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日蘭抄
十七世紀のオランダ人が見た日本
著クレインス・フレデリック(2010/07/20)臨川書店刊行


1609年、ニコラス・ボイクら二人が駿府へ赴き、朱印状を得た
堺、大坂、伏見、京都が互いに隣接し、堺は小都市だがロッテルダムと同じほどの大きさ。京都はアントワープよりも大きく、これらの都市はすべて人口周密で取引も大規模

日本との貿易は1612年になってオランダ船が平戸に入港するようになってから始まる

ンドネシアのバタビア(現・ジャカルタ)に本部を置く東インド会社は定期的に日本人傭兵を雇い、マラッカ諸島などでの戦いに使用した。その後、幕府の禁止令により人の供給が止まったものの、バタビアには日本市民団体が存在し続け、130人の兵士を提供する能力を有し、17世紀後半に至っても、オランダ人の名前を授かった日本人が残っていた

17世紀前半はオランダにとって日本との貿易が重要な位置を占めていたため、代々の商館長からバタビア経由で本国に送られてくる日誌は大切に扱われた

カロンは日本人女性と結婚し、長期にわたって平戸に滞在、妻の親戚との親交や数多くの江戸参府と幕府との交渉を通じ、日本の社会や文化に精通。日本社会の構成基礎である士農工商に対し批判的な意見を開陳する一方で、日本女性の貞節を守る姿勢、純潔と勇気をもち、辱めに対しては死をもって報いる姿に圧倒された様子も窺わせている

日本人が信仰について論争するのを聞いたことがない

僧侶のなかには地位の高い人に男色に傾倒している僧侶が少なくない

地位の高い日本側の対応者は傲慢




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