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♭ジェイドと


心地よい天気に、小鳥のさえずり。風に揺られて涼しげな音をならす木の葉。船の上ではあまり感じられない春の陽気だ。
しかしこの人間は、そんな環境に目をくれることもなく、さらには関心さえも示しはしなかった。

「まったく、こんないたいけな年寄りに仕事をさせるとは」

こくり、と鳴らせば芳醇な香りが喉を下る。使い馴れたその陶器を置いて、眼鏡のブリッジに指をあてる。
そして誰に言うわけでもなく、そんないつもの軽口を叩くのだ。

几帳面に積み上げられた書類がデスクの大半をしめている、今日はいつにも増して多かった気がしないでもなかった。
しかし、それも些細なことで。日常に衝撃を与えるほどの変化とも言えなかった。

ふと、鼻の奥に懐かしい潮の香りが甦る。今となっては遠い日の。毎日が忙しなく、それでいて飽きることのない有意義だったあの日々。
暫くあの船には出向いていないものだと、ジェイドはチラリと窓に目をやる。船に残してきたあの赤髪の公爵息子達は、心配せずとも務めを果たしているだろう。たまに彼等から送られてくる手紙からは、楽しげな雰囲気がありありと伝わってきた。

「まったく、若者は気楽なものですねぇ」

むしろ、彼等にはあの生活のほうが合っているのかもしれない…否、合っているのだろう。
この国での彼の立場は、彼にとってみれば枷のようなもの。今だけでも、その枷から解き放たれていられればいい。そうして世界を知り、成長して帰ってくればいいのだ。

「それまでは、この老体に鞭をうつことにしましょうか」

すぐ傍に置いてあった、その彼等から先日届いた便箋を指でなぞる。そこには毎度のように変わらない暇なき日々の話。
だがしかし。ジェイドが実際のところ一番気になる内容は、他にあったのだ。


あの少女は、あれからどうなったのでしょうね


手紙には、その内容に触れられたことは未だになく。やはり彼女がまだ帰還していないことを物語る。
あの日から、季節は何度巡ったことか。
もう済んだこと、そう割り切っているはずなのに。彼等からの手紙が届く度に僅かな希望が脳をかすめ、そして沈んだ。その繰り返し。
そんな自分が可笑しくて、何度自嘲したことだろう。

「まったく、困ったものです…」


貴女のせいで、私も随分と変わってしまったようだ

空になったカップを持ち、部屋に据え置かれた珈琲メーカーへ。コポコポと音をたてて黒の雫がしたたっている。
いつの間にか部屋にこもったそのこうばしい香り。それを肺の奥底まで吸い込み、出来上がったそれに角砂糖をひとつ落とす。


『珈琲だって、甘くすれば飲めるよ』


そう言って顔をむくらせた
甘いもの好きな、あの少女は。






















「お砂糖?」


ふいにささやかれた、それもかなりの至近距離。


動きのない筈の部屋の空気が、頬を撫でた。
遅れて、キイィと窓の蝶番の揺れる音がした。
部屋にこもった珈琲の香りが、窓から外へ逃げ、代わりに春の香りが部屋に滑り込む…



ぱちり、ぱちくり。視界の端で、見覚えのある紅色の瞳が、それそれはせわしなく点滅していた。
ゆっくりと振り向く、それでも消えないその姿は幻でもなんでもない。
鈴の鳴るようなその声までも、しっかりと自分の目の前に存在していた。

互いの視線がかち合い、しかしどちらも反らすこともなく。


「前はブラックが好きだったのに、お砂糖?」
「誰かさんが毎回頼みもしないのにサービスしてくれてましたからね」

甘くしないと飲めなくなったんです


ふぅん、他人事のように鼻をならす。その鼻を軽くつまんでやれば、鼻にかかったような声が響いた。


「大佐、いたい」
「悪戯好きな悪い子には、こうでもしませんとね」
「悪戯じゃないよ、お砂糖入れたほうが美味しいと思ったから」
「どちらにしても、貴女は悪い子ですよ」

えぇ、と不満げに顔をしかめるその肩を、引き寄せるように抱き締めた。

幻でないことを確かめるように、何処にも溶けて消えないように。

あぁ本当に、やっと帰ってきたんですか貴女は



「こんなに遅く帰ってくるなんて、本当に悪い子だ」

今までの悪戯の中でも何よりも
今回のものは質が悪くはありませんか

少しだけ背が伸びたテテオの額に、唇を寄せる。
ごめんなさい、テテオはそう言って自分もジェイドの背中に手を回した。

「…船に帰ったら、大佐がいなかったから」

びっくりした、
テテオはそう言って、ギュッと皺を作るように服を握る。

「だから、大佐に会いにきたの」
「それだけのために?」

随分とシンプルな理由ですね、とジェイドがその頭を撫でれば、テテオは顔を上げ、柔らかな頬をふにゃりと綻ばせて笑うのだ。



「だって、大佐に」
「おかえりって、言ってもらいたかったんだもの」







貴方が私の帰る場所





(貴方におかえりを言ってもらえて初めて)(私は帰った心地がするの)



_____
国に帰ったジェイドさんに只今を言いに来たディセンダー。窓から侵入お手のもの←
当時、ブラックばかり飲むジェイドの珈琲に隙を見つけては砂糖を毎回のように入れていたというオプション付←長い!
そのおかげでジェイドさん、お砂糖を入れる習慣がついてたら良いなぁという話。
どうやって此処まで来れたんだよ、というところは流石ディセンダークオリティ←何


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あきゅろす。
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