[携帯モード] [URL送信]

tale
忘れ咲き



校舎裏のグラウンドに駆けていく野球部員の中に、オレは彼をすぐに見つける。
我が西浦高校の投手は、今日も機嫌良く投球練習に勤しんでいるようだ。

入部から半年。
当初、部員達は弱気な投手の力を半信半疑で見ていたが、共に過ごすうちにその才能に気づいていった。
今や彼に代わってエースになりたいなどと言う奴は居ない。
今夏は残念ながら2回戦で敗退したが、来年にはもっと投げられるようになっているだろう。

まだ幼さが残る小さな背中を見つめていると、成長という言葉から遠ざかって久しいオレは、時折微妙な気持ちになる。



「センセー、また野球部見てんですかぁ?」



職員室を通り掛かった女子生徒達に、そうからかわれるようになったのは数ヶ月前。
もう慣れたから、適当な返事を返すだけだ。

あの投手が来てから、オレの生活は一転した。
入学式当日、グラウンドを羨望の目で見つめていた少年。
ダメな投手だと泣きながら逃げようとした手を掴み、どうにか投げさせた一球。
その一球に魅せられ、オレはまるで何かに取り付かれたように、足しげく野球部に通い、彼の投球練習に付き合った。
現役時代に、満足のいく投手に出会えなかったからかもしれない。
運命だなんて馬鹿なことを本気で思えるくらい、必死になっていた。

けれど、そんな夢のような時間を、夏大直前で自ら止めた。
正捕手が決まったこともあるが、それよりも大きな問題があった。



「お、オレっ、先生好き だっ」



あどけない笑顔で、何の躊躇いもなくぶつけてくるその想いの奥に、本人も気づいていない、否、気づかないフリをしているのかもしれない深い感情に触れてしまった。
その気持ちを知りながら、教師として、OBとして、己を律し続ける自信なんて少しもなかった。

練習を止めると告げた時、彼は茶色の柔らかな髪と大きな目を微かに揺らして驚いていたが、何かを感じ取ったらしく、少し間をおいてから静かに頷いた。
オレはこの時、少年という生き物が大人より遥かに強かで、純粋で、残酷であることを失念していた。



「先生、お願い あるんだ」

「ん?何だよ?」

「オレ………、オレッ、絶対 甲子園行く からっ、だか らっ、」



迷いのない真っ直ぐな視線に捕らえられたオレに、逃げる術なんてない。



―ずっと、オレを見てて―



練習の最中、彼は時折マウンドから校舎を振り返る。
そして、オレを見つけると、帽子を取って大袈裟なくらい礼儀正しく一礼する。
その姿に、オレは苦笑しつつ軽く手を挙げる。
ここからはよく見えなくても、顔を上げた時の彼が嬉しそうに笑っているのを、オレは知っている。

もっと早く、アイツがこの世に産まれてきてくれていれば。
もっと早く、せめてオレが教師になる前に出会えていれば。
無駄に距離と時間をおくこともなかったのだろうか。



「あと2年半、この『檻の中』か。
………結構キツイな」



それでも、彼には夢を叶えて欲しいから、約束をしたから。
全ての枷から解き放たれる日まで、オレはここから少年を見守り続ける。





111020 up



[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!