[携帯モード] [URL送信]
ただ、頷くだけでいい


 りりり、と鳴る虫の声が密やかに室内へ響き渡る。されどそんなものが鼓膜を震わせたどころで然したる興味も湧かない。
 風に揺れる風鈴の涼やかな音色と同様、情緒を感じるとは思う。だがそれ以上に欲するものが目前にあるならば、単なる些末事だ。

「ん、ん…っ」

 触れれば控えめに、艶めく声を漏らす唇。
 造形的な白い肌がほのかに朱へ色付き、次第に荒くなる呼気に合わせて胸が上下する。
 金蘭の刺繍を施した帯は完全に外しているが、蛾の模様を織った金春の着物はまだ辛うじて腕を通されていた。しどけない様だというに、睦事の最中だからか、妖艶なる淫靡さを際立たせているようで。
 更に、と触れたくなるのだ。
 紫紺の紅を引いた柔らかな唇に口付け、当初よりも熱い口内へ舌を差し入れ、歯列をなぞり、愛撫する。
 くぐもった声が鼓膜へ届く度に精神体に過ぎない身が高揚していく様を如実に感じた。否、精神のみの存在だからこそ、覚えた興奮が露になりやすいのか。
 麗人の胎内へ埋め込まれた楔が猛るままに、彼が悦いと感じる箇所を突き上げる。ひくり、と震えた喉が引きつった喘ぎを漏らそうと唇を塞がれていれば、殆ど吐息ばかりの声為らぬ音に過ぎない。
 ふと、息苦しさからか見上げる青破璃の双眸に視線を奪われる。艶麗でありながら凛とした輝きを常に称えたそれが、快楽に濡れる様の何と美しい光景か。
 躯を許す相手は数多くあれど、こうして与えられる熱に従順と身を震わせる様など見られるのは己だけ。自惚れではなく、確信だ。
 心がなければ行為に灯るのは生理的な劣情だけだ。唯でさえ薬売りは肉体は単なる器に過ぎぬと、精神に重きを置く人間なのだから、尚更のこと。
 心はいつだって男に捧げられるもの。肉体を全て捧げることを拒む代わりにとでも言うかのように、薬売りはその心だけは惜しみなく、断片すらも躊躇わず差し出そうとする。勿論罪悪感からではない、それを彼自身が望んでいるからだ。
 そのひたむきさに、これ以上なく溺れているつもりであっても更なる深みにはまっていくのを感じる。
 ならばこの一時だけであっても抗うことなく、底無しの泥に沈むように、堕ちてしまえばいい。そうすれば点るのは至福に彩られた感情だけ。不毛などと罵って良いのは、当事者だけなのだから。

「は…ぁ、…なにを、考えて…らっしゃるので、?」
「……解らぬか?」

 首を傾げて問い返しながらも、温かな内壁を擦り上げるように動きを止めることはない。言葉を奪うほどに激しいものではないが、呼吸を乱すには事足りる。
 緩やかに身を穿つ熱に僅か眉根を寄せながら、それでも咎める様子はなく、美しい人は艶やかな笑みを浮かべた。

「っ…私、のこと…でしょう、?」
「無論、だ」
「あ…っ、ん、ん…っ」

 途切れ途切れの呼吸の合間、確信を孕んで告げられた答えに満足げに頷けば、褒美を与えるように行為を激しくする。途端、天井へ向かい仰け反った白い喉へ甘く噛みついてやれば、びくり、と震えが唇に伝わった。
 視線だけで覗き見る薬売りの顔は身の内に御しきれぬ熱に浮かされ恍惚と染まっている。半ばほど焦点の合っていない青破璃はそれでも確かに男だけを見つめていて。今、彼の中には己という存在しかいないのだと実感する。
 どろどろに溶かすようなしつこい程の愛撫で理性を崩させた躯に追い打ちをかけるような律動を送れば、女のように甲高く、悲鳴にも似ている狼狽しきった声が断続的に虚空を震わせた。
 元よりゆっくりと時間をかけて、ぬるま湯に溶かすような愛し方を男は好むが、薬売りはその逆だ。
 なまじ躯だけならば経験豊富故か、性急に身を焼く快感には慣れている。だから、じわりと理性を溶かされていく様を如実に感じながら身も心も相手に溺れさせられる感覚に違和感が募り、余計に乱されて落ち着かないのだと。
 自分ばかりが崩されていく現状が悔しいと溢したのはいつの話だったか。男に言わせればそんなものは思い込みに過ぎず、男もまた相手の一挙一動に理性を崩されていっているというのに。
 そんなことは、矜事故に決して告げることはないが。

「ぁ…っあ、…は…くば、ぃ…ッ」

 荒れる呼吸は繰り返す程に規則性を欠いて乱れていくも、それでも尚求めるかのようにたおやかな細腕を伸ばして、薬売りはその名を紡ぐ。
 彼によって身に刻まれた、この、人ともアヤカシともつかぬ曖昧な存在を定義する言霊。この世で唯一、彼だけが呼ぶ男の名だ。
 情事の最中、縋るように名を呼ぶのは余裕がない時の薬売りの癖。理性の一欠片を繋ぎ止めようとするかのような呼び掛けはいじらしいが、自分の前でくらい虚勢すら全て脱ぎ払ってもらいたいと思うのは傲慢なのだろうか。
 攻め立て追い詰めるような動きを止めぬまま、ほのかに汗ばんだ真白の頬に触れる。長い爪で傷付けぬように優しく撫で、吐息が交わる程の距離から情欲に濡れた美しい青破璃の双眸を覗き込んだ。

「…、心地好い、か…?」
「…は…、ぁっあ、ん…ッ!」

 問い掛けに紫紺で彩った唇が言葉を紡ごうとする様を見、それを阻むように深く深奥を穿つ。その一瞬全く無防備であった為か、びくりと再度仰け反った喉元から迸ったのは言葉にもならぬ嬌声。
 淡くもなく深くもない、真意を悟らせぬ青破璃の双眸に雫を纏わせて恨めしげに睨み上げてくる姿に苦笑を一つ。しかし行為を止めることなくその細躯を揺さぶりながら、男は今一度問い掛ける。
 心地好いか、と。他の男と行うような心無いまぐわいではないか、と──。
 そのくせ言葉を紡がせる余裕を与えない。
 激しさの増す男の動きに、薬売りは遅れて漸くその意図に気づいたらしい。否、気づかなかったとしても、薬売りに選択肢はなかったろう。
 常が如何に思慮深くとも、性感による熱に浮かされた思考はとっくに焼き切れていて、震える声で告げられるのは意味を為さない喘ぎばかり。
 縋るように、薬売りは男の背へと腕を回し、褐色の肌を傷付けぬようにその身が纏う、僅か乱れた程度な金蘭の装束を握りしめた。同時に、首を大きく縦に振り、男の問い掛けに対する答えを示す。
 この行為が心地好いのだと、それが心通う確かなまぐわいであること、何より男を慕っているのだということ。溢れる想いの丈を示すように、言葉を用いれぬ代わりに態度一つ一つへ込めて。
 その姿を見た男の顔へ浮かんだのはこの上ない至福に彩られた、柔らかな笑み。その表情を引き出すことができるのは、見ることができるのは、この世で薬売りだけ。嗚呼、何という至上の喜びか──

「俺もだ、──芙桜、」

 水上に咲く蓮よりも気高く、刹那に散り逝く桜のように儚く優美で、麗しき、人。
 嘗て男が与えた名に込められた想いは当人にも量り知れず。故に、この場に相応しい言霊と為り得る。
 興醒めする程の睦言は要らない。
 唯一つ必要な言葉と、相手を包むこの腕(かいな)、寄り添う身一つあれば、それで十分心は繋げれる。
 唇から、指先から、あらゆる箇所から互いの温もりを分け合って、それでも尚足りぬと。濃蜜なる夜は未だ明けることを知らず。
 りりりり…と鳴く虫の声が、人知れずぬばたまの闇に溶けて、消えた──





ただ、頷くだけでいい
(その指絡め、吐息交え、多くを望まずとも繋げる想い)









----------------------------

どうにも羞恥心を捨てきれない感があちらこちらに。うん、まぁ…そんな感じ←

最初こそ余裕綽々な薬売りさんも最後の方は切羽詰まってると可愛いと思う。別に意図してではないけど、一番薬売りさんの理性を崩す抱き方をする剣さん希望(発言に自重なし)





あきゅろす。
無料HPエムペ!