレのせいで、きっといろいろ大変な思いさせたんだろうな。


「……あ、シュウちゃん、ラボは?
ごめん、研究が…」

「お前は余計な事、心配すんな。
今は早く元気になれるようにゆっくり休め。
それと…、もう一人で無茶するなよ。
オレにはそれが一番キツい」


シュウちゃんが寂しげに笑う。


「ごめん、なさい…」


オレは、シュウちゃんも傷付けているのかもしれない。
どうしてこうなるんだろう。
オレはただアベ君を助けたくて…。


違う、そうじゃないんだ。
オレは自分の為に動いていたんだ。
アベ君を離したくなくて、アベ君をもっと知りたくて、アベ君の未来を手に入れたくて―。
だから、きっと罰が当たったんだ。


「レン?!どうしたんだよ?」


シュウちゃんが急に慌て出す。

あ…、オレまた泣いてんだ。
でも、今は止められそうにない。
どこか変なスイッチが入ったように、どんどん涙が生産されて。


「レン、どっか痛いのか?怖い夢でも見てたのか?
オレ、なんかマズい事言った?」


うろたえるシュウちゃんの声が聞こえても、心にまでは届かない。

アベ君、アベ君、アベ君…。
どうして遠くなっちゃうの?
オレが手を伸ばせば伸ばすほど、君は離れていく。
こんなに近くに居るのに、すごく遠いよ…。


「レン」


シュウちゃんが、そっとオレの頬に触れる。
アベ君にぶたれた方とは逆の左頬に。
シュウちゃんがあまりにも真剣な顔をするから、オレは驚いて涙の生産速度も遅くなる。
シュウちゃんの手を冷たく感じるのは、熱のせいだろうか。


「シュウ…ちゃん?」

「レン…、お前に話したいことがあるんだ」

「え…?」

「そんなに身構えんなって、あいつのことじゃないよ」


じゃ、何………?


「来週1週間休みもらってるから、ここにもう一回来るよ。
今日はレンの体調も悪いし、さ。
だから、そん時に聞いてよ」


笑っているけど、その目はまだ真剣で。
オレは更に尋ねたい気持ちもあったが、おとなしく頷いた。


「じゃ、オレ帰るよ」

「本当に、ごめんね」

「だーかーらー、もう謝んなって!
たくさん食ってたくさん寝ろよ」

「あ、ありがとう、シュウちゃん」

「ん」


シュウちゃんは最後に笑って、オレの頭をくしゃくしゃ撫ぜて部屋を出て。
そしてまた、コテージにはオレとアベ君の二人になった。


アベ君とシュウちゃん。
オレの行動をどこまで知ったのだろう。
シュウちゃん、アベ君に何も言ってないよね。

今更、いろんな綻びが不安になってきた。

アベ君、もしかしたらオレが探っていたこと知っちゃったかな。
こそこそ隠れて人の事探るなんて、きっと最低な奴だって思われた。
それに、勝手に出かけて迷惑かけて…。
オレ、アベ君に嫌われちゃったかな。

止まりかけていた涙が、また溢れてくる。
大切な人に嫌われるってすごく怖いことなんだと、今更ながら気がついた。

後悔が怒濤のように押し寄せて来る。
謝って許されるかなんて分からないけど、許されなければ生きていけそうにない気がした。


と、その時ドアが軽く2回ノックされた。

アベ君、だ。

心臓が飛び跳ねる。
どんな顔をすれば良いのか分からない。
アベ君がどんな思いでいるのかも知れないままなのに。

ドアがゆっくりと開けられる。
アベ君の顔が見えないのは、オレが逃げたから。
ドアを背にして、寝たふりをしたから。
情けないけれど泣いた顔を見られるのも嫌で、仕方なくそうした。

アベ君はそっとベッドに近付き、跪いてオレのブランケットを掛け直す。
また、心臓が跳ね上がる。

お願い、起きてること気付かないで―。


「…さっきはごめんな。
痛かった、よな…」


そう言って、オレの髪を梳く。
いつもより小さくて静かな声、大好きなアベ君の声。
それだけでも、胸が痛いのに。


「何も分かってやれてなくて、ごめん」


せっかく寝たふりしてたのに。
アベ君の言葉で、また涙が零れてくる。

何も分かってないのはオレなのに。
謝らなきゃいけないのはオレなのに。

アベ君に寝たふりなんて通用しない。
当たり前だ、オレのことを誰よりも知っている人なんだから―。


「―レン、こっち向いて」


オレは必死に首を横に振る。
こんなボロボロの顔見られたくない。


「怒ってんの?」


オレはまた首を横に振るだけしかできない。


「なら、顔見せろよ」

「………」

「アイツと話できても、オレとは話したくねェの?」


違うよ、違うんだよ。
そう言う代わりに何度も何度も首を横に振る。


「なら、こっち向いてくれよ」


アベ君はずるい。
甘えたようなそんな言い方、オレが困る。


「顔、は ヤ…だ」

「なんで?」

「今……ぐちゃぐちゃ、で汚 い」

「………」


アベ君が押し殺すように笑い出す。


「あのなぁ、お前の顔なんか赤ん坊の時から見てんだから、今更だぞ?
この間だって泣いてたじゃん」

「でも、ヤ…だ…」


今はそんな酷い顔、見られたくないよ。


「分かったよ。
今、卵粥持ってくっから、それまでに見られる顔にしとけよ」


アベ君は笑いを堪えながら部屋を出た。


「そんな、笑わなくったって…」


独り言を漏らしながら、ゆっくり身体を起こして。
オレもちょっとだけ笑った。

アベ君が戻ってくるまでに顔を洗おう。
まだ、アベ君が笑いかけてくれるのなら、オレは今度こそアベ君と向き合おう。
きっと、今のオレにはとても大切なことなのだから。




君がオレの世界だと改めて思い知った日、いろんなことを話したくなった。
オレの抱えているモノを全部、君に知って欲しくて。
そして、オレには君のことを考えられる余裕なんてなくて。

ねぇ、阿部君。
優しさも駆け引きがあるなんて、オレは考えもしなかったんだ。



071106 up

(110924 revised)




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あきゅろす。
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