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劇薬のように甘い致死量


 からん、ころり…──耳を澄ませば微かに聞こえる可愛らしい音の出所は、紫紺の紅に飾られ笑みを形作る、薬売りの唇の奥。
 古びた神社の境内、夏場に相応しく青々と茂る木々の影に佇んで。重いのか、いつもは背負っている筈の薬箱を傍らに。思い出したように鼓膜へ響くは蝉の声。
 そんな中、黙々と何かを舐めているのは解るのだが、それが何であるかは解らない。
 ゆるり、と薬売りの影から姿を現した男は軽く小首を傾げてはみるも、問い掛けるべきか否かを迷っているようで。
 から…からり、ころん…──花魁道中における三枚歯下駄の音はかようなものかと、想像に過ぎない思考を巡らせる。実物など見たこともなければ、聞いたこともないというのに。
 断続的に続く小さな音色は不思議と耳に心地好い。心地好くはあるのだ、けれど──

「…気になるのなら、問えば…良いでしょう に…」

 訊かねば、解りませぬ、よ…?
 言葉を促すように首を傾げる合間に、からら…ころり、転がる音。
 解っていながら敢えて言葉を欲するのは、意地が悪いのか単なる気紛れか。
同じように首を傾げてみても、当然ながら答えは訪れない。問わねば答えぬと、言外に伝えられたものの、こればかりは問うても教えてはくれぬだろうと、確信した。
 ならばと、最初の疑問だけは素直に解決させようと躊躇っていた唇を開いた。
 一体何を食しているのか、と──今更といえば今更な、他愛のない疑問を。

「……先程露店で、買ったもの…なんですが、ね…」

 そ、と袖から差し出された真白の掌には、ころりと転がった丸い、白と薄紅色が螺旋を描く、菓子らしきものが収まっている。
 だが人の世に詳しくはない男は、それが何であるかは解らなかった。鼻孔を掠めるほのかな香りから察するに甘味であることは理解できても、如何様な食物かを見定めるには至れない。
 飴、ですよ。と。
 男の胸中を察したように、薬売りは呆れるでも揶揄するでもなく告げた。
 名前だけなら聞き覚えはあり、嗚呼これが、と感慨深げに納得すれば、食べてみますか、と誘われる。
 一瞬瞠目し、改めて薬売りの手中に乗った飴へ視線を向けてみた。蘇芳の中に映る飴は、硝子玉というには透明感を損なうが、菓子というには精巧だと思う。
 食す物かと疑う訳ではなく、食すのが勿体無いという、珍しい感覚。けれど、好奇心が全く芽生えない訳では、なくて──

「……頂こう、」

 一言、肯定を唱えれば、細められた青破璃の双眸。その一方で、掌の上を器用に転がった飴を細い指先が摘まみ取り男の唇へと寄せようと腕が伸びてくる。
 紫紺を咲かせた親指と人差し指に挟まれた飴は、やはり菓子には見えない、気が、した。
 後僅かで唇に触れただろう指先。しかしそれは、男が薬売りの手首を掴んだことにより阻止される。
 すい、と顔の横へ退かせば、どうしたのかと問うように首を傾げられる。その双眸に嵌め込まれた青に、悪戯な光を見出だした瞬間、狸め、と胸中へ一瞬、悪態が過った。
 掴んだ手首をそのままに、後頭部へ手を添え見目麗しい顔(かんばせ)を強引に引き寄せ、唇を重ねる。
 かららら…ころ、ん…──薄く開いた紫紺の唇の奥で転がる音が鼓膜に五月蝿いほど響いた。
 誘われるように舌を差し入れ、音の元凶を探り当てる。差し出されたそれより幾分か小さな丸い飴を舌先に捉え、ころころと悪戯に転がした。紅い舌の上で溶けていく飴を舐め上げれば、香りに違わぬ甘味が男の喉を通っていく。
 必要以上に口内で遊ぶ男の舌に息苦しさからか僅かに眉根を寄せる薬売りは、時折くぐもった声と、仄かに熱を孕む掠れた吐息を漏らすだけで抵抗の意思を見せない。
 それを行為に対する無言の了承と受け取り、男は更に熱い口内を蹂躙した。飴を食す為などと言い訳も立たぬ程に執拗に舌を絡め、深く、熱く、甘く──

「っ…は、ぁ…、」

 飴が完全に溶けきった頃、漸く舌を引いて唇を解放してやれば、含みきれなかった唾液が薬売りの口端からつぅ、と伝い落ちていく。
 その軌跡を辿り、零れた一滴すらも掬い取れば、ほぅ、と耳元を掠めた吐息。力の抜けたらしい薬売りの躯を支えながらこつり、と額を重ねた。

「……甘い、」
「…当然、でしょう…。そもそも…誰が、このような形で、食せと…」

 自らがそれを促したようなものだろうに。形だけ恨みがましげに返された、息も絶え絶えの反論に、男は内心軽く首を傾げる。
 常ならば、ここで素直に謝罪していたのだろうが、それでは少々つまらない。そんな思考は我ながら珍しいと思う、の、だが。しかしそもそも、

「抵抗は、しなかっただろう?」

 く、と口端を吊り上げて問い掛ければ、一瞬だけ、青破璃の双眸が見開かれた。
 まさか反論されるとは彼も思ってはいなかったのだろう。久しく見ぬ動揺の様に胸中へ込み上げたのは優越感か、加虐心か。
 不意に、薬売りの指先から小さな球体が零れ落ちたのを視界の端に見てとり、男は器用にそれを空中で受け止める。
 汗で微かに溶け出した飴を薬売りに代わって指先に摘まみ、互いの視界の中へ映るように、或いは見せつけるように持ち上げた。青破璃の瞳だけが僅かに動いて、その姿を映したのを確認して、その耳元に囁きかける。

「──もう一つ、味わってみまいか?」
「……、」

 瞠目する青をじ、と見据える。
 少しずつ冷静さを取り戻したのか、同じように男の、暗闇の中に映える蘇芳の瞳を見つめていた薬売りは、軈て諦めたように双眸を伏せた。

「……お心の、ままに…」

 からり、かららら……──男の口内で飴が転がる音が響くのと、薬売りが男の首に腕を回したのは同時。
 ころころ…から、ころり……──甘い、甘い音と味が、聴覚を苛む、味覚を蝕む。窒息する程の空気に浸食されて、後は唯、堕ちるだけ──





劇薬のように甘い致死量
(何処もかしこも甘く、甘く、胸焼けがするほどに)









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人目がなくても場を弁えてバカップル←

剣の人は元々人間だったけど、薬売りさんが生まれた際に人の世の知識を明け渡してしまったので、俗世の些末事には疎い。
ただし、"形""真""理"によって解き放たれた際には薬売りさんの知識を共有してるとかご都合設定。





あきゅろす。
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