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DOLLシリーズ
奇遭遇



「レン―」



オレの肩に顔を埋めたままのアベ君に、もう何度名を呼ばれただろう。
背中だけでなく全身に熱を帯びたオレは、ショート寸前のところで必死に思考回路を繋ぎ直す。
アベ君の真意、オレの理性、周囲の状況。
それらを、公園に足を踏み入れる前の記憶と繋げようと思うのに。
どうして今に至ったのか、オレには全然分からない。

それはまるで、突然名も知らぬ本から抜け落ちた1ページが、不意に空から舞い降りて来たようで。
この夜が、どんな結末に繋がっていくのかなんて、オレには考える余裕もなかった。


だから―

ほんの少し離れた場所で、いつかオレ達に繋がる邂逅が繰り広げられていたなんて、想像もしていなかったんだ。



―――――――――――――――――――――――



オレは今日3度目の溜め息を吐いた。
回数も、どこで溜め息を落としたのかもはっきり覚えているのは、日頃溜め息なんて吐くことがないから。

我が家唯一のベッドを大の字で占領し、小さな寝息をたてる子供のような青年からは、遭遇した時の緊迫感はかけらも感じられない。



「………横柄なのは変わんねぇけど」



ささやかな愚痴をこっそり呟いて、大の字で寝ている肩にブランケットを掛け直してやる。
この奇妙な来訪者は、明け方突然に現れた。

仕事で午前様になったオレはコンビニでビールと少しの食料を買い込み、自宅のマンションへと急いでいた。
高級住宅街だから多少家賃は高いが、職場から徒歩圏内の住居に決めて本当に良かったと、こんな日はつくづく思ってしまう。
今日は休みだから昼前まで寝て、それから少したまりかけている家事をこなしてしまおうか、などと寝ぼけた頭で考えていた時だった。



「動くな」



冷たい男の声が耳に届くと同時に、冷たい感触が首筋と手首を走る。
ついでに、腕は軽く捩じ上げられてしまった。
一瞬、心臓が飛び跳ねたが、あまり自慢できない経験が徐々に自分に平常心を取り戻させる。

首にあてられたのはナイフらしいが、刃ではなく背を突き付けているらしい。
何より、殺気は感じられない。
恐らく、この行為が本位ではないのだろう。
しかし、監視カメラが設置されているゲートからの距離を計算していること、オレに逃げる隙を全く与えないことから、こういう状況に慣れている奴であることも分かる。
オレより幾分か背が低く、歳もいくつか若そうだ。
そして、何よりも良く知るこの質感―。

とりあえずは、真の敵かどうか見極めが必要だ。
オレは、おとなしく従うことにした。



「勝手なことはするな。
オレの質問にだけ答えろ」

「…了解」



オレの従順な態度に満足したのか、手首を掴んでいた力が幾分か和らぐ。
しかし、逃げる余地までは与えてくれない。



「お前、ミホシ・ラボラトリーのハマダだな」

「あぁ」



肯定すると、男は安心したように大きな息を吐いた。



「頼みがある」



人にものを頼む態度じゃないよな。

いつもならそう返すところだが、今は出来なかった。
その声に、切迫した緊張と悲壮を感じたのだ。



「或るドールを探して欲しい」

「…ドールったって―」



超高級品とはいえ、一般供給が始まって1世紀を迎えようとしている現在、世界中のドールは把握しきれない。
特に、発注者つまりは所有者の個人情報に深く関わることになる為、個々のドール情報は業界内と言えど共有はされていない。



「ミホシ製だってなら、まだ可能性はあるけど」



ドール業界の実状を知るからこそ、安請合はできない。



「―どこのドールかなんて知らねぇ。
けど、曰く付きっぽいから、あんた達の世界では有名なんじゃないかな」

「曰く付き?」

「あぁ、亡霊に好まれるドールなんてそうそういやしないだろ」



嘲笑気味に吐き捨てられた言葉が理解できない。



「亡霊って………?」

「『アベタカヤ』を探して欲しい」



その名を聞いて、オレは固まってしまった。

探すまでもなく、顔も所在地も所有者も全て知っている。
そして、男の言う通り確かに『曰く付き』のドールだ。
アベは創設者であるミハシ家所有のドールである為、他の職員は誰一人として口を挟まないが、特異な存在であることは誰もが知っていた。
レンには変な心配をかけたくないから黙ってはいるが、創設時に造られたドールが今だに稼働しているなんて通常では有り得ない。
また、家族として存在するドールに別の姓を授けるのも不思議な話だ。
現在の所長であるカノウ氏が黙認しているのだから、他人には分からないミハシ一族の事情があるのかもしれないが…。



「………分かった。
探せるだけ探してやるよ」



心の中でレンに謝りながら、嘘を吐いて承諾する。
別に命乞いの為に請け負ったのでも、好奇心の為でもない。

もし、オレがここで断ったとしても、アベが近い将来には不穏な事態に巻き込まれるのは予想できる。
たとえ今オレを捕らえている男を返り討ちにしても、仲間がいないとは言い切れない。

それなら、しばらくは近くで様子を見ている方が得策のような気がしたのだ。

何より、レンへの直接的な危害は自分が止めてやれる。



「ただし、多少の時間はもらうぞ。
オレだって仕事があるし、周りに怪しまれちゃあんたにも不利だろ?」

「…仕方ない。
が、出来るだけ急いでくれないか」



先程までと違って、声に弱々しさを感じる。
この男は今どんな顔をして話しているのだろうか。



「時間が…無いんだ…」


気がつけば、オレの腕を拘束している手が震えていた。
相変わらず冷たいのに、少し汗ばみつつある。



「おい―」



大丈夫かと声をかける前に、締め上げられた腕が急に解放され、同時に背中に重みを感じた。



「ど、どうした?!」



倒れてきた身体を慌てて抱き抱える。
オレの声に反応した男は黒い瞳をうっすらと開いたものの、またすぐに閉じてしまった。
想像以上に小柄で細いことにも驚いたが、酷い熱と発汗の方が気になる。



「おいおい、いくら頑丈でもこれじゃ中がやられちまうぞ」



招かれざる来訪者を背に担ぎ、急いで部屋に帰った。



それから夕方になった今でも、ヤツは幼い顔で無防備に熟睡したままだ。
熱は完全にとはいかないが、ある程度下がった。
あまりやりたくはなかったが、どこにも連れて行けない以上背に腹は代えられず、自分のできる範囲で応急処置は施した。
他にも処置が必要だが、当の本人に確認してからだ。
食事は用意できているから、あとはただヤツが起きるのを待つだけだった。



「…一体、何があったってんだよ」



聞こえないと分かっていても声に出してしまう程、オレはずっと嫌な予感に苛まれている。

時間がない、とヤツは言った。
誰にとっての時間だろう。
もしアベのことを指しているのなら、オレは今直ぐにでもレンかアベに連絡を取るべきなんじゃないだろうか。
しかし、この一言で無暗に動き回るのは、リスクが高過ぎる気もする。
反ってレンを危険に晒し兼ねない。

もっと情報が必要だ。
落ち着け、急ぐのは「できる限り」との約束だ。
一刻を争うのなら、コイツが気を失うことはないだろう。

それでも逸る気を消し切れず、オレは四度目の溜め息を吐いた。



―――――――――――――――――――――――



仕事が終われば必ず足を運ぶショットバー。
今夜はいつにも増して閑散としている。
けれど、私はこの寂れた空気がなぜか好きで、旨くも不味くもないアルコールを体内に流し込んでは当日に得たデータを整理していた。



「相変わらず日本酒ですか、ネエサンは」



聞き飽きた声に振り向きもせず、私はグラスを空け追加オーダーしてから答える。



「君は相変わらずスコッチ派なの?
自称お洒落なサラリーマンのシマザキ君」



自称とは傷付くなと言いながら楽しげに笑った男は、私の隣のカウンター席に座った。



「前にも言ったけど、ネエサンは止めてよ。
貴方の方が年寄でしょ」

「の割には、君付けで呼ばれてますが?」

「貴方に貫禄がないからよ」

「キツいなぁ、やっぱり『ネエサン』だ。
バーで日本酒飲む人に、ケチ付けられたくないなぁ」



いつものうさん臭い笑顔を浮べて、シマザキは予告通りスコッチをオーダーする。



「貴方、ちゃんと仕事してるの?」

「やだなぁ、人を見掛けで判断しちゃいけませんよ。
今年に入ってから、やたらと忙しくてね。
年内に世界一周はできそうですよ」

「距離だけなら、ね。
貴方が国外に行くなんて、特例中の特例だもの」



この男は表向き政府の官吏だが、実際は無きトウセイ・ラボラトリーの任務を負っている。
政府との契約にも盛り込まれているので非合法ではないが、それこそ特例中の特例たる存在だ。



「最近のリサイクル・ドール狩りは如何ですか?」



どうしてこの男は、いつもこうなのだろう。
人の神経を故意に逆撫でして、反応を楽しむ性癖でもあるのだろうか。
その内、どこかで返り討ちにでも遭えばいいのに、と本気で思う。



「あんなの狩って食らっても、美味しくも何ともないわ。
だからと言って、飼い慣らす趣味も飼い慣らされる趣味もないわよ。
貴方と違って、ね」

「それが監理局職員の言うセリフかね」



運ばれたスコッチを半分呷って、シマザキは愉快そうに肩まで揺らして笑った。
これ以上、暖簾に腕押しの彼を相手にするのは、精神衛生上好ましくない。



「仕事の邪魔をされたことだし、もう帰るわ」

「おや、それは失敬。
女王様のご機嫌を損ねてしまったかな」

「えぇ、とても」



結局、最後の一杯は一口も飲まないままシマザキのグラスに注いでやった。



「どうぞ、独り寂しく楽しい一時を」



皮肉たっぷりの笑みを見せてから、ドアへと向かう。



「ネエサン」


引き止めるシマザキに足を止めたのは、彼の声が浮ついていなかったから。



「リサイクル・ドールに変なヤツが居たら教えて下さいよ」

「変なヤツ?」

「まだ見ぬ待ち人なんで特長なんかもさっぱり分からねぇが、処分前に逃走したドールがいるんですよ。
もしかしたら、逃走じゃなくて盗難に遭ったのかもしれませんがね」



シマザキが依頼してくる案件は、政府の仕事ではない。
だから、私には断ることはできない。



「…精々、私の勘の良さを祈っておいて頂戴」

「大丈夫ですよ。
ネエサンの勘で無理なら、誰にも捕まえらんねぇ」



再び浮ついた声に戻った彼にはそれ以上答えず、私は扉に手を掛けた。



―――――――――――――――――――――――



アベ君。
人もドールも、独りでは存在し得なくて。
だからこそ、繋がりの糸は成長するごとに増えて複雑に絡まり、多くの人達と出会ってゆくのだけれど。
何ものにも代え難い一本を守る為に他の糸を切り離してしまうのは、生きるものとして間違っているのだろうか。

けれど、もしそれで君を失わずに済むのであれば、オレはきっと何の躊いもなくその道を選ぶんだ―。





080407 up
(120108 revised)






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