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花と見るか毒と見るか


 青々と茂る木の枝が風に重たく揺れる、真夏の晴れ間。
 開け放した窓から入り込んでくる風は生暖かいが、どこか涼やかで、心地好い。
 何処かで鳴る風鈴の音は遠くもあり近くもある。その大半は、他方から波のように押し寄せる蝉の声によって遮られてしまっているようで、少しだけ、勿体無いと思った。
 高々と昇った太陽の日射しは強く、物影の闇は深い。
 ふと階下を見下ろせば、暢気に日向で躯を伸ばしてだれている三毛猫が見えた。微笑ましいが、暑くはないのだろうか。
 そんなとりとめもない思考ばかりが浮かんでは消えていくのは、目の前でも一匹、灰白猫が眠っており、人間の声だけが空間から断絶されているからだろう。
 数刻前から閉じられた瞼は、一向に開く様子が見られない。その性格を表すように、几帳面な仰向けの体勢から動かず、その間も当然ながら絶えず規則正しい呼吸に胸を僅か上下させている。
 時折吹き込んだ風に揺れる淡い利休色の髪が真白な頬の上をふわふわと滑り、指触りの良い癖毛を強調しているようだ。
 羞花閉月と称するに相応しく、美しい人ではあるも中々どうして、眠る姿は愛らしいと思わずにはいられない。凛とした光を宿す青破璃が隠されているせいか、無防備な寝顔は日向ぼっこする猫とさして変わりないように感じる。
 見目の麗しさに反して実に強かな人柄ではあるが、所詮は人間。その肉体も大元は人を基盤にしている為、休まなければ疲労は蓄積していく。
 そんな理由から短時間であっても睡眠はとるようにしている薬売りだが、極偶に、こんな風に昼寝に興じることがあった。
 勿論それは悪いことではない。モノノ怪と対峙する度、躯を張っている彼のこと、口にはしないだけで常から疲弊している筈だ。必要と感じたならば存分に休んでもらいたい。
 "形""真""理"によって解き放たれぬ限りは精神体という曖昧な存在でしかない男は、半身である薬売りと、精神の依り代となった"退魔の剣"以外には影響を及ぼせない。それでも、万一に備えた見張り程度はできると、頼まれはしないがこうして現世に具現し、眠る麗人を見守っていた。
 ふと、窓際の壁に寄り掛かっていた男の蘇芳の視界に見慣れぬものが留まる。
 金春色を基調に極彩色の模様を織った着物のあわせから覗く、白粉を塗ったように真白な肌──その一点。見る角度によっては視界に入ることはないが、気付けばその鮮やかな朱色は悪目立ちしたがるように存在を主張した。
 あわせの影に隠れるか否かの位置に残された鬱血。紛れもない情事の痕。

「…………」

 思わず、眉根を寄せたのは正常な反応だと思う。薬売りがそういう性格の人間だとは解っているが、それでも、だ。
 薬売りとは幾度と褥を共にしたし、少なからず互いに浅からぬ恋情を抱く仲ならば当然のように情交へ及んだことも多々ある。だが、男は決して薬売りの躯に情痕の華を咲かせることはない。
 白に赤はこの上なく映える。何物にも染まってしまう白だからこそ、鮮烈な命の色を散らせば特に美しさを際立たせることを知っていた。
 しかし、男がその美しさを初めて目の当たりにしたのは褥の上ではない。
 過去幾度と見てきた最期の瞬間──その痩躯を"退魔の剣"にて貫き、生まれ直すあの瞬間だ。文字通り散り逝く命の華が白い肌を汚すあの光景、ぞっとする程の美しさに唯恐怖しか覚えられなかった。どんなに忘れたくとも忘れられない、記憶。
 それからだろうか、彼の肌に紅が乗るのを好ましく思わなくなったのは。
 それは、例えば顔を彩る紅の隈取りであったり、彼に触れる自らの、石榴色に染まった指先であったり、今目の前に映る情痕である。
 だから男は薬売りとの情事の際には決して痕を残しはしない。薬売り自身それに不満を言うことはなかった。
 元よりそういった形に興味を持つどころか常人より淡白な性質なのだ、お互いに。
 獣が身食いし合うように激しく躯を繋げることに意味を見出だせない。ぬるま湯のような優しさの中で、心を繋ぐことができると熟知しているからこそ、必要がなかった。
 そんな訳だから、薬売りの身に残る緋色の華は間違いなく男以外の人間が付けたことになるわけで。
 悶々と思考を廻らせるが、結局眠る当人を問い詰めることは出来ない為沈黙を貫くしかない。例え、薬売りが起きていたとしても、いつものことだと諦念が先立っていたことだろうが。
 そう、いつものことなのだ。
 薬売りは基本的に他者を拒まない。心の内側へは決して踏み込ませないが、その代わりとでも言うように躯だけの関係性には応えるのだ。ただしそれは一夜に限ってのことであり、二度目はない。
 薬売り自身はそれを人の性だの処世術だのと、まるで他人事のように捉えている。
 その言葉に偽りがないことを確信しているからこそ、男も決して薬売りの行動を制限するような真似はしない。だが、何とも思っていない訳では、ないのだ。
 嫉妬──そのような心が己に残っていたことに正直驚く。しかし世間一般の男性ならば己が伴侶に他人の触れた痕が残っていれば、憤るくらいはあるだろう。
 どこの誰と一夜を共にしたかを問い詰めるつもりはないが、気付いてしまうとやはり気に喰わないという気持ちが先行した。白い肌に痕を残すのはあまり好きではないが、他人の名残をそのままにしておくことは好き嫌いの概念以前の問題──論外である。
 要は、火遊びが過ぎた薬売りが悪いのだ。
 そっと、新雪のように白い頬に手を伸ばしてみる。柔らかな吐息を断続的に溢し続け、瞼が持ち上がる様子はない。
 微笑ましいが、ほんの少し、腹立たしくもある。割り切っていた筈にも関わらず、沸き起こるのは人間らしい複雑な感情の渦。
 それを男に思い出させたのは、紛れもなくこの薬売りで。
 彼と時を過ごす毎に人間らしくなっていく己に苦笑めいたものを浮かべ、そっと金春色の着物のあわせに手を差し入れる。少し力を入れて横に引けば、あっさりと乱れる胸元に顔を埋めて、視界に広がる白の中で一際目立つ異色、その箇所へ唇を押し当てた。
 痕を上塗りするように、強く吸い上げれば、淡い朱色は先程より鮮やかな紅色となって白に咲き誇る。
 その瞬間、頭上からくすくすと、高くも低い中性的で、鈴を鳴らすような笑い声が降り注ぎ、嗚呼…と胸中に落胆とも悔恨ともつかぬ感情が過った。
 視線だけを持ち上げれば、当たり前に鉢合う蘇芳と、いつの間にか瞼の奥から露になっていた美しい青破璃。

「……いつから、起きていた?」
「さて…、数刻前から、熱い視線だけは…感じておりましたが…、」
「………」

 殆ど最初から目を覚まして男の様子を窺っていたということだろう。
 もしや珍しく無防備な寝姿を晒していたのも、男が情痕に気付くことを計算しての行動だったのかもしれない。
 紫紺の紅に彩られた唇は真意を悟らせぬ蠱惑的な笑みを浮かべ、妖艶に細めた双眸が誘うように男の双眸を絡めとる。

「人の寝てる間に…随分と、珍しいことを為さってらっしゃる。…これは、どのように責任をとって下さる…おつもり、で?」

 ──嗚呼、もう抗えない。
 花のような麗しの顔(かんばせ)に、獲物を惑わす毒を秘めて。細くたおやかな指先を蔓のように差し伸べ、目標を絡めとれば茨の棘のように甘く、狂おしく、諸ともに引き擦り堕とそうとする。
 その甘美な誘惑から逃れる術を、男は持ち合わせてはいなかった。
 どこまでが打算の範囲だったのか。男は見も知らぬ、興味すら湧かぬ他者の腕に抱かれた時からか──どちらであっても、結果は変わらない。

「……まだ、昼間だが、?」
「煽ったのは、貴方、でしょう…?」

 きて、くださらないのか──?
 緩慢に首元へ廻された腕。引き寄せ、請われるがままに唇を重ねる。
 互いを絡めて離れぬ蘇芳と青破璃、合わさった蒼と紫紺の紅。それは仄かに苦く、甘い、罪の味を纏っている気が、した──





花と見るか毒と見るか
(捕食、成功──)









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で、食われたそうです(爆)

可笑しいなぁ、テーマは"昼寝"だったのに何でこんなことに…?←
薬売りさんは最初から起きてます。狸寝入りなんて常套手段ですよ。それにしても文章ばっかり。

とりあえずいつかリベンジします。





あきゅろす。
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