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身の程知らずの溺れる恋情


 ちくり、ちくり…──その音が響き始めて幾時が過ぎただろう。
 斜陽に伸びた薬売りの影に佇むように腰掛けた男は、ぴんと伸ばした背にその音を聞いていた。
 当然のように背後には薬売りの背があり、同じ体格、同じ背丈の男二人が背中合わせに正座という、端から見れば異様な光景が出来上がっている。
 しかし別段構わない。他者の目にどのように映ろうとも、苦言を言われる訳でもないのだから。もっとも、仮に言われたとして、語彙の足りない男と違い、弁の立つ薬売りなら飄々と流してしまえるのだろうが。
 ちくり、ちくり…──閉じた双眸の先に広がる闇の中に、唯その音だけが響いてくる。
 薬売りが繕っているのは先日モノノ怪によって破られてしまった薄藤の頭巾だ。
 基本的に一通りのことはそつなくこなすことが出来る薬売りにとっては、繕い物も苦にはならないらしい。見てはいないが、解る。恐らく解れとなる部分はもう殆ど修繕されているのだろう。
 全く珍しいことだ。要領の良いこの薬売りが、化猫の爪ごとき避けられぬとは。
 何事にも例外はある。時に油断することもあれば、平常通りにはいかないこともあることは理解している、が。それでも、らしくないと思わずにはいられない。
 そう、いえば──

「…、額の怪我は、もういいのか?」
「怪我?………あぁ、」

 そんなものも、ありましたねぇ…。
 などと、暢気に言葉を返した薬売りに、男はぴくりと眉根を寄せる。
 血を流しておきながら、何を言っているのだと言葉にせず、肩越しに振り返る視線に乗せた。薬売りは未だ自分の手元に集中しているのか、その顔は見えない。
 普段は頭巾で覆われた後頭部は、器用に結い上げた利休色の髪と、いつかの折に男が与えた翡翠の簪が露になり、凡そ血の気の窺えぬ真白の肌と併せて女性のように艶かしく、美しい。
 今触れれば、邪魔だと振り払われるのだろうか。
 感情の窺えぬ表情の下で、考えるのはそんなこと。嗚呼人の事は言えない、己も大概暢気ではないか。しかし、彼を心配する気持ちに偽りがないのもまた事実、である、筈で──
 言い訳のようにぐるぐると、思考が巡る中、ふと肩に掛かった温もりに男は一瞬瞠目する。
 衣擦れの音も立てず、いつの間にか振り返っていた薬売りが男の肩に頭を預けていた。手元には既に繕われた頭巾だけが残り、針と糸は姿が見えない。

「…終わったのか?」
「えぇ、まぁ…。……それに、これ以上放っておくと…お前は拗ねて、しまいそうですんで…」
「…………」

 ぱたり、と再び瞠目した男の双眸が、不機嫌そうに細まるまで、数秒。
 童のように言うなと、反論するその声音が既に拗ねていることは百も承知。それでも、余裕を体現した薬売りと、真逆の己が酷く滑稽に見えれば、否定したくなってしまった。
 なのに、薬売りは相変わらず愉しげに男を見つめている。青破璃の双眸が細まるのは、男とは全く正反対の理由から。
 常時変わらず爪に紫紺の花を咲かせた、たおやかな指先が男の頬を擽るように撫でる。

「お前は時折、童よりも 愛らしく見える」
「……、」
「…心配せずとも、童に恋慕するほど…落ちぶれちゃあ、いません、よ…?」

 くす、くすくす……──からかうように、鈴の音鳴らすは上機嫌な猫のようで。
 衝動的に、男は薬売りの喉を軽く指で撫でた。流石にごろごろと喉を鳴らすことはしないが、くすぐったげに身を捩り嫌がる様子は見られない。やはり、猫だ。
 実はこの男こそが化猫ではないか。実にくだらない疑念はすぐに思考から離れていく。
 しかし、落ちぶれてはいないとは言うものの事実は似たようなものではなかろうか。
 人格こそ異なるものの、同一と称しても可笑しくはない間柄だ。二人で一つ、本来このような逢瀬は叶わぬ関係にありながら、互いに互いへ恋慕を抱くとは。
 自己愛ではないが、限りなくそれに近い、所謂同属愛に似た感情は、ある意味では童への恋慕より背徳で滑稽であろう。もっとも、否定的に思考を巡らせたところで自らもまたその堕落に付き添う愚者に違いはない。

「……どちらでも、構わぬさ」
「ほう…?」
「その情念の行く先が俺ならば、それで良い」
「………何を、」

 照れるでも、慌てるでもなく、蘇芳を見つめたのは呆れを多分に含んだ眼差し。
 何か間違えただろうかと、足らない思考の中で答えを導き出そうとして、傍らから零れた大仰な溜息に妨げられる。

「今更な、ことを……」

 嗚呼、確かにこれは愚言だったと、得心すると同時に男は薬売りの顔を自らの方へ引き寄せた。
 拍子に、ぱさりと落ちた利休色が波を打ちながらその背へ、床へ流れていく。きらりと斜陽に反射したその柔らかな海の倒錯的な美しさに眼を奪われたのは一瞬。
 迷惑そうに眉根を寄せた薬売りの唇へ触れる程度の口付けを。密やかに込める情念は謝罪と感謝。
 間近に在る彼は呆れた眼差しの中に慈しみを込めて、けれど咎めるように一つ、男の唇を甘噛みした──





身の程知らずの溺れる恋情
(心配すら振り向かせる為の言い訳なのかなんて、疑問は愚問)









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書く度に可愛くなってしまう剣の人。それでも剣薬なのだと言い張る。
薬売りさんが頭巾を外したところ見てみたいなぁ…←





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