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  隠せない熱い感情






夜は夏の終わりを感じさせるように涼やかだと思えば、昼はまだ夏は続くのだとでもいうように、暑い。
俺の夏は、終わった。だからいっそのこと昼間も冷えればいいのに、などと勝手極まりない事を考えてみたりする。実際はそんなことになるわけはなく、俺の心には全く比例せず晴天が続く。

(…あれは)

俺は、そんなわかりきっている事を確かめるために外に出たのだろうか。いや、そんな自虐的な趣味はないはずだ。…ただ窓の外に映っていた太陽が眩しくて、心惹かれた。真夏日とはいかなくとも変わらず夏の暑さを助長しているそれが、何故だか羨ましく思えて。


「……あ、」


ヴァイオリンの音が止む。曲の終わりだから当然だが、それだけではなかった。俺は自分自身でも気付かないうちに立ち止まり、彼女の指、弦、視線を目で追っていたようだ。またヴァイオリンの主も俺に気が付いた様子で、こちらを凝視していた。

(…行くか、)

いつまでもこんなに暑い所で立っていても仕方がない。勝者の練習の場所に俺がいるのは不釣り合いだろう。そう思い、俺はそっと踵を返す。


「…ま…待って!」
「…………。」
「待って下さい!」


波いる観客を押しのけて、近付く軽い足音。振り返ろうともしない俺に、ヴァイオリンを片手で抱きながら走ってきた。
ズンズンと歩く俺を必死で追いかけてくる。馬鹿らしくなって歩みを止めたのと、手を捕まれたのはほぼ同時だった。


「何か用か。」
「はぁっ…いや、あの、私、」
「…………。待っているから息を整えてから話せ。」


ぜぇぜぇと息を切らして話そうとするのがひどく辛そうに見えた。整えている間も俺の左手は繋がれたまま。

(…貴様の手は、)

温かいな。
たった今までヴァイオリンを弾いていたからなのか、もしくは走ってきたからか、左手を掴んでいる手は熱を持っていた。逆に自分の手は夏だというのに随分と冷えていたらしい。こんな所にだけ夏が終われという心を反映しなくてもいいものを。


「ご、ごめんなさい。」
「……で、何の用だ。」
「私、どうしても……あ、」

「…おい、……小日向!?」


握られていたはずの手が急に離れる。小日向の右手は空を舞い、身体は力無く後ろに倒れようとしていた。俺はすかさず腕を伸ばし、その小さな肩を抱きとめる。

(………、細い)

七年前でこそ体格に大差はなかったのだろうが、今となっては明確に男女という区別が成る。俺はこんな華奢な奴に憎しみをぶつけていたのか、と今更理解する。この小さな腕に期待を背負い、星奏学院を優勝に導いたのか、とも。


「…全く、世話の焼けるやつだ。」


倒れる程立て続けに練習するのは、奏者として如何なものか。それも、この炎天下に。
ひとまず、どこかに移動させなければならない。引きずって行こうかとも思ったが、…………ふん、前に抱える事にした。






「……ここならば良いだろう。」


道行く人の視線を浴びながら、どうにか木陰に小日向を寝かせた。…こいつは、俺がいなかったらどうするつもりだったんだ。

(………あどけないものだ)

寝顔の余りの子供っぽさに、思わず薄く笑ってしまった。実際はただ寝ているわけではないが、倒れたにしては顔色は良さそうだ。濡れタオルで小日向の身体を冷やしながら、…何故かあの七年前のコンクールの思い出が脳裏によぎった。あの屈辱的な場面ではなく、小日向のヴァイオリンの弦を張る所だけが、鮮明に。そうだ、こいつは昔から何かと手の焼けるやつだった。


「小日向」


寝ている彼女の頬に触れる。丸くて白い肌は、俺の指先をするりと滑らせた。


「…小日向、」


もし。もし、七年前に同じコンクールに出なかったなら。俺はここまで苦しむことも、憎むこともなかったはずだ。だが同時に、誰かを、何かを、狂おしい程に求めるということもなかっただろう。あのコンクールを思い出すたび、胸が引き裂かれるように傷んだというのに、…何故だろう。俺は今の方がいい。この女を知らずにのうのうと生きていくなど、考えられない。今更七年前を考えても意味がないが、仮に選択肢があったなら…今の俺は、迷わず自分が辿ってきた運命を選ぶ。俺は、小日向に出会うために生まれてきたのではないかとさえ、感じ始めているのだから。
ファイナルが終わった現在に於いてなお、この女を欲している自分がいるのに気付くのは、そう時間はかからなかった。


「小日向…かなで」
「…はい?」
「なっ…!?」


ふいに反応を返され、動揺を隠せない。慌てて頬に触れていた手をどける。いつから起きていたのか。

(聞いていた?)

譫言のように繰り返し、お前の名を呼んでいたのを。


「…貴様…起きていたなら起きていたと…!」
「…いや、今起きたんですが……あの、」
「……俺はもう行く。ふん、これ以上は付き合っていられん。」

「あの、手……、」

「手?」

「冷たくて気持ちがいいので…乗せててくれると、嬉しいんですけど…。」


立ち上がりかけた俺の服の裾を掴み、微笑みながら言われては断ることも出来ず…、引っ張られるままに腰を降ろす。今までならば平然と置いていったものを、…俺も随分とおかしくなったものだ。


「手が冷たい人は心があったかいって話…知ってますか?」
「……くだらん言い伝えだ。」
「そうですか?私、すごく当たってるなぁ、って思って…。」


そんなもの、当たっているわけがない。
俺は心が温かい人間ではないし、…小日向は冷たい人間では、断じてない。そうであったなら、俺がここまで深く想うことはなかったはずだ。


「あ、さっき言おうとしたんですけど、」
「…………。」
「私、ヴァイオリン一緒に練習したいんです。」
「は?」

「あなたと。」


そんなことを言うためにわざわざ追いかけて来たのかと思うと、本当にこの女は酔狂だ。

(重ね合わせていいのか?)

俺の音を、輝かしいまでのお前の音色と。


「本当はコンクール中もしたかったんですが…、」
「…馬鹿を言うな。」

「……だから、これからは。」


これがもし小日向の、ただの敗者への慰みだとしたら恐れ入る。
俺の中の、お前に対する気持ちの変化を知ったらどうするのだろう。俺自身でさえ、戸惑っているのだが。


「…貴様が、…いや、お前がそれでいいのなら。」


刹那、目の前にいる向日葵はパッと上を向き、満開になった。


「じゃあ、今から!」
「今…小日向、お前身体は、」
「平気です。…どうしても、弾きたい曲があるんです。」
「…………。」
「あの…やっぱりダメですか?」
「奇遇だな。」
「えっ、」

「俺も、お前と弾きたい曲がある。…もう一度。」


立ち上がり、ヴァイオリンを構える。小日向もタオルを下に置き、すっとヴァイオリンを持つ。


「始めるぞ。」
「はい!」


何も言わなくとも、弾き始めた曲は同じだった。
あぁ、もうきっと、言葉に言い表さなくとも俺の気持ちなど音色に出ているのだろう。彼女の音色も、どんどんと甘くなってきた。

(………当分、口には出すものか)

気持ちを伝えるのは、この愛のあいさつの調べで十分だ。


今は、まだ。



-END-


(…ダダ漏れ、か)






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素敵企画、君と過ごす夏さんに提出させて頂きました!

冥加はED迎えてもあまり変わらない気が…でもやっぱりどこかしら変化はあって、ってイメージです。
お題がかなり甘そうだったのに…あんまり甘くならなかった…む、無念…!でもこのくらいが丁度いいのかな、という気もします。

それでは、企画を主催して下さった久遠様、ここまでお読み下さった皆様、ありがとうございました!


一条弥生


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