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アベミハ社会人シリーズ
1)



星の見えない夜空に、イルミネーションで輝く街路樹。
本当ならば胸を躍らせるはずだった光景に悲しさを覚え、恐らく昨日の夜なのだと確信する。
だから、少し先に見える黒いコートの後姿が誰のものであるか、三橋にはすぐに分かった。
けれど、コートに触れることも、声をかけることもできずにいる。
その後姿が、誰かの肩を抱いているからだ。
そして、それが誰なのかも三橋には見当がついている。



(…ヤ…だ………、見たく、ない よ…)



夢だと分かっているのに、目を覚ますことも、視界を遮ることもできないもどかしさにおかしくなりそうだ。

気がつけば、黒いコートの袖を、細くて白い指がしっかりと掴んでいた。
その指より上には、黒いコートの肩より低い位置で小さな白い肩が見える。



(あぁ、やっぱりアノ人だ…)



これは、きっと昨日の出来事の続きだ。

やがて、それらの白は黒の大きな背中に総て取り込まれるように三橋の視界から消えた。
見えなくなることを望んでいたのに、絶望に突き落とされる。
同時に、見慣れた天井が目に飛び込んできた。










〜regret morning〜



「お〜っす、泉!」

「…ウス」



昨夜は姉や女友達から大量にチョコレートをもらい、上機嫌で出社してきた田島の明るい声は、目を向けることもなく返事をする泉のどす黒い声に塗りつぶされた。



「うわっ、どした?!なんか怒ってんの?」

「怒ってる」

「チョコもらえなかったとか?」

「何の話だ」

「あ、今日三橋休みだって」

「知ってる」

「腹減ったの?」

「減ってない」

「何かあったんか?」

「あったかどうか、分かったら教えてやる」

「………」



泉の言葉がそれ以上の問答を避けるように聞こえたので、田島は仕方なく追及を止め、自席に着いた。
解放された泉は、そのまま阿部の席を睨み付ける。

昨夕、仕事を終えた後、阿部にチョコレートを渡し兼ねていた三橋をどうにか阿部に押しつけて、自分は先に帰った。
二人はうまくいっただろうかなどと考えていたが、結局その日は音沙汰がなく、翌朝の三橋からのメールで落胆する。
欠勤するとの連絡だったのだが、その文面がいつもと違うことに泉は嫌な予感を覚えたからだ。

阿部は何か知っているのだろうか。
それとも、阿部自身が原因なのだろうか。
見つけたらすぐに問い詰めようと泉は意気込んで出社したのだが、生憎阿部は得意先に直行なのだから、余計に苛立ちが増す。



(もし、アイツが三橋を泣かしたんなら―)



許せない。
一発殴るくらいでは片付けられない。
そして、阿部をほんの少しでも許してしまった自分をも責めることになるだろう。



(三橋、どうしてっかな…)



少しの後悔が混じった不安な気持ちに、泉は一日中悩まされなければならなかった。










〜lost night〜





薬はどうにか服用できたが、熱は高いままのようだ。
部屋の暖房も入れたのに、寒気が治まらない。
浅い眠りの繰り返しも、怠い身体に余計に堪えた。



(仕事、行きたかった な…。
でも、阿部君に会うのは、ちょっと ツラいかな………。
なのに、顔が見たい。声だけで良いから、聞きたい…って、…阿部君は 迷惑だよ、ね)



昨日の三橋は、舞い上がっていた。
泉が助け船を出してくれて、どうにか阿部と二人になれた帰り道。
白・青・黄・赤、様々な色で街を輝かせるイルミネーションにも浮かれていた。
阿部に渡すチョコレートのことばかり考えていてうっかり手袋を忘れた三橋を、呆れるように見ていた阿部は「仕方ないヤツ」と笑ってから、手を握ってくれた。
その手にはクリスマスに自分が渡した手袋をしてくれていて、嬉しさが倍増する。

奇跡だ、と子供のように本気で思った。
それなら、今日だけはいつもと違う自分でいられるかもしれない。
彼にちゃんとチョコレートを渡せるかもしれない。
三橋が決心して、デイバッグから箱を取り出そうとしたその時だった。



「タカ!」



そう誰かが叫んだ。
本来なら三橋は聞き流していたところだろうが、阿部が明らかに反応し足を止めたから、その声が頭にこびりついた。



「阿部、君…?」

「あ…悪ィ、何でもねぇよ、行こうぜ」

「待ってよ、隆也!」



再びその声は、先程よりも近い距離で背後から届いた。
三橋が怖々と振り返ると、ストレートのショートヘアがよく似合う、小柄な可愛らしい女性が、今にも泣き出しそうな顔で阿部を見ている。
ファーの付いた白いコートと同色のブーツが暗闇によく映えている。



(阿部君を、呼んだの…?)



阿部に声をかけようととしたが、出来なかった。
彼が酷く苦しげな顔をしていて、それを見た日をすぐに思い出してしまったから。



「お願いだから、少しだけで良いから…!
話…させてよ…」



彼女はそう言って、今度こそ本当に涙を零した。
何故か自分のことのように、三橋の胸が痛む。



「あ、阿部く―」

「行こう」



阿部は一度も振り返らずに再び歩き出す。
三橋は引き摺られるように従ったが、彼女が気になってもう一度振り返る。
必死に阿部に呼び掛けていた彼女は、しかし、それ以上は追い掛ける様子もなく俯いて泣いていた。
ショルダーバッグの紐を握り締める白い指が痛々しい。
阿部の表情に視線を戻した三橋は、どうにも堪らなくなって立ち止まる。


「三橋?」



(オレは、バカ…なのかな。
…ごめんね泉君、それでも、オレは………)



三橋は精一杯笑顔を作って、阿部を見上げた。



「ごめん、なさい。
オレ、用事思いだした、んだ」

「は?」

「寄らなきゃいけないトコ、あったんだ。
ホントに、ごめんなさい………それじゃっ」

「あ、おい!三橋―?!」



自分から離した手が急速に冷えていく。
振り返らずに全速力で走る行き先は、自分でも分からない。
けれど、立ち止まってはいけない。
絶対に見てはいけないし、見たくはないから。
そして、彼女と同じように溢れ出す涙を止められないのを知られたくなかったから。



(ちゃんと、アノ人と…話、できたかな…。
阿部君、今日は笑ってくれてる かな…)



そうだと良い。

元々、自分になんて望みはないと最初から思っていた。
だから、せめて彼の笑っている幸せな姿を見ていられたら、と視線だけは彼を追っていた。
昨日までのいくつかの思いがけない幸せの時間は、泉や田島が作ってくれたものだ。
自分は何もしていなかったのだから、本来在るべき状況に戻っただけなのだ。



(なのに…、泣くなんて…ヘンだよ………)



こんなに寂しくて辛いのは、熱のせいだと思いたい。
自惚れるな、身の程を弁えろ。
彼との思い出は大切にしまっておいて、以前のように彼の幸いを祈っていよう。
そう自らに言い聞かせても、次々に零れ落ちる涙の数は増していく一方だった。





080211 up
(111113 reprinted)


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