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探偵・沢木蓮司の調査ファイル
1.

繁華街は嫌いじゃない。ただし、客として飲みに行く場合に限ってだ。

 沢木蓮二(さわき れんじ)は、腕時計に視線を落とし、ため息を吐いた。望まぬ行き先に足取りは重く、鬱々とした気分を引き摺りながら雑踏を歩く。辺りは、仕事帰りのサラリーマンや、それに群がる呼び込み達とでごった返していた。そんな週末の繁華街では当たり前の喧騒が、今の沢木にはただ不快でしかなかった。

 それらを遮断するように視線を下げても、アスファルトに反射するネオンの光が、ことさらに寂寥感を募らせる。

 「くそっ、やってられっか」

 歩道にはみ出す立て看板を蹴り上げ踵を返した。

 やっぱり辞めだ――そう、一歩足を踏み出した途端、まるでそれを見透かしたように胸ポケットで携帯が震えた。

 「ちっ」

 嫌な予感に顔を顰めながら、携帯を取り出す。画面に映る「夏樹」の文字に、沢木はまた舌を打った。

 今、もっとも話をしたくない相手からの着信だった。

 「――なんだよっ」

 沢木は、開口一番、渾身の苛立ちをぶつけ、怒鳴った。

 「は? なによ、なんでいきなり怒鳴んのよぉ」

 受話口から響く、オカマ独特の甲高い声が耳に障る。

 「アタシはただ、蓮二が……ちゃんと仕事行ってるかなって心配だったから――」
 「はっ、誰もそんなの頼んじゃいねーよっ。オマエ、毎日しつこいんだよ!」

 「はあぁ?しつこいってなによぉ」「そのまんまだろうがっ」

 沢木は携帯を耳から遠ざけながら吐き捨てた。

 「――あら、アタシにそんなこと言っていいのかしらぁ?」

 夏樹が、ふふんと鼻を鳴らした。

  「だれのおかげで――、借金返せると思ってんだよ!あぁっ!?」

 一転、地を這うような低い声音で凄まれ、沢木は怯んだ。

 「なんだよ……わかってるよ。ちゃんと真面目に行ってるって。でもよぉ、こんなんでホントに借金返せんのかよ」

 最初の威勢は鳴りを潜め、だが不満だけは口をついて出てくる。

 「じゃあ、あんた他にアテあんの?」

 僅かな虚勢さえもバッサリと切られ、沢木は閉口した。

 「アパートの家賃だって、もう何ヵ月も滞納してんでしょ? いい加減、追い出されちゃうわよ。そのくせ、毎日毎晩飲み歩いて――アタシの店のツケだって払えてないじゃない。もぉ、そんなんだから、凛子にだって愛想尽かされちゃったのよぉ」

  人には誰にだって触れてほしくない部分があるものだ。だがこのオカマは、そんなことお構いなしに、まだ癒えない沢木の傷を抉ってくる。

 「はぁ……っ、ねぇ、蓮二。アタシそんなに無茶なこと言ってる? もし、依頼をクリア出来なかったとしても働いた分の給料は払うって言ってくれてるんだから、こんな美味しい話ないじゃないっ」

 「……」

 「いい歳して、仕事もなくて、家もなくて、そのうえ借金まみれだなんて目も当てらんないわよ。もぉ、頑張んなさいよっ」

 まるで、親戚のおばちゃんから説教でもされているかのような、なんとも情けない気分になった。深い情ゆえの辛辣さなのだと解ってはいても確信を突いてくるだけに容赦がなかった。

「わかってるって。ほんと感謝してる。ちゃんとやるから……」

 これ以上のダメージは避けたい。沢木は弱々しく言った。

「うん、わかってるならいいのよ。蓮二は、本当はやればデキる子だもん、ねっ?」

 沢木と同様、いい歳した三十路の男が、ルンルンと声を弾ませる様は、気持ち悪い以外の何者でもなかった。だが、やっと直った機嫌を損ねる訳にはいかない。事実、夏樹がこの話を持ってこなければ、沢木は今ごろ、本当に路頭に迷っていたかもしれないのだ。

 「もう店に行くから切るよ」「うん、しっかりね」

まるで恋人同士のようなやりとりに、沢木は苦笑いで通話を切った。

 「しょうがねぇ、行くか」

 大きく息を吐き、覚悟を決めて歩き出した。

 決して、夏樹の説教に心を動かされたわけではない。やはり金は必要だったし、仕事とはいえ、今から向かう店には沢木好みの女もいる。そしてなにより、夏樹の客に提示された“依頼”をクリアすれば、給料とは別に多額の報酬が手に入るのだ。

 心機一転、人生を立て直すチャンスなのかもしれない――。

 まったく乗り気じゃなかったが、やっとやる気が湧いてきた。

 (だけど、どうやるか……だよなぁ)

 沢木は足早に店へと向かいながら“依頼”をクリアする方法について考えを巡らせた。







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