長い抱擁を経て、僕は相手の手を引いた。やると決まったら早く済ませるにこしたことはない。目の前の大金を逃すわけにもいかないし。
でも、胸の中でつっかえてるこのモヤモヤはなんだろう?
もしこれが罪悪感というものならば、僕も少しはまともな人間だったんだと、安堵を覚える。
「ねぇ、利さん。部屋に入っても驚かないでね」
ドアノブに手をかけて、僕は罪悪感という感情をかなぐり捨てた。
最後の確認に、頷く彼を見て玄関を開けると、案の定、利さんからは驚嘆の声が漏れた。
「うわ! どんなの見ても驚かないて思ったけど、本当にここで生活してるの!?」
「うん」
人間が住んでいるとは思えない老朽ぶりは、玄関からも見て取れた。
はげ落ちたクロスや歪んで見える床、プライバシーのない割れた窓やドアがないトイレ。しっかり閉めたはずの蛇口からは、錆のあがった赤茶の水が絶えず雫を垂らしてる。
ゴキブリすら逃げ出しそうな六畳一間の廃部屋――それが僕の住む部屋だった。
「嫌に……なった?」
握っていた手の力がふと抜けた。
今にも泣きそうなりながら、零れそうな涙を指ですくうと後ろを振り返る。
「……ごめん」
彼の謝罪の言葉に、思わず力が抜ける。
「帰って」
脱帽したまま、ただそれだけを言うのが精一杯で、僕はその場に泣き崩れた。
もっと普通の家庭に生まれていたら、身体を売ることなんてしなくて済んだのに。
この廃部屋に客を入れるたびに、プライドが酷く傷ついた。
生きるため。生きるため。生きるため……
何度も呟いて言い聞かせた言葉も、今では意味すら薄らいでる。
生きる口実はあっても、生きる理由がないことが滑稽で、悔しくて仕方がなかった。
「利さん。もう、帰って……」
いまだ背後から消えない気配に泣きながら訴えて、僕は部屋に入った。
唯一、用を足す布団に潜り、涙で枕を濡らす。
鳴咽は止まない。
それから暫く、利さんが誰かと話す声が聞こえたけど、泣き疲れた僕には遠い言葉に聞こえて、そのまま寝入ってしまった。
雨もまだ、止まなかった。
Next scene.
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