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アベミハ獣医シリーズ(完結)
錯綜



ヤツの運転は言葉通り静かで、安物の車に乗っているのが嘘みたいだった。
そんな心地良さに包まれながらも、胸の奥に生成された黒い固まりは時間と共に膨れ上がっていく。
今朝、会場に向かった時は、オレが運転をして、寝坊したヤツは助手席で朝メシを食って。
妙に接近した隣の席にどぎまぎしながら、それでもちょっとした幸運だ、などと馬鹿のことを思っていた。
今も朝と同じ二人だけの空間なのに、浮ついた気持ちはちっともなくて、やるせなさだけが募っていく。

なぁ、あの男も、篠岡も、ホントはお前の何なんだよ?
オレには関係ないって言いたい訳?
なら、お前にとってのオレって何?
都合のいい営業担当でしかないのか?

理不尽と分かっていても、責めるような言葉しか頭に浮かばない。
コイツは、オレの気持ちなんて何も知らないのだから仕方ないのに、自分だって駆け引きの一つもできないくせに、オレばかりが損な気分を味わっているような気がしてならないのは何故だろう。



「阿部君ち、どこだっけ?」

「え…、あ、」



そうだ。
コイツ、オレのアパート知らないんだっけ?



「……分かんね」

「へ?」



泥酔状態でタクシーの運転手を困らせるオヤジのようなことを言ってみたのは、多分甘えと先ほどまでの報復だ。
けれど、言ってから少し後悔する。
ちょっと抜けてるヤツだから、水谷あたりに電話して住所を聞くとか言い出しかねない。



「……あのさ、」

「そ、か。
じゃ、オレんちにとりあえず行こ、か。
まだ明るいし。
阿部君、特に用事 ない?
ないなら、酔いが覚めるまで、いたらいいよ」



驚いた。
そんなまともな答えが返ってくるとは思わなかったから。

もしかしたら、寂しいのか。
結婚しても、しばらくは篠岡が仕事を辞めることはないらしいが、昔からの付き合いならそんな気分になってもおかしくないもんな。
それに、二人はもしかしたら……。

そこまで考えて、また苛々する。
嬉しいヤツの申し出も、今や慰めにもならない。
それどころか、今まで篠岡との話を一度もしてもらえていなかったことを思い出し、まるで隠し事をされたような気になって被害妄想が広がる一方だ。

診療所に着くと、先ほどと同じようにヤツの肩を借りて車を降りなくてはいけなかった。
どれくらい飲んだのか、今頃になって数えてみたけれど覚えていなかった。



「ほら、阿部君あがって」



得意先のドクターに、靴まで脱がさせて介助してもらう営業マンなんてきっとオレくらいだろう。
けれど、今はそれくらいしてもらっても罰が当たらないんじゃないか、なんて拗ねてみる。
再び、自分の肩にオレの腕を回し、オレより小柄な身体で必死に支えてくれているのに、感謝の気持ちすら湧いてこない。



「阿部君、しっかりして。
あと少し だから」



オレのことなんて何とも思っていないくせに。
今のあんたン中は、篠岡のことでいっぱいのくせに。



「………あんたって、ホント何も分かってねェよな」

「え………?」



顔を見ることはできなかったが、息を飲むような雰囲気は分かった。
オレのことで動揺しているのかと思うと、少しだけ高揚感が得られた。
けれど、足りない。

あんたが、全然足りない。



「あべく…、ど したの?」



オレがどうしたって、関係ないくせに。



「どうしたか知りたいの、あんたは?」



リビングルームに向かう廊下の薄暗さが、理性や躊躇いにさえ影を落とす。
鈍い音とヤツの小さな呻き声で、自分の両手がヤツの肩を壁に押し付けていることに気付いた。



「あ……あべ、くん…?」



あんたが悪いんだ。
オレの知らないあんたを見せ付けるから。
そのくせ、傍でいつものようにオレに触れるから。
どれだけ想っても届かないのに。
どれだけ求めても応えてくれないくせに。



「痛い、よ、阿部君…」



オレだって苦しいよ。
息が出来ないくらいに。
死にそうなくらいに。
こんなに近くに居るのに、手に入れられないなんて。
けれど、離れることも出来ないなんて。
なら、いっそ。



「あべく―!」



無理矢理でも手折ってしまえばいい。
どうせ、諦められるわけがないのだから。

自分を正当化する為だけの理由を頭の中で必死に並べ立てながら、ヤツの唇に自分のそれを重ね、貪る。

強奪の幸福と最悪の失態が招くものが何であるか。
そんなことを考える暇を与えるほど、甘美な誘惑も幼稚な欲望もオレに優しくはなかった。




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