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ある不憫な青年のお話





 ――昔話をしよう。
 青年はおもむろに口を開き、ふっと微笑んだ。なぜ、今頃になって、しかも見ず知らずの女に言おうとしているのだろう。果たして言ってしまっていいのだろうかと逡巡していると、それを感じ取ったのか、女は笑みを浮かべて頷いた。
 そう昔というわけではない。しかしこれを過去と言わずにはいられなかった。そう思いたかった、というのが正しいか。
 今日出会ったばかりの女と公園のベンチに並んで座り、ただ前を向いたままでいる。二人の間に沈黙が続く。ベンチの両端に座り、会話をするでもなくいる自分達は決して恋人同士には見えない。だが、たくさん空いたベンチがあるにもかかわらず二人で座っているこの様子は、端から見れば奇妙に映るだろう。
「そう、昔。昔のことだ」
 いざ話そうとするも、どこから話せばいいのか。黙り込んだ青年から視線を外し、女はふう、と息を吐いた。
 一向に話し出そうとしないから苛立っているのか。しまった、と青年は女を振り向くと、彼女は空を仰いでいた。そこに負の感情は見受けられず、青年は安堵した。
 青年は前を向き、目を閉じる。そうだ、すべてを話そう。そうすれば、この苦しみから、過去のしがらみから解放される気がしたのだ。
「あれは、今日のような天気の日のことだった――」



 その日は雲一つない晴天だった。
 だが、そんな天気とは裏腹に、地上では煙が上がっている。
 絶えずあちこちで銃声がこだまし、時折悲鳴が聞こえてくる。それが仲間のものなのか、それとも敵のものなのかはわからない。もしかしたら、双方の声なのかもしれなかった。
 荒廃した大地。ここが戦場となったのは、数時間前のことだった。民家からはずいぶん離れた国境付近だ。
 青年は岩陰に隠れ、銃を手にしている。こちらが劣勢だろうと青年は思った。だが、双方とも、だんだんと疲弊してきているのがわかる。
 青年が戦場に赴くのは、これが初めてのことだった。
 二年程前から始まった戦争は、国の思惑とは裏腹に泥沼化していた。
 吹っかけたのはこちら側。同盟国が他国と手を結んでいるという理由で始まったのだが、実際は、豊かな資源を狙ってのことだということは誰の目から見ても明らかであった。
 だが、死ねない。青年は約束していた。国に残してきた婚約者と、戻ったら結婚するのだ。
 彼女の顔が浮かぶ。別れ際、彼女は泣きそうになるのを堪え、ぎこちない笑顔を浮かべていた。必ず帰ってきて。彼女は青年の手を握って言った。その手は微かに震えていた。青年は、ああ、君の元へ必ず戻ると約束した。その時は結婚しよう、だから待っていて。
 十八歳の彼にとって、その約束だけが支えだった。
 手紙を出したのは一週間前。彼女に届いているだろうか。
 青年は銃をにぎりしめる。
 岩陰から顔を出した、その時。
 大砲がこちらに向かってきていると理解するより早く、青年は意識を手放した。

 体中が悲鳴を上げている。
 ごつごつとした冷たい感触に、青年は思わず眉をしかめた。
 最初に目が覚めたときは、固めのベットの上だった。
 女達がせわしなく動いている。
「うっ……」
 体を起こそうとするが、激痛が走ってできない。そうだ、たしか、吹き飛ばされたのだ。一度は死を覚悟した。だがどうだ、青年はまだ生きていた。
 しかし、と青年はあたりを見回す。女達がしゃべっているのは青年の国の言葉ではない。隣国のものだ。つまるところここは隣国なのだろう。だが、それこそが青年には不思議だった。
 青年は、彼の国は野蛮極まりなく、敵国の負傷兵を手当てすることなどしない、と教えられてきた。なのにどうだ、実際は違う。彼らは敵兵にも手厚い看護を行っているではないか。
「包帯を取り替えますね」
 青年の国の言葉で、一人の女がそう言った。
 てきぱきと包帯を巻く手を見つめながら、これからどうなるのだろうと思った。すぐに国に戻すことはないだろう。収容所に入れられ、終戦になるまで出られないに決まっている。
 婚約者に会いたい。彼女は今、どうしているのだろう。
 二度目は収容所の中だった。青年の怪我はそれほどたいしたことはなく、すぐに移された。
 思い浮かぶのは故郷の婚約者。愛しい彼女に会いたい、それが青年のすべてだった。

 それから四年が経ち、戦争は休戦という形で幕を閉じた。
 その話を聞き、青年は他の捕虜達と喜び合った。故郷に帰れる。彼女に会える。長い四年だった。ようやく終わったのだと思うと、知らず涙が流れた。
 だが、そうすぐに帰れるわけではない。青年が帰国したのは、それから半年後のことであった。
 青年は自宅には帰らず、真っ先に婚約者の家へと行った。――それが間違いだったのだ。
 がちゃり、と扉が開き、出てきたのは、愛しい婚約者その人だった。しかし、喜びもつかの間、青年は絶望のどん底へと落とされた。
 かつての婚約者は気まずそうに目を逸らし、そっとお腹に手をあてる。
「どういうことだ」
 青年は静かに尋ねた。本当は今にも怒り狂ってしまいそうだった。だがしかし、三歳前後の幼女がひょっこりと顔を出したのだ。青年の子供ではないことは明らかだった。
 すぐに他の男のものになったのだ、彼女は。
 裏切られたという絶望感と憎しみ。もう彼女を愛しいとは思えなかった。代わりに、侮蔑の篭った瞳で彼女を見下ろした。
「あの、ね、聞いて。あなたが死んだって手紙が来たのよ。私はあなたを待つつもりだった、けど、両親が無理矢理……」
「もういい」
 言い訳がましい彼女の言葉を遮り、青年は無表情に見つめた。
 膨らんだお腹を彼女はさする。
「わかった。君が元気でよかった。どうか幸せに」
 青年は言って、踵を返した。背後で呼び止める声が聞こえたが、振り返らなかった。



「友人から聞いたんだけど、彼女から迫ったらしいんだ。なんとなくそんな気はしていたんだけれど。好きだったのは、僕だけだったのかもしれない」
 彼女は黙って、青年の話を聞いていた。
 もう、あれから二年になる。まわりの哀れむような視線に耐え兼ねて、青年は街を抜け出した。仕事を見つけ、生活が安定した今でも、新たな恋を始める気にはなれずにいた。
 このままずっと一人でいるのもいいのかもしれない。そう思う一方で、それが非常に淋しく感じるのだ。
「見返そうとは思わないの?」
 ふと、女はそんなことを言った。
 思ってもいない言葉に、青年は目を瞬かせた。ふるふると首を振り、静かに、青年は口を開いた。
「考えもしなかった」
 当然のように言った言葉に、彼女は優しく訊いてくる。
「どうして?」
「僕が幸せになれるとは、到底思えなかったから」
 彼女なしでは幸せになれない。彼女を嫌おうとして、けれどできなかったのだと青年は告げた。
「馬鹿ね、あなたは」
 くすくすと、女は楽しそうに言った。
 青年が彼女に目を向けると、視線が絡み合った。
「だけどね、あなたは幸せになるわ」
「なぜ?」
「なぜって、私がそう言うんだからそうなるのよ」
 女は立ち上がり、大きく手を広げる。
「見て、今日は天気がいいわ。そんなしけた顔をしていたら、せっかくの幸せを逃してしまうに決まってる。どう、これから私とデートしない?」
 青年は思わず目を細める。そうして空を見上げた。
「そうだね、それもいい」
 こんなに空は蒼く澄んでいたのか。
 青年と女はベンチから立ち上がり、晴天の下、楽しげに歩いて行った。

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