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短編
ショコラの出逢い



――人生を変えたのは、たったひとつのチョコレート




八年前に極道を志し、東雲組に貢献、組員になり瞬く間に駆け上った男、東郷久人は常識外れに寡黙な男だった。
極道の中でも小さいながら武闘派の一角を担い、東雲組の親にあたる京獄組組長の信頼も勝ち得た。元々その組長、京楽忠孝と縁があり極道を目指したのもあって忠誠心もひとしおであり、京楽の敵対者は悉く処分してきた。三年前に東雲組の組長を襲名。極道入りからわずか五年で組長にまでのしあがり、八年で武蔵会会長京楽忠孝の刀とまで言われるようになったのも、ひとえにその忠誠心と寡黙さ、容赦の無さゆえだといわれている。

いかにも堅物らしい顔立ち。決して女らしくはなく当然強面。強面揃いの武蔵会幹部の会合で眼を光らせ威圧するのだからその眼光はうっかり見てしまったら心臓が冷えるほどだ。

そんな東郷久人36歳には、ある意外な嗜好があった。

東雲組の事務所。スタイリッシュで無駄なものが一切無い執務室の、久人のデスクの上を見て部下が顔色を変えた。

「おい!!アレはどうした!!」

「新入りを使いにやらせたんですがまだ戻ってこないんで…!」

「ばかやろう!!もうすぐ組長が戻られるんだぞ!アレが無いと…おい!!今すぐデパートに行って買って来い!運転手には言って遠回りしてもらう!早く行けこのクズ共!」

「は、はい!!」

怒鳴ってたたき出すように買いに行かせて数分。ほうほうの体で帰ってきた部下から紙袋を奪い取り、中の箱をデスクに置いたのと同時にベンツが横付けされたのが眼下に見えた。
安堵に胸をなでおろしてドアを開ける。二人の黒服を引き連れ帰ってきた東郷久人は真っ直ぐにデスクに向かい、箱を開けて誰にも分からないくらい、表情を緩めた。

甘い匂いが部屋に充満する。茶色い小さなそれを口に入れて、東郷久人は心底幸せだと思った。

そう、東郷久人は無類のチョコレート好きだったのである。




ショコラの出逢い




新入りが戻ってきた。
デスクにいる久人に顔色を変える。先輩組員に殴られるその新入りは無視して久人は落ちた紙袋を拾い上げた。
チョコレートの専門店のロゴが入った紙袋。中の箱を開けて久人は眼を見開いた。
中に並んでいるのはまさに宝石。ルビーやサファイアやダイアモンドなど話にならないほど美しい小粒の数々。ひとつひとつが芸術だった。
見た目からもう感動だった。若干震える手で一粒つまみ、口に入れる。
その瞬間、東郷久人の中で今までの世界が音を立てて崩れた。今食べているのは本当にチョコレートなのか。これは魔法だ。奇跡だ。これほどのものが、今、目の前に並んでいる。

これがチョコレートだというのなら。他のチョコレートはもはや紛い物だ。

人生が今はっきりと変わったのが分かった。久人は先輩にお叱りを受けている新入りを掴み上げた。

「おい」

「は、はい」

「――これはどこで手に入れた」

「は、はひ、あの、」

都心の中でも感じのいい裏路地がひろがる地名を口にした新入りは続けて言った。

「隠れ家みたいな感じで、偶然見つけたんですけど、」

「―――」

久人は頷き新入りを解放した。
そしてそのチョコレートの箱を抱えるとプライベートルームに足を向けた。
扉を閉める。こうすれば誰も入ってこない。用事があるなら携帯を鳴らすだろう。
大事に抱えた箱から一粒一粒、ゆっくりと、舌先でとけゆくのを愉しんだ。
いつもならこの風味を楽しんで美味しく食べて終わる。だがコレだけは、食べ終わった後の喪失感が酷かった。
なくなってしまうのが惜しい。でも食べたい。味わいたい。その葛藤に悩みながら食べる。

そして決意した。偶然にも明日はオフだ。
この店を訪ねて、これを創った人物に会おう。そしてチョコレートを買うのだ。










「いらっしゃい」

ショコラ『蓼科』。隠れ家のようにひっそりと佇む上品な店の中は、チョコレートの匂いが充満していた。ショーウィンドーの向こうであふれんばかりの笑みを見せたのは清潔そうな雰囲気のちょっと天然パーマの柔らかい茶髪の男だった。ほぼ同年に見える。
久人はいつもどおりの格好で来ていた。見るからに堅気ではないのにパティシエの服を着たその男は微笑みかけてくる。
戸惑いながらチョコレートを指差した。

「――これ」

「これがよろしいですか?」

ぶんぶんと頭を振る。
振った後で気づいて弁解した。

「チョコレート、が嫌なんじゃなくて。――創った、人が」

「ああ。おれですよ」

「――」

「おれがここのショコラティエです。蓼科幸壱」

「…・・・」

にっこりと、微笑まれる。

「お客さん、ショコラはお好きで?」

「・・・」(こくん)

「ショコラを食べると、幸せになれるんですよ。知ってるでしょ?」

久人は頷き、ショコラを一粒、買った。
小箱を大事そうに持って出て行く背中を、蓼科幸壱が微笑みながら見つめていたことに気づくこともなく、帰路につく。

溶ける前に、と車で口にしたチョコレートはやはり極上で、何回めかになる世界の崩れ去る音がした。
いっそ新たな世界が構築される音なのかもしれない。

そして、久人はそれから3日と空けずその店に通うようになった。
三回目で挨拶をするようになり、七回目で名乗り、十回目で極道だと明かし、二十回目に新作を試食させてもらった。

それから何回目かに閉店後に呼ばれ、誕生日にはショコラをもらった。
もう何回来たか分からない。あまりの熱心さに会長からは女でも出来たかと言われ、若頭には苦笑された。

そしてはじめての来店からおよそ四ヵ月後。
いつものように来ていた久人に、ずいっと差し出されたのは何の変哲も無いトリュフだった。

「――?」

「久人。おれのショコラ好き?」

幸壱は真剣だった。
久人は頷く。

「おれのショコラ、独占したい?」

「!」

「他のお客さんが来るたびに、不機嫌になってたでしょ。いいよ。久人だけに創ってもいい」

「!!?」

「でも、条件がある。契約だよ。ヤクザさんも、無償なんてしないでしょ?」

久人は頷いた。
幸壱は続ける。

「おれは久人のためだけにショコラを作る。毎日毎日。そのかわりおれと一緒に住んで?おれに抱かれて?それが契約だ。承諾ならトリュフを食べて。拒否なら他のショコラを選んで」

久人はトリュフと幸壱の顔を交互に見た。
幸壱は世界的にも有名なショコラティエだった。天才とうたわれる腕、その整った顔、独創的かつ繊細で美しいセンス。
独占したいと毎回思った。ヤクザらしく奪い取るのだって考えた。でも出来なかった。
このショコラは、幸壱が作りたいと願って初めて完成するもの。
無理やりに作らせたって、あの感動的な味は生まれない。そう考えたらとても出来なかった。

それが申し出てくれたのだ。
迷う時間は無く、久人はトリュフに手を伸ばした。

「―――おまえが」


「ん?」


「おまえが、おれの体のかわりに俺だけに、作るというなら、これを、食べさせろ」


「え?」


「契約の証だ…」


幸壱は戸惑いながらトリュフを持ち上げた。
久人は躊躇わずに口を開き迎え入れる。口の中に置かれたトリュフが溶け出すころ、ショーウィンドーを越えて幸壱が手を伸ばしてきた。
久人は大人しくしている。並んで立つと頭ひとつ小さい体を静かに置いている。その背中の大蛇を幸壱は見たことがあったし、幸壱の冷たい手に触れられるのも初めてじゃない。

「契約、成立だね」

「――」

「すぐに店を引き払って引っ越すよ。準備しておいて」

「――」

「ね。キスしてもいい?」

「――」

久人は頷いた。
それが契約だ。このショコラに世界を変えられた。そして、今度はこの男に変えられる気がする。
そんな予感を胸に秘めながら、武蔵の大蛇はキスを受け入れた。








それが始まり。







「へえーそうなんですか」

「――コクン」

「蓼科さんはいつから東郷さんのことを?」

「おれですか?」

真人が訪ねてきたのでショコラでもてなし、流れでなれ初め話しとなった。話題を振られ幸壱ははにかみながら答えた。

「久人が通ってきだしたころ俺、世界的なコンクールを控えてましてね。でもどうやっても納得のいくものが創れなくて悩んでたんです」

「?」

初めて聞くのか驚いたように久人は幸壱を見た。
幸壱は「いえないよそんな恥ずかしいの」と前置きして続けた。

「そんなときにどっからどう見ても堅気じゃない人が、すごい嬉しそうにおれの作ったショコラを買って人目も気にしないで食べて幸せそうな顔をするんですよ。3日と空けずに通ってきて一粒ずつ、大事に抱えていくのを見てると、世間が求めるショコラに囚われていた自分が恥ずかしくなって。コンクールにかまけて勝利ばかり求めてたことに気づいたんです。で、コンクールを取りやめました」

「やめたんですか?」

「ええ。何でショコラティエになったのかを思い出したんです。ただ、ショコラが好きだった兄に、ショコラを食べさせてあげたかった、それだけだったんです。気づいたら久人の来店が凄く楽しみになって。本当にショコラが好きなんだなと思って、仏頂面なのにお花飛ぶくらい機嫌よくなるし段々可愛くなってきて。もう一直線でした」

「素敵な話です」

真人はそういって微笑んだが、久人は能面のままだった。だがその胸中が混乱と羞恥で荒れ狂っているのが手に取るように分かり、幸壱は笑いを殺せなかった。

「あ、そろそろ戻ります。いろいろとご馳走様でした」

「いえ組長によろしくお伝えください」

「はい。それでは」

お辞儀をして真人は出て行った。事務所の玄関まで見送り、扉が閉まるのと同時に久人は幸壱の顎を捕えた。

「―――」

「言ってくれなきゃわかんないんだけどね」

「――・・・・・・キス」

「キス?」

「しやがれ…」

わざと焦らされているのが分かっていて久人は命じる。
唯一の主と定めた男の命令に、幸壱は嬉々として応じた。




ショコラが導いた出逢い

一粒に恋した男に恋したショコラティエの

恋愛は始まったばかり





(ショコラより)
(この男が好きだといつか)
(伝えられたらいい)














黎様のみお持ち帰りOKです!
あと幸壱が契約のほうと髪の色が違いますがこのときは染めていました。本来は黒髪です。

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