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DOLLシリーズ
逃避行

ドールはたった一つの役割を果たす為に生まれ、心から人を慈しみながら、己の運命に忠実に生きる。
そして、役割を終えると永い永い眠りにつく。
そんなこと、きっとオレにはできない。
オレは酷く浅ましく卑しい心を持っているから、その思いを遂げずに終わることはできない。
自分がドールになんてなれないことを、改めて思い知った。



「出かける、の?」

「明日には帰るから」

さっきまで寝ぼけていた頭が、一気にクリアーになる。
『カナリアン・ビュー』に来て1週間目の朝、着替えてリビングに降りると身仕度するアベ君がいた。
アベ君が一日以上家を空けることはほとんどない。
あっても泊まりがけのセミナーなんかでオレが外泊する時に合せていたから、オレが半日以上一人になることは今までなかった。


「…今日は帰らない の?」

「用事が長引きそうだから、多分今日は無理だと思う」

「………何処、行くの?」

「昔、世話んなった人にちょっと会うだけだよ」


でも、今日は戻らないんだ。
街に出るだけだから、何かあればすぐに電話しろってアベ君は言う。
でも、


「どうしても今日、なの?」


別に、今日が特別な日だという訳ではない。
それでも、いつもならそんなオレを気にしてくれるのに、今日のアベ君は違っていた。


「わりぃ、どうしても行かなきゃなんねぇから」


アベ君はすまなそうにオレの頭を撫でる。


「大丈夫だよ。
ちゃんと、留守番してるから」


オレは笑ってみせた。


アベ君が外出した後に、冷蔵庫の中を見る。
律儀に明日の昼食までの食事が入れられていた。


「どうしよ………。」


食べてなかったら、絶対に怪しまれる。
オレは日頃からたくさん食べるから、それを見越して作られた膨大な量に本気で困りながらも、オレも慌てて身仕度を始めた。


本島に船で20分、自宅近くの空港までジェット機で約1時間。
その他の交通利用時間、待ち時間、乗換等含めて往復6時間はみた方が良いだろう。
今は9時過ぎ。
最悪、最終便で島の手前まで戻り、カプセルホテルで一泊して朝一番の船でコテージに帰るしかない。
自宅に居られるのは長くて約5時間。

ナップサックに朝食用のサンドウィッチを詰め、昼食用のカレーライスを今食べる。
夕食分は、明日の朝と昼に分けて食べれば完食できるだろう。
小型端末は持たず、携帯電話は島を出る時に必ず電源を切る。
どちらもGPS機能があるから厄介だ。
ICカードも請求はアベ君が総てチェックするから、船に乗る時しか使えない。
その後は貯金を崩して交通費に充てる為、デビットカードを使う。
少しの着替えも持って、オレはこっそり家を出た。


バスが自宅近くに着いた時点で、既に疲労を感じた。
緊張しながら、尚且つ時間に追われながら隠れるように行動するのは、意外と精神力を要することを学んだ気がした。

1週間ぶりに一人で戻った自宅は、よく知る場所なのになんだかよそよそしくて冷たい感じがする。
アベ君がいないからだ。
なぜかそう思った。
妙な緊張を覚えながら家に入り、かつてお母さん達が使っていた2階の突き当たりの部屋へと向う。
ずっと空調を使用していなかった屋内は、不快な湿気と熱を帯びていた。
お母さん達の部屋は、今は誰も使っていない。
けれど、お母さん達が残してくれた様々な資料をいずれオレが使うだろうからと、アベ君は欠かさず掃除をしてくれている。
久しぶりにお母さん達の部屋に入る。
資料をたまに借りるくらいでしか入らなかったし、アベ君のことを調べ出してからは全く入らなくなった。
アベ君が居る時でも、つい色々調べてしまいそうな気がして避けていたのだ。
いつもと変わらず、本棚も机もソファもきれいに掃除と整頓がされている。
この部屋も蒸し暑い。
堪らず窓を開けた。
少しは風が入ってくるが、あまり環境は良くならない。
諦めて端末に向う。

机が二つ並んでいる。
その上にはそれぞれ2台ずつ端末が設置されている。
お母さんとお父さんの端末。
何度も触っているけれど、今までは研究目的での使用のみ。
目的が違うと初めて使う気分になる。
我ながら単純だ。
4台全てに電源を入れる。
パスワードを入力し、完全に立ち上がるのを焦れる思いで待つ。
暑くて頭がぼんやりする。
来る途中で買ったミネラルウォーターをナップサックから取り出し、身体に流し込んだ。
少し落ち着く。

今頃、アベ君はどうしているだろう。
世話になった人って、アベ君のいろんなことを知っているのだろうか。
そんな人に会っている間も、少しはオレのこと思い出したりするのだろうか。


「アベ君………」


彼のいない、誰もいない部屋で呼んでみる。
酷く孤独を感じた。
こんなことをしている自分が、馬鹿みたいだと思った。

感傷的になっている場合じゃない。
完全に立ち上がった端末に、オレは気合をいれ直して向かい合った。
どの端末のディスプレイもフォルダやファイルがきれいに整理されている。
一部を除けば、どれもが研究や仕事に関するものばかり。
オレはアベ君に関するキーワードを何回も放り込み、どんどん検索をかける。

大半のデータは共有ディスクにあるとはいえ、4台一度に使うのはかなり疲れる。
何より、室温が徐々に上昇しつつあるのが辛い。
オレは再びナップサックを探り、冷却シートを取り出して額に貼り付ける。
気休めにはなるだらう。
とにかく、こんな処で熱中症に罹る訳にはいかない。
それでも使用する電気量は最小限に止めたい。

ヒットしていくデータは、ミホシ・ラボラトリーでのメンテやテストの結果、ミハシ家やラボラトリーのフォト、ビデオのデータくらい。
30分程で一通りの検索を終えた。
せっかく苦労してここに戻って来たのに、目当てのものは何も見付からない。


「疲れた…」


暑さと緊張のせいだ。
なんだかだるい。
温くなったミネラルウォーターを口に含ませる。
オレはぼんやりと昔のフォトデータを開きながら、他のキーワードを考えていく。
ミハシ家の写真は、お母さんのものが多い。
しかし、意外とアベ君と写っているのが少なくて…。


「あ、もしかして…」


アベ君が撮っていたの?

お母さんのお父さんも科学者でいつもラボラトリーに入り浸りで。
お母さんのお母さんは、お母さんを産んだ後すぐに離婚して。
お母さんの面倒はアベ君が見ていたって言ってたっけ。
フォトに姿が写っていなくても、よく笑っている幼いお母さんの傍にオレの知らないアベ君を感じる。

あぁ、また嫌な感情が胸に渦巻く。
どす黒い嫌な気持ち。
なんて卑しい浅ましい思い。

ねぇ、お母さん。
お母さんは知っていたの?
気付いていたの?
アベ君はお母さんには話したの?
どうしてオレには何も言ってくれないのだろう。
オレが同じドールだったら、もっとアベ君のことが分かったのだろうか。

落ち込みながらも、右手は勝手に別のフォルダを開けていく。
マウスで最初のファイルに手を付ける。


「………あ、れ?」


知らない人のフォト、だ。
でも、どこかで見たことがあるような…。

少し長めの黒い髪。
白衣を着た背の高そうなその青年は、目元が涼やかでとても優しげに微笑んでいる。
どこかのラボラトリー内と思われた。
しかも、レコードデータがかなり古い。
それは今から67年前。

―67年前?!

『アベタカヤ』少年の事件やアベ君の古いデータと変わらない年代。
他のファイルも開いていく。
今度はミハシ・ラボラトリー開設当初のフォト。
多くの科学者や関係者がひいじいちゃんと一緒に写っている。
恐らく、このフォルダに入っているほとんどの写真はその頃のものだ。

偶然かもしれない。
でも、何かの取っ掛かりになるかもしれない。
70年前あたりのデータをかき集めてみるのも悪くない。
そう思い直したオレは、再度データの洗い直しに取りかかった。


気がつけば、既に6時を過ぎていた。
気温がやや下がってきたようで、昼間よりはましな風が部屋に吹き込む。
水分補給はしていたものの、よく熱中症にならなかったものだと我ながら感心する。


「帰んなきゃ」


データはSDにコピーした。
後は帰ってから時間をかけて見ていくしかない。
オレは疲労困憊していたが、それでも細心の注意を払いながら自宅を後にした。

結局、最終のジェット機には間に合ったものの『カナリアン・ビュー』への船は既に最終便が出た後だった。


「仕方ないよね」


自分にそう言い聞かせて、港に近いカプセルホテルに入る。
子供一人だと通常なら怪しまれるが、夏休みだったことが幸いして何も咎められることなく入室できた。
狭いベッドに身体を投げ出し、目を閉じる。
身体が本当にだるい。

アベ君、今頃どうしているだろう。

そう思ったのも束の間、オレは深い眠りへと落ちた。



翌朝、鉛のように重い身体を引きずるようにしてホテルを後にし、朝一番の船に乗り込む。
アベ君が予定を早めて午前中に帰ってきたりしたら大変だ。
7時に出航だから7時半には家に着く。
朝食は帰ってから食べよう。
どうせ疲れのせいで、今は食欲がない。
船の中でも気がつけば眠ってしまっていて、島に着いても気がつかずに他の乗客に起こされる始末だった。

ふらふらしながらコテージに向かう。
地面がふにゃふにゃしているように感じて、足元を見ていないと躓きそうだ。

早く帰らなきゃ。



「レン!」


オレは思い切り飛び上がった。
この場所で今オレの名前なんて呼ぶ人はいないはずなのに―。
顔を上げると、そこにはシュウちゃんがいて。


「お前、何やってんだよ?!」

「シュウ、ちゃん?」


そして、コテージのドアの前には、


「あ、……アベ…君…」


どうして?

頭が回らない。
しまったという焦りだけが心拍数を異常に上げていく。



パンッ―!


何が起きたか分からなかった。
ただ、右頬には熱と痛みが、目の前にはひどく傷ついたようなアベ君の顔が。

−オレの世界が停止した。




君がオレに手を上げたのは、あの時が最初で最後だった。
オレはまだ自分のことしか考えられなくて、死んでしまいそうだなんて思ったりもしたけれど。
そこには愛情も優しさもあったこと、本当は分かっていたよ。
アベ君。
子供のオレは、君と向かい合うのが怖くてあんな事をしたけれど。
今のオレも、君を傷つけずに済む方法をまだ見つけられず、途方に暮れているんだ。



071031 up

(110924 revised)





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