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盲目の蝶は愛をかく語りき


 数刻前まで遠慮もなく部屋へ照らし込んでいた月明かりが、背徳から眼を逸らすように雲の裏へ隠れてしまった。
 お陰で灯りのない室内は暗く、夜目が利かなければ明日の朝まで此処に留まらざるを得なくなる。それは正直、勘弁したい。
 重い躯を起こせば掛け布が落ち、ほんのりと汗ばむ白い肌が露になる。
 金春色に極彩色を織り込んだ着物と長襦袢は完全に脱がされ、肌襦袢を半端に乱された随分な有り様。
 性急な求められ方をされた記憶はあるが、後覚えているのは明らかにお互い性欲処理程度にしか考えていないことが如実に窺える激しさばかりが先行する情交のことばかり。
 隣でちょうど薬売りに背を向ける形で眠る男の顔など覚えていなければ、確認したいとも思わなかった。所詮はその程度の、関係性でしかない。
 ぐしゃぐしゃに乱れた利休色の癖毛を適当に背へ流して、疲労に喘ぐ躯を無視して立ち上がる。幸い動けない程ではない。夜が明ける前に身仕度を整え、この場から立ち去ろう。
 そんな薄情とも言える思考を廻らせながら一歩、片足を踏み出した、瞬間──

「、…っ」

 とろり、と内股を伝う液体の感触に思わず歩みを止める。僅かに前屈みの体勢となって、更に零れそうになる蜜を下腹に力を入れて堪えた。
 中には出すなと特に言及していた筈だが、まるで聞く耳を持たれなかったのだと思い出す。可能ならば今すぐ消してしまいたい記憶故に失念していた。
 同じ性を持つ故に、忌避すべき最大の問題が起きないという前提が成り立つ甘えが先行しているのだろう。或いは最初の断りが単なる社交辞令とでも受け取られているのか、後者ならば実に腹立たしい解釈だ。
 懐紙で太股まで流れた白濁を、零れそうになる分も丁寧に拭い取り、今度こそ部屋を出る。
 こんな夜遅く、湯を使わせてもらえるとは毛頭考えてはおらず、最初から目指す場所は内庭に設置された井戸だ。
 じとり、と熱を帯びた空気に晒された身には湯よりも井戸水の方が丁度良い。この季節ならば風邪を引く心配もないだろう。
 そう楽観的に考えて、汲み上げた水を被る。意外に水音が響くことは知っている為、頭から勢いよく洗い流してしまいたくなる衝動を堪えながら、丹念に躯を清めた。
 どうせ数日と明けずしてまた何処の誰とも知れぬ人間の腕に抱かれるのだろう、と心の冷静な部分が嘲笑う。
 薬売りは基本的にこのような誘いを拒みはしない。勿論、一度はやんわりと断りを入れて受け流そうとはする。それで去ってくれれば良いのだが、しつこく食い下がる輩も少なからず存在する訳で。
 そういった場合、下手に断り続けるよりは一夜だけと条件をつけて要求を呑んだ方が事を荒立てずに済むと判断してからは、拒否という選択は形を潜めてしまった。
 まぁそれでも、最初に提示した条件の通り、二度目は頑として受け入れたことはない。大抵の人間は一夜だけで満足してくれる。
 興味本意か単なる性欲処理か、目的がどれであったかは解らないが、身一つで解決できるなら安いものと考えることにした。
 ものは考え様、酒を交わすことと同じだとでも思えば不思議と苦にはならない。愉しいという感覚はないが、随分とこんな生活にも慣れてしまった。
 全身濡れ鼠の状態で、小さく吐息を吐き出す。頬に貼り付いた髪の毛が少し鬱陶しいが、外気に触れたそこは仄かな冷気に包まれて気持ちが良い。
 ふと、背後から僅かに衣擦れの音と気配を感じ取り、薬売りは一瞬だけ瞠目した。
 珍しいこともある、と感心する一方で、何故よりにもよって今日なのだ、と理不尽に詰ってしまう心中。口にこそ出さなかったが、きっと雰囲気には出てしまった筈だ。
 だからだろうか、気配は其処に確かに存在するのだが、一定の距離を保ったまま"彼"は言葉を発することも次なる行動をとることもなく、佇み続けているようで。
 罪悪感は当初から不思議と湧かないものなのだが、やはり、居心地は悪い。

「…こんな夜分に、どうしました?……まさか、とは思いますが、覗いてはいらっしゃいませんよ、ね?お前にそのような、悪趣味な嗜好があるとは思えませぬが…」
「覗いてはいない。唯…今この時に、お前の元へ参ぜねばならぬと、そう思ったのだ」
「…?」

 曖昧で、意味深な発言に首を傾げ、漸く声のする方へ視線を向けて、微かに息を呑んだ。
 気配は其処に在る。声も其処から生じていた筈だ。なのに、何故か──夜闇で判断ができないわけではなく、見慣れた姿が見えない。視線の先には草花と木々と宿の輪郭。人影すら映すことはなく。
 その瞬間に、まるで冷水を浴びせられたような衝撃が脳髄を貫いた。たかだか姿が見えないだけ。だがそれだけが、何よりの恐怖になることを痛い程に知っている。
 一体、何故──

「……お前が、見たくないと思えば、俺の姿はお前には映らない」
「…私が、?」

 心を読まれたかのように、的確に疑問の答えを差し出した声に瞠目する。
 彼を、半身であり伴侶である男を拒んだと?──否、違う。逆だ。
 男を"見たくない"のではなく、男に"見られたくない"のだ。今の自分の姿を。
 せめて、全ての後始末を終えた状態ならば何と詰られても受け流せただろうが、あまりにも間が悪い。情事の名残が未だ色濃く残っている今宵は特に──

「──っ、!?」

 唐突に、背後から伸びた浅黒い腕に躯を抱かれる。否──、抱かれているような感覚に捕らわれた。変わらず背後にいるだろう男の姿は見えない。
 不意に、ぽたり、ぽたり、と髪の先から滴り落ちる水。失念していた。自分は今ずぶ濡れ状態だということを。

「…濡れて、しまいますよ…」
「構わぬ、大事には至らないからな」
「……私が、気にするんです、よ」
「我慢しろ」

 どうしたのだろう。何故今宵に限ってこんなに横暴なのだろうか。
 お互いに夜目は利くが、せめて後ろから抱き竦められているこの状態は救いだった。顔を見られる心配はなく、柔らかな温もりだけを感受することができる。
 男はそれ以上の言葉を発しない。
 薬売りもまた、下手な話題を出して墓穴を掘りたくはないらしく、唇を閉ざしたまま。
 男が何故、今宵姿を現したのかは解らない。だけど追究もせず唯其処に居てくれる──最初こそ疎んだが、今はそれが素直に有難いと思う。
 今更、理由は深く考えまい。
 双眸を伏せて、少しだけ頭を後方へと倒し凭れかかる。視界は深く、漆黒の闇の中。唯頬に当たる夜風の冷たさと、躯に回された腕の温もりだけが現として感じる全て。
 衝動的に、開いた唇が音を紡ぎ出す。

「このような時に…言うべきではないのかも、知れませぬが」
「何だ?」
「……、…お慕い、申しております」
「…あぁ、」

 知っている──、と。
 多くは語らず、欲しい言葉を返してくれる優しい声音に、相変わらず罪悪感や後悔は湧かないが、どうしようもなく泣きたくなった──





盲目の蝶は愛をかく語りき
(見える、見えない、曖昧な闇の中。その言葉だけは真実)









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薬売りさんは結構奔放だけど、決して厚顔無恥ではない、という話。

躯は許すけど痕を付けるのと中に出すのは拒むって話を文中に書くことが出来なかったのでここで書いとく←意味ない

結局これって何が書きたかったんだろう…←




あきゅろす。
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