アベミハ大学生シリーズ
10P
「そそ、それ…は………」
オレは既に食事を済ませたが、三橋はプリンを3分の1ほど残したところで硬直していたから少し申し訳ない気がした。
しかし、今更引っ込みはつかない。
三橋が困っている間に、こちらも頭の中で準備を進める。
オレが抱いている思いを、ちゃんと三橋が理解できるように伝えるのは容易ではないはずだ。
だから、噛み砕いて一つずつ説明しなくてはいけないと覚悟していた。
少しの沈黙の後、三橋のすすり泣く声が漏れてきて、オレは飛び上がりかけた。
自分が異常に緊張しているのだとようやく気がつく。
「………っ」
「三橋…?
なっ?!何で泣いてんだよ?!!」
一番恐れていた事態がやってきた。
昔に比べて泣くことが激減した分、三橋の涙にオレはひどく動揺するようになった。
緊張したオレが、怒っているように見えたのだろうか。
「言っとくけど怒ってんじゃねぇんだぞ、オレは!」
「…わ……って、る………」
じゃ、なんで泣いてんだよ?
オレには未だに田島のようなコミュニケーション能力がついていないから、何とかして三橋から言葉を引き出さなくては理解できない。
「オレ、キツい言い方した?」
できる限り優しく聞いてみるが、三橋は首を横に振るだけだ。
しかも、泣きやむどころかしゃくり上げる回数が増す一方で、オレは三橋にティッシュペーパーのボックスを渡しながら途方に暮れる。
「なぁ、三橋…。
頼むから、何か言ってくれよ。
傷付けるようなこと言ったんなら謝るから」
そんなこと一言だって言ったつもりはないが、とにかく話せる状況を作るくらいしか今のオレには為す術が無かった。
「三橋、」
「ごめ……ごめん、な…さ…っ……」
だから、なんで謝んだよ?
お前、何も悪いコトしてねぇじゃん。
「…レ、……ちゃん…と覚っ…悟し、てたの、に……ふっ…ぐ………」
覚悟って………?
嫌な予感と居心地の悪い羞恥心がじわりと背中を這う。
やはり、オレの淫らな願望は三橋に察知されていたのだろうか。
「い…いつ、か……そんな、日…くるって、思って…たのに………うっ……」
「………」
いつかって何だよ?
そんなにだだ漏れだったってことか?
今日までの自分の言動を思い付く限りふり返り、全力で総チェックをかける。
―そうだよな。
オレの様子が変だと思ってたって言ってたもんな。
てことは、今泣いてんのはやっぱそういうコトには抵抗がまだあって、覚悟を決めらんないって言いたいのか…。
三橋が嫌がるのは想定内だったはずなのに、オレは予想以上にショックを受けていた。
一生嫌だと言われたわけではないのに、泣くほどの思いをさせていることに絶望さえ感じてしまう。
「………別に、今直ぐなんて…思ってねぇよ。
大変なのは、お前の方なんだし…多分……。
でも…さ、その……なんでヤなの?」
掠れた声しか出なくて情けない。
その上、言っているのは女々しいし残酷なことばかりだ。
女のように扱われることになる三橋が、男として不憫だとか思っていたくせに、『何が嫌だ』とかよく聞けたものだ。
けれど、どんな形でもどんな言葉でも良いから、自分を納得させたい。
今はその身体に触れることを拒絶されても、三橋の傍に居ていい理由だけでも手にしていたいから。
しかし、三橋はそんなオレを許さないと言うかのように更に嗚咽を漏らす。
「…なぁ、オレは無理強いする気はないんだから、そんなに泣くなよ」
言いながら、実は自信が全く無い。
三橋が嫌だと言うならそれでもいいなんて思っていた自分は、今や跡形も無く消え失せている。
病院で手を握っていた時の満たされた気持ちは、二人だけのこの空間では何の足しにもならない。
逆に、おとなしく言うことを聞いてくれていた三橋に煽られたように、更に三橋を欲してしまっている。
もっと三橋を感じていたい。
もっと三橋を知りたい。
もっとオレを分かってほしい。
お菓子を貪欲にねだる子供みたいに、底無しの欲求は止まらない。
「でも、…それ……は、やっぱり…ダメ、だ…よ」
「なんでだよ?」
限界が近いというのに、それでも余裕がないと思われたくなくて虚勢を張ってしまう。
「自分の…気持ち、……嘘、ついちゃ」
三橋の言葉が胸に深く突き刺さった。
総論としては真実だ。
けれど、三橋は現に抵抗を示している。
元々従順な三橋を無理矢理組み敷くとか、オレは絶対にしたくない。
こんな時、真実を貫くより妥協が優しさということもあると言えば、偽善になるのだろうか。
「……別に、嘘ついてんじゃねぇだろ。
先延ばしにするだけ、なんだし…」
『先延ばし』とわざわざ口にするのはオレの悪足掻きだ。
「でも、……それ、じゃ、阿部君…に悪い、よ…」
「…だから、別に悪くねぇって」
「でもっ………可哀想、だ……カノジョ…」
「………」
はい?
今、なんつった?
「ごめ…ん、まだ……阿部、君…あ、諦め…らんない…けど、でも」
「………」
「でも、もう…ここには、来ない…から…」
今までの自分の行動を、どこでどうしたら三橋と同じ結論に至ることができるのだろうか。
通りすがりの垢の他人に街頭調査をしたって、コイツと同じ回答をする人間は一人だっていないはずだ。
だいたい、女の話だってこれっぽっちもしていない。
あまりにも突拍子もない発言に、今度はオレが固まった。
そんなオレとせっかく渡したティッシュペーパーのボックスを余所に、三橋は腕で数回涙を乱暴に拭い、大きな息を一つついてゆっくりと立ち上がる。
「い、今まで………、ありがとう…。
オレ、すごく…幸せだった………。
それは、本当だから…」
―あぁ、またやってしまった。
オレは力が抜けたと共に、反省と後悔を往復した。
三橋の泣き虫は治りつつあっても、マイナス思考は健在であることを忘れてはいけない。
この間だって話が食い違っていて、互いに無駄な神経を磨り減らしていたじゃないか。
オレは一つ大きく呼吸をしてから、三橋を引き止める為に立ち上がった。
「待てよ、みは―」
「や、ヤだ!」
三橋の腕に触れかけた手を、本人に思い切り振り払われた。
「ご、ごめ……、も……優し…く…しない、で…」
その言葉で、オレのフラストレーションが良識というボーダーラインを超える。
三橋もオレも、世界を反転させる。
そうさせたのは、もちろんオレで。
もうとっくに自分の限界は過ぎていたんだと、ようやく気がついた。
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