[携帯モード] [URL送信]

短編
ショコラの関係



ショコラの関係


※幸壱は最後に一言しか喋りません。登場もしません。








東郷久人は焦っていた。普段冷徹なほど動じない久人にしては珍しいほど気が急いていた。もちろん顔に出すことはなかったので部下は気づかなかったが、歩調は確かに早まっていた。
武蔵会本部の廊下を肩を怒らせ久人は急いでいる。何度も時計を見ては眉を寄せた。今日は、とても大切な日なのだ。何しろ、久人の愛してやまない恋人の誕生日である。デートに誘ったのは久人の方だった。なのに、今日になって久人は急に会長に呼び出された。武蔵会の若き会長京楽忠孝の命令は最優先されるものであり久人は焦る気持ちを押し隠して、今こうして武蔵会本部の廊下を歩いているのである。

「失礼します。東雲組組長東郷久人です」

会長室。忙がしい京楽組長は会合のときくらいしかここにいないが、たまにこうして久人を呼び出す時には大概ここだった。
今日はなんだろうかと頭を巡らせながら久人はドアノブをひねった。木製のドアは軋むこともなく開く。
磨きこまれた床にはペルシア絨毯が敷かれ、その上には黒いアンティークソファーが鎮座している。
京楽組長は奥のデスクに構えていたが、久人は正面のソファーに座る珍しいメンツに目を見張った。
向かい合う対のソファー。久人に背を向ける手前のソファーには金髪が腰かけており、対面する奥のソファーには悪徳弁護士の名を欲しいままにする瀬野尾がふんぞり返っている。そして、デスクと対面する一番壁際の1人がけソファーには、久人の記憶違いでなければ敵対するはずの組長が座っていた。

「来たか。まあ座れ」

「はっ」

京楽組長はタバコを灰皿に押し付け、久人をうながした。久人が瀬野尾の隣に座るとくるりと椅子を回して口を開いた。

「見てわかるだろうが、天武会の若頭の陣内だ」

「お初にお目にかかります」

陣内と紹介された男はぴし、と頭を下げた。年の頃は40前後といったところで、ノンフレームの眼鏡をかけ細身のスーツを着こなしたいかにもインテリなヤクザである。そつのない振る舞いと表情にちらつく狡猾そうな色に久人は内心猜疑心を強めざるを得なかった。

「天武会といえば九州が本拠地。なぜここに若頭がおられるんで」

「九州と言いましても正確には熊本ですがね。お話がありまして参りました」

わざわざ訂正した陣内は久人をちらりと見た。
目をあわせるまでもなくつい、と逸らされる。

「本拠地は熊本でも、中国地方にまで手、出してきて武蔵にも売った喧嘩は山ほどあんだろ」

「昨日の敵は今日の友。心当たりがあるので通してくれてるのでは、と思っていますが」

瀬野尾の突っ込みもさらりと流し、陣内は眼鏡を押し上げた。センターで分けられ、後ろに流された長めの前髪が一筋はらりと落ちる。無造作にかきあげる仕草は様になっていた。

「それで陣内組の組長さん、単身乗り込んできたのか?よっぽど切羽詰まってるらしい」

「弱味を見せたくはありませんが…ここは持ちつ持たれつというもんじゃありませんか」

陣内はふっと笑い、持参していたA4サイズの茶封筒を取り出した。右下に天武会と印刷されているあたり、天武会会長の持たせたものだろう。
陣内が封筒から出したのは、厚さ1センチくらいの紙の束だった。何枚かの写真が添付されたそれの表紙には、劉一家について、と印刷されていた。

「劉一家…」

「日本に武器輸出しようっていう上海マフィアです。最近九州にのさばっていましてね」

「そいつが本題か」

控えていた神田が京楽組長に資料を渡す。組長はパラパラとめくり、眉間にシワを寄せた。

「武器輸出くらいなら、まぁ良かったんですがね」

「狙いは日本。食い物にするつもりってんだろ」

久人は黙って聞きながら内心驚いていた。そんな話は初耳である。情報をおもに統括する神田と組長くらいしか、おそらく知らない話だったはずだ。
ただ、劉一家は知っていた。最近九州を荒らしていると聞いている。
九州はほとんど天武会が握っているので、武蔵会は傍観していたのだ。
京楽組長は陣内をひたり、と見据えた。

「それで?」

「このまんま黙ってるわけにはいきません。特に九州は蔓延りおってまして。ちょっとカタぁ、つけようと思っとります」

「武蔵会に手伝えってか?」

京楽組長の言葉に、久人の前に座っている金髪の男が陣内に視線をやった。
彼は黒田彪――フリーながらに京楽組長御用達の殺し屋である。
武蔵会が手を出すとしたら、彼を使うことになるだろう。
だが陣内は首を横に振った。

「それには及びません。ただ、ちょっと見逃してもらえれば良いのです」

「…俺のシマでやろうってのか?」

京楽組長が声を発した瞬間、久人はぞわり、と背筋が震えたのを感じた。
一瞬で込められた殺気に、本能が反応したのだ。久人は考えるよりも先に発言した。

「そんなこと…………許されるわけねえでしょう」

ぴたり、と陣内を見据える剣呑な瞳には、「殺ってやる」とはっきりと浮かんでいる。武蔵会のシマで争わせろ、と堂々と言い切った陣内を武蔵の大蛇は一呑みにしたいのだと京楽組長にねだった。
しかし京楽組長は殺れとは言わなかった。

「待て久人。陣内、確かに、コイツは目障りだが、殺るんなら俺らで殺れる。天武の出る幕はねえぞ」

「面子潰すつもりですか。敵対してても、武蔵は義侠を重んじるはずでは?」

「だったらてめぇのシマでやれや。わざわざこっちで暴れんじゃねえ」

「おいおい法律家の前でする話じゃねえだろ。俺ァ席をはずすぜ」

組長と陣内を遮ったのは瀬野尾だった。悪徳弁護士と言われようが一流の法律家である。犯罪を前提とした話を聴く気になれないのも、当たり前の話だ。黒田も何も言わず、組長も頷いたので瀬野尾はタバコを片手に出ていった。
ドアが完全に閉まるのを確認し、陣内は身を乗り出した。

「武蔵会さんにも悪い話じゃないんですよ」

「あぁ?」

「この劉青雲。シークレットの会員ですよね。男妾にそそのかされて、日本に手を出したようです。ご存じありませんでしたか?」

京楽組長はニヤリ、と笑った。
椅子をくるりと回して立ち上がる。久人や黒田も立ち上がるのを制し、スーツのズボンに手を突っ込んで陣内を見下ろした。久人はその表情から京楽組長の考えを読み取ろうとしてやめた。組長の考えがなんであれ久人は命令に従うのみだ。ならば、推し量ろうとするだけ無駄である。
同じことを思ったのか、興味がないのか、黒田彪はコーヒーをすすった。

「…なら、てめえらが関わったって証拠も完璧に消せ。天武も武蔵も関わらねえで勝手に死なれる分には一向に構わねえ」

「それはつまり…」

「京獄組の不始末を、てめえらを見逃すことと引き換えにもみ消すってんだろ。いいぜ、乗ってやる」

劉青雲という人物は、中国の上海で幅をきかせるマフィアのボスである。細長い瞳に狡猾そうな光をともし、脂ぎった額は禿げ上がり小太りな体をスーツになんとか押し込んでいるというような風体で如何にも甘言には弱そうな男だった。高級秘密男娼クラブシークレットに加入したころはやり手のマフィアだったのだが、どうやら問題を起こして売り払われた紅葉により骨抜きにされたらしい。
紅葉は元々借金のせいで体を売らされるようになった。京獄組を恨み、復讐のつもりらしいが、敵が悪すぎた。
京楽組長は、紅葉のことを考慮するつもりは全くない。情状酌量の余地などないと思っている。そもそも情け深い男などではない。情けと優しさは母親の胎内に置いてきた

「わかりました」

「綺麗に片付かなきゃ、天武も首洗う羽目になるぜ。忘れんなよ」

「はい」

「久人。しばらく天武と陣内見とけ」

「はっ」

これで話は終わった。これ以上話すことは何もない。久人は立ち上がり、陣内も席をたった。黒田は京楽組長と話があるらしく動かない。組織の人間ではないし京楽組長個人の知己でもあるので久人は特に気にすることなく挨拶し陣内と部屋を出る。おそらく見送らなければならない。
突き刺さる視線を制しながら久人は腕時計を見る。時刻は六時半。ディナーには間に合うが映画は無理だ。謝らなければ。きっと、彼は怒らないけれど。
そこで久人の脳裏には恋人の姿が浮上する。ショコラの天才蓼科幸壱。犬のような風貌とは裏腹の繊細な指先は久人を味覚からも肉体からも虜にする。
だが久人の幸福な思考は中断される。陣内だ。

「東郷組長」

「………」

「幸壱は元気にしていますか」

「…」

「睨まんでください。私は、幸壱が最も愛している男です。あいつのショコラを、あなたが独占したせいでもうずいぶんありついていない」

その瞬間久人が陣内に危害を加えなかったのは奇跡と読んでいいことだろう。怒りに染まった瞳で久人は睨み付けるに留まった。陣内は京楽組長がしばらくは生かすことを確約した人間であり、久人が個人的事情でどうこうは出来ない。
陣内はその辺りを分かっていて、眼鏡のふちを押し上げ、久人に笑いかけた。

「あなたにキスしたら、幸壱の味がしますかね」

「……………ほざけ…」

「試しましょうか」

「……潰す…………」

近づいた陣内は久人の目線を追って苦笑した。潰されたら、色んなものを失ってしまう。降参、と言うように手をあげ、離れる。久人は殺気を隠すこともなく横付けされたベンツを指差した。
命が惜しいからね、と笑いながら陣内はおとなしく乗り込んだ。多少乱暴に閉めた久人は運転手に発車を命じて、自分も車に乗り込み、レストランに行かせた。
不思議なことに、幸壱への疑惑は微塵もなかった。浮気は疑わない。そんな余地はない。ただ、幸壱の過去を自分は知らない。昔の男だったのかもしれない。だから、久人がヤクザでも平気なのか。だったら合点がいくが、いかにもインテリで長身の陣内には、敵わない気がした。あくまでも、不安の域は越えないけれども。

久人は目を閉じた。カッ、と燃え上がる劣情に胸が焦がされる。誰にも幸壱は渡したくない。だが、だからとなりふり構わず問い詰めることも出来ない。今日は幸壱の誕生日である。祝わなければならない。
明日にでも聞いてみればいい。過去は過去だ。
ただ、そう、絶対に幸壱のショコラを食わせてはやらない。久人のものなのだ。絶対にやらない。

決意を改めたとき、到着を知らせる声がして久人は頭を切り替えた。




ショコラの関係
(陣内春斉って………知っているか)
(え?兄さんだけど?)
(兄さん?!)






性格の悪いブラコン兄の横槍に久人は勝てるのだろうか。

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!