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アベミハ獣医シリーズ(完結)
真意



昔、飼っていた黒のラブラドールが怪我をした時、何も出来なかった自分が悲しくて。
そんなオレを慰めながら怪我を治してくれた獣医さんが、すごく大きな人に見えて。
それから、オレは獣医になろうと決意した。

学校を経営する祖父には大反対されたけれど、それでも夢を捨てることは出来なかった。
幼馴染のシュウちゃんは、そんなオレをいつも励ましてくれた。
難しいことは分かんないけど応援してっからって、笑って言ってくれた。
そして、高校で出会った篠岡さん。
彼女は、自分も同じ夢を持っているのだと言って、ずっと一緒に居てくれた。
最初に、教室で意気投合してからというもの、気がつけば、登下校も勉強をするのもいつも一緒だった。
それを知った祖父は、更にきつく当たるようになった。
オレは平気だったけれど、一度篠岡さんがオレの家で一緒に勉強していた時に祖父がやってきて、彼女をひどく非難したのが悲しくて。

その日以来、彼女と距離を置くようにした。
篠岡さんは何も言わず、オレの意を汲んでくれたのか、ただのクラスメイトとしてオレと接するようになって。
自分で決めたことなのに、泣きたいくらい後悔した。
それでも、引き返すことは出来ないから。
オレは、その寂しさを紛らわすためにも勉強に没頭した。

そして、祖父が突きつけた国公立大でないとゆるさないといった難題を、3年の冬にどうにか突破できた。
なのに、虚しさは拭い去ることはできなかった。

それから、数ヵ月後。
入学式の日、「どうにか追いついた」って声をかけてきたのは、紛れもなく彼女で。
「間に合わなかったらどうしようかと思った」と、以前と変わらぬ明るい笑顔で、オレに手をさし伸ばしてくれた。

卒業後、開業すると言ったオレに、手伝うと即答してくれた篠岡さん。
いつまでも厄介をかけていられないと一度は断ったけれど、結局、彼女にはその後もずっと助けられっぱなしで、何も返すことができないまま、彼女の門出を祝福する日を迎えてしまった。

彼女を女性として好きだったのか。
今となってはもう分からない。
自分のことで必死になりすぎて、確認する間もないまま遠い記憶が薄れてきているから。
大切だと思う。
誰よりも幸せであって欲しいとも思う。
今まで迷惑をかけた分、オレのことばかり優先してくれていた分、もっと自分自身を大切にして欲しいと思う。

けれど、それも今一番に思い続けていることではないのを自覚している。
そう、オレはまた自分のことしか考えていない。
もしかしたら、ほんの一瞬でも彼女が居たかもしれない心の中に、今はあの人が存在している。
そして、あの人をどうにか引き止めておけないものかと、どこかで思案している。
あの人を困らせずに、けれど自分も傷つかずにいる方法。
いつも、そんなズルイことを考えている。

だから、さっきのはちょっと許せなかった。
冗談でも本気でも、彼はきっと平気だろうけれど、オレには大問題だったから。
そして、問いに答えてくれなかったのも辛かった。
オレは我慢できるけれど、答えられなかった彼はきっと苦しんでいるから。

それでも、君の手は離したくないんだ。
そんなことを言えば、あの人はどこかへ行ってしまうだろうか。








気がつくと、そこは冷たい床の上ではなく、柔らかく暖かなベッドの中で、オレは思わず飛び起きた。
まさか、あのまま押し倒してヤツを無理矢理襲ってしまったのかと慌てたが、隣にはヤツはいなかったし、人の気配も残っていなかった。
安心した途端に吐き気に襲われて、トイレへと向かう。
寝室に入ったのは初めてだったが、廊下に出れば勝手知ったる家の中だったので、迷わずに済んだのは幸いだった。
胃の中を空っぽにした後、嗽ついでに顔を洗う。
ふと鏡に映った酷い顔とよれたシャツに気付いて、嘲笑を浮かべる。
アルコールがすっかり抜けた今の自分は、先ほどの失態に怒りを通り越して呆れていた。

廊下に出て、外が暗くすっかり夜になってしまったのだとようやく気がつく。
大分、平常心を取り戻してきたのか、周囲の状況の把握に視覚と思考は働き始める。
寝室とは反対方向の廊下の先に灯りが零れているのを見つけた。
ヤツは診察室にいるのだろう。
あんな酷いことをしたのに、自分をベッドまで運んでくれた優しさに惹かれる共に、苦い罪に苛まれた。

まだ顔を合わせたくなくて、もう少し寝たふりをしていようか、などと思案していると、灯りの方から話し声が聞こえてきた。
今日は休みなのに、誰が来ているのだろう。
水谷や篠岡が来ることはないはずだ。
オレは、忍び足で診察室に近づいた。



「すみません、無理を申し上げてしまって…。
社長は一度言うと聞かないものですから」

「いえ…、急病に 休みは、ないですし、ね。
秘書さんも、大変ですね」



意味不明の母音が飛び交うことなく、そんな返事ができるということは、何度も訪れているクライアントだろう。
ドアは完全に閉められていなかったので、ヤツとクライアントがこちらに気がついていないのを確認してから、中を覗いた。
診察台をはさんでヤツと向かい合うように、秘書と呼ばれた背の高い男が立っている。
クライアントは、大きな茶色いミックス犬だった。
高齢なのか体調が悪いからなのか、反応が悪いように思う。



「非常に…申し上げ、にくい のですが…、緩和ケアしか、方法は…」

「そうですか…」



そのとき、重い空気を破るように携帯電話が着信を知らせた。
どうやら秘書の電話だったようで、ヤツに謝りながら慌てて応対する。



「あ、社長。
はい、今診ていただいていたのですが、やはり手遅れだったようでして…。
………は?今、何と?
し、しかし、……ですが、…あ、いえ、そんなつもりでは。
ですがっ、―はい、了解いたしました……」



秘書の様子を見ることなく、ヤツはクライアントの頭を何度も優しく撫でながら何かしら声をかけていたが、電話が終わると、そっと顔を上げた。



「す、すみませんでした。
あの、先生、それでですね、」

「社長は、何と…仰っていました か?」

「それが、………ケアは不要、だと、」

「でも、いつもなら、そんな、」

「そうなのですが、その……雑種には、金をかけられない、と……」



状況が状況でなければ、オレは診察室に入って男の胸倉を掴んで文句を言っていただろう。
雑種とか血統書付だとか、人間が勝手に作った物差しで命まで計られてはたまったものではない。
犬は人間の為に生まれたわけではないのだ。
苛立ちを抑えながら、オレはヤツの返事を待った。
医者として、どんな答えを出すのだろう。
不謹慎と思いながらも、ほんの少し興味に似た感情が湧いた。



「……そうですか」

「それで、その、本当に先生には申し訳ないのですが、あの、この子の……処分も、その、先生にお願いしたいと……。
本当に申し訳ございませんっ」



この男、正気か?
社長の命令とはいえ、動物の命を救うためにいる医者に「命を奪え」と言うのか?

戻っていたと思った平常心はどこへやら、オレは我慢の限界を悟り、診察室の扉を思い切り開けた。
少しふら付いたが、お構いなしに男の肩を力任せに掴んだ。



「おい、いい加減にしろよ!」

「あ、阿部君っ?!」

「命を救うためにいる医者に殺せってのかよ?!
なら、てめぇの手で殺ればいいだろ!!
コイツはご都合主義のあんたらの為に、医者やってんじゃねぇんだよ!!!」

「す、すみませんっ、すみませんっ!」

「阿部君!」



ヤツの白い手に腕を捕らえられて我に返ると同時に、夕方の醜態がフラッシュバックし、思わずヤツから顔を背けた。



「すみません、失礼致しました」

「い、いえ、失礼なのはこちらの方ですから!
この方のおっしゃることは最もです」



男は誠実な人間なのだろう。
オレにも改めて頭を下げるものだから、オレは更に居た堪れなくなってしまった。



「社長には、もう一度話します。
あまりにも非常識なことを申し上げてしまいました」

「ま、待って下さい!」

「はい?」

「あ、あの、え、と…う、あ、」



先ほどまで流暢に話していたのに、ヤツはいつものように挙動不審になっている。
どうしたのかと様子を見ていると、思いがけないことを提案した。



「その、あのっ、さ、さ差し出がましい、のです が。
その、こ、この子……い、いただく訳には…いけませんか?」

「は?」



どういうつもりだろう。
そんなことをしても、病気が治るわけでもないし、治療費を払ってくれる訳でもないというのに。



「お、オレ…が、その、責任を持って、最後まで世話 します、から…」

「…よろしいのですか?」

「は、はいっ。
オレ、動物 好き、なので」



ありがとうございます、とヤツに先に頭を下げられ、秘書の男はオロオロしていた。
その様子を見ていて、オレは可笑しくて仕方がなかった。

そうだ、コイツただ動物が好きなだけなんだ。
金だとか、立場だとか、そんなことどうでも良くて。
助けを求めているものに、手を伸ばさずにはいられない。
医者として、否、人として当然のことを、当然にやってのけているだけなんだ。
そして、そんな不器用で真直ぐな動物バカが堪らなく愛しいと、オレは再認識した。




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あきゅろす。
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