tale
Boy meets futureA
オレは三橋に導かれるまま近くの公園に移動し、ベンチに腰掛けた。
未だに信じられない。
ていうか、常識人として信じてはいけない気がした。
三橋の説明によると、ここは群馬、らしい。
どこまでふざけるのかと怒り狂いそうになったが、事実、オレはこの場所を知らないのだから辻褄が合うし、反論のしようがない。
そして、もっと信じたくない事。
三橋は三星学園中等部の野球部員だという。
昔、映画か漫画でそんな話があったような気がするけれど、現実に起きたらいろいろマズいんじゃねェ?
オレがいた場所は、今どうなってんだ?
三橋は無事だったのか?
とりあえず、元の場所に戻りたいんですけど…。
誰にぶつければいいのか分からない怒りのような感情が込み上げてくる。
「あ、あの」
自販機から戻ってきた三橋が、スポーツドリンクのペットボトルをオレに差し出す。
「あ、わりぃな」
オレはありがたくいただくことにした。
三橋は相変わらずオレに怯えているが、素直に受取るオレを見て僅かに緩い顔をして、オレと少し距離をとってベンチに座った。
確かに、目の前の三橋はオレの知っている三橋より小柄に感じた。
そして何より、その眼が今の三橋と決定的に違う。
野球部に見学に来た時、最初に見た三橋の眼だ。
眼を合わさない、それでも人の顔色ばかりうかがう、卑屈で悲しい眼。
こうやってみると、今の三橋はかなり明るくなってきたと思う。
目も少しずつ合うようになったし(オレん時はまだよく逸らすけど)、他のメンバーともうまくやっていきつつある。
「あ、えっ…と…」
「あ?何?」
三橋が何か言いたげにしているのに気付いて、できるだけ優しく聞く。
「か、身体…、平気です、か?
あ…と 病院、とか…」
視線は地面に彷徨わせて、オレに尋ねる。
怯える割には、見知らぬ人間に親切なんだな、なんて思った。
「ん…、身体はもう平気だけど…」
実際、肩や背中の痛みは時間と共にかなり薄れてきた。
しかし、問題はそんなことではない。
身体が云々以上に恐ろしい事実が、目の前に横たわっているんだよなぁ。
改めて中学生の三橋を見る。
やっぱ、今の三橋とは違うなぁ。
ちょっと小さいし。
年下だと思うと、キョドったり怯えたりされてもあんまムカつかねぇな。
「あ、……え、う……」
あまりにもオレが見ていたからか、三橋はいたたまれないとでも言いたげに身体を小さくする。
ああ、三橋に感心している場合じゃなかった。
けれど、どうすればいいんだオレ…?
いつまでも三橋を引き止めておくわけにはいかないが、解決への糸口が全く見つからないこの状況で一人になるのは正直、非常に心もとない。
だからと言って、漫然とこのままって訳にもいかないだろう。
再び三橋を見やる。
オレの視線から解放されて安心していたのか、スポーツドリンクをがぶ飲みしている。
「三橋…君」
せっかく気を遣って「君」付けで呼んでやったのに、、三橋は驚いたのか思い切り咽た。
そんなに驚かなくてもいいじゃねえか…。
「…くっ…う、は はい?!」
「ちょっと投げてみせてよ」
現実逃避だ、と我ながら呆れた。
けれどここで悶々と悩んでいるよりいっそ身体でも動かしていたくて。
それならやっぱり三橋の球を受けたいと思ったから。
今の三橋の球も見てみたいと思ったから。
「え?! む、無理!
無理、です!!」
言うと思ったぜ。
「でも、投手なんだろ」
「何、で……?」
「背番号」
あ、と三橋は自分の背に目をやろうとする。
きっと、今日はどこかで試合でもしていたんだろう。
そして、一度も勝てなかったと言う三橋の言葉が正しいのなら、今日も負けたのだ。
でも、投げることは何よりも好きだろ。
オレは、自分のスポーツバッグからミットを出す。
「お前、ボールもグローブも持ってんだろ」
「け、けど……!!」
「『けど』何?」
三橋は俯いてしまう。
今日の苦い記憶でも思い出しているのだろう。
「お、オレ は…ダメピ だか、ら」
「んなことねえよ」
「ほ、ホントに、本当 なんです!」
でも…
「エースなんだろ」
お前は、俺が認めた投手だから
「そ、それ は」
「あ゛〜!何でもいいからとにかく投げろ!!!」
ダメなんて言わせねえ。
今の三橋にはオレがかなり怖かったらしい。
慌てて、バッグからボールとグローブを出してきた。
18.44m。
オレと三橋の定位置。
測らなくてもオレたちには分かる。
「ただの遊びだから、気楽に投げろ」
「あ、あの…」
「あ?」
三橋は身体を萎縮されている。
オレに落胆されるのが怖いのだろう。
今は悲惨な環境の中、苦しい思いばかりしているのだから当たり前だ。
「お、オレの…球…」
「遅ぇんだろ、知ってる」
「え?! どうし…て ?」
「見たから」
そう言うと、三橋の顔は急激に蒼褪めた。
自分の散々なピッチングを見られた、そう思っているんだ。
「だから、何も気にすんな」
オレはしゃがみ込んでミットを構えた。
三橋はグローブを胸の辺りに止めたまま動かない。
きっと、今日も嫌な目に遭ったんだろうな。
そんなピッチングを見ておきながら、何で投げさせるんだろうって思ってんだろ?
でも、お前は本当に良い投手なんだ。
オレがそれを絶対に証明してやるから。
「三橋!」
三橋は大きく肩を震わせる。
「投げんの、好きなんだろ!」
ほんの少しだけ、顔が上がる。
「好きなことを躊躇すんな!」
オレのミット目がけて、しっかり投げろ。
三橋の目が、前を見据えた。
ああ、やっぱりその目は今と全然変わらない。
真剣で真直ぐで、とても強い眼差し。
投げろ、三橋―
―パン!!
オレのミットは大きな音を発した。
今の三橋よりは威力がやや弱い。
けれど、あの「まっすぐ」の球は既に独特の軌道を描いている。
オレがいつも受けている、お前の最大の武器。
三橋はというと投げた後、また俯いてしまった。
まるで、入学式の日を繰り返しているみたいだ。
オレたちは、あそこから始まったんだ。
「三橋!」
三橋は驚いて顔を上げる。
オレは、ボールを三橋に投げ返した。
「ナイピ!もう一球!」
三橋はきょとんとしている。
何が良いのか、本人には全く分からないのだ。
しかし、今度は躊躇わずに投げてくる。
先ほどと寸分違わぬコースに沿って。
オレは嬉しくて結局10球も投げさせていて、投手のコイツに惚れ込んでいるんだと改めて思い知る。
立ち上がって三橋に近づくと、急にオロオロし始めた。
「あ、あの…あ、の」
何か怒られるとでも思ったのだろうか。
「やっぱお前、スゴイよ」
そう言ってやると、心底驚いた顔をした。
コイツはまだ、自分の実力を分かっていないから。
「う、…で も、オレ、は」
「お前、良い投手になるよ」
お世辞でも何でもない。
今でも本当にそう思うのだ。
三橋のグローブにボールを返す。
不意に、三橋の肩が震えだした。
大きな目にいっぱいの涙を浮かべている。
「……お前、本当によく泣くなぁ」
「だ…て、そんなこ、と 言われたこと、なく て…」
そう言って、とうとう涙を零した。
三星の連中に虐げられている今の環境。
今日もきっと、アイツたちに酷いことを言われただろう。
高等部に行くことも、既に諦めているはずだ。
こんなに一生懸命に投げているのに、こんなに才能があるのに。
三橋は、まだ孤独の中にいる―。
「三橋、手貸せ」
「…ふっ、ぐ……へ?」
オレは無理矢理三橋の右手を握った。
冷たいタコだらけの手。
今の三橋よりほんの少し小さいけれど、今と変わらぬ努力を続ける右手。
傍にいてやりたい。
今すぐにでも、お前と野球をしていたい。
けれど、オレはここにいる存在じゃない。
ごめん―。
謝るのも変だけれど、ずっとこの手を掴んでいてやれないことが悔しい。
「約束するよ」
「ふ 、ぇ…?」
「お前を本当のエースにしてやるよ」
三橋は驚きで、泣くのを止めてしまった。
オレの言っている意味、分かるわけないもんな…。
「西浦、来んだろ」
三橋は二重の驚きで口をパクパクさせている。
どうせ、ありえない世界。
俺が何言ったって、何も変わりはしない。
けれど、伝えておきたい。
「西浦でお前のこと、待ってるから」
「オレ、を?」
頷くと、三橋は呆然とオレを見る。
「で、でも、オレ…評定×、で…」
「今からしっかり勉強すりゃいいだろ。
そんで、来年は一緒に野球しよう」
せっかく止まっていた三橋の涙が、また溢れ始めた。
そっと肩を抱いてやる。
高校生の三橋よりも小さくて細い肩。
中学生の三橋は、オレの胸に顔を埋めた。
頑張れ。
もう少しで、オレたちは出会える。
そうしたら、オレは絶対にお前を離さない。
約束だ―。
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