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背徳を分けてあげよう


 多種の動物を模した容器の中に収められているのはあくまでも薬。だが見目に騙されて興味をそそられる客は少なくない。
 昼間の往来だ。特にまだ年端もいかない童達は大きな丸い瞳を好奇心に輝かせて近付いてくる。
 何処か人と一線を引くような出で立ちと雰囲気を持つ薬売りであるが、純真な童にとってはそんなものは些末事らしい。一方の薬売りとて、一線を引くための己が様相ではなく、実際人との交流は然程嫌いでも苦手でもなかった。
 客商売なのだから、人という存在を拒絶してしまえば食い扶持も稼げなくなる。
 まぁ、そんな世知辛い事情を抜きにしても、薬売りは別段童嫌いという訳ではない。寧ろ屈託のない心のままに接してくる姿は下手な大人よりも好ましいとすら思えた。
 あれは何だ、それは何だ、飛び交う質問は薬の数だけ止むことはない。
 だが先述した通り、童の興味を引く外見に反して中身は大半の童が嫌う苦味を伴った薬。専門的な知識はおろか、日常の知恵もまだ未熟な彼らに懇切丁寧に説明しても理解されず眼を丸くさせるのが常だ。
 相手側も薬売りを薬売りと理解した上で問い掛けているらしく、目に見えて落胆するようなことはないが、やはり当初の興味や期待が大きく殺がれてしまったことは否めない。
 理解することを早々に放棄して、まるで異物を見るような眼差しで薬売りを見上げる数人の童達を見下ろし、薬売りは気付かれぬ程度に苦笑した。
 徐に愛用する薬箱へ手を伸ばせば、反射的にか童達の視線もそちらへと向く。実に予想通りな反応に双眸を細めて、薬箱の下から二段目の引き出しを開けた。
 薬売りが背負う薬箱には、商品である薬は当然ながら、毬やおはじきなどの他愛ない玩具から春本といったものまで様々なものが収納されている。
 その中から色鮮やかな紙風船を取り出し、折り畳まれた状態のまま左掌に載せた。その上へ重ねるようにして、空いた右手を乗せ、そっと持ち上げた瞬間に紙風船は、まるで中で風が弾けたかのようにぽん、と軽く膨らむ。
 手品のような一連の動作に一拍を置いて、わっと上がる歓声。ぽん、ぽん、と掌の上で軽く数度弾ませた後に同じ要領で童へと渡してやった。
 そうして、あっという間に遊びへと傾いた意識は、夕暮れ時の太陽が朱く、大地を染め上げても萎むことはない。暫くその光景を眺めていた薬売りは、ふと彼方から聞こえた呼び声に視線のみを動かす。
 母親だろうか。黒髪の、子持ちにしては些か年若い女性が童を呼んでいるのが見えた。浅紫の着物を着こなした美しい娘だ。
 紙風船を返した童が自らの下へ駆け寄るのを控えめな微笑で見守り、ふと、薬売りへと視線を向け、小さく会釈してくる。つられるように頭を軽く下げれば、件の童が笑顔で大きく手を振ってきたのでそれにも相手と同様の対応で応えた。
 そのまま手を繋ぎ合い帰路を行く二人の、遠ざかる背中を見送りながら薬売りは徐に青破璃の双眸を細めて、自らの手元へ視線を落とす。
 空気が抜け、再びきちんと折り畳まれ直された紙風船が白い掌の上に乗せられている。爪先に紫紺を散らした、造形的な白は血の気を窺わせず、西洋の陶器人形を思わせた。
 人形──嫌な言い方ではあるが、言い得て妙な、表現でもある。
 元は人間を基盤にしているとは言え、幾度と作為的に"生まれ直す"この身は最早"人"と、称して良いものではない。
 限りなく"人"に近しい、異なるモノ。アヤカシと呼ぶに相応しいがやはりそれとも異なる、狭間の造物だ。
 母親の胎を介さずに生まれること──それを不幸だと、感じたことはついぞない。だが、人として育まれたこの心にとって、思うことがない訳でも、ないらしく。
 一つ、無意識の溜息が唇を震わせた、その瞬間──ぐにゃり、と視界が歪んだ。
 微かに息を呑む、その刹那。黄昏色に染まる空が突然生じた灰色に侵食され、灰は軈て白に、雑踏は無と溶け、地平線は果てのない夢幻に埋め尽くされ、見えなくなる。
 些か強引に引き込まれた世界に、薬売りは暫し双眸を──縁のない人間には気付かれない程度に──丸めて、唯其処に在る白亜を凝視した。そして、事態を理解すると同時に驚愕を収め、まるで何事もなかったかのように紙風船を薬箱の中へ仕舞い込む。
 ちりん、と自らを主張するように、聞き慣れた鈴の音が、長く尖った耳を擽ればもう一度、今度は意図した上で吐息を吐き出した。

「…これは、珍しい…。お前が自ら、私に干渉しようとするとは…」

 口許は、紫紺の紅のおかげで笑みを形作っているが基本的に薬売りは感情が表情に出ない性質だ。
 形としての笑みはお手の物だが、必要ではない状況下でわざわざ笑んでやるほど社交辞令に富んでいる訳でもない。ましてや、端から此方側に一切の礼儀を払おうとしない相手ならば尚更のことである。
 薬売りは結局無表情のまま、ゆっくりと背後を振り返った。あくまで平常通りの声音で、疑問を言葉に乗せながら、其処に在る物へ鋭くも柔らかくもない視線を向ける。

「…一体、どういった気紛れ、でしょうか…ねぇ?」
『──…相変わらず、創主への礼儀を知らぬ、図々しい傀儡めが…』

 振り返る薬売りの視線の先。上も下も、方位もない白亜に彩られた夢幻の中央に佇んだ老翁が、さも忌々しげに言葉を吐き出す。
 見映えのしない朽葉色の薄汚れた着物を痩せ細った躯に纏い、されど度し難い威厳と貫禄を以て胡座をかく姿は、不思議と懐かしいと感じるものながら決して見慣れたものではない。
 だが相手はその逆らしい。寧ろ見飽きたとでも思われているのか、灰色がかった長い白の前髪に隠された双眸が億劫そうに見つめているように感じられる。
 もっとも、それが杞憂や被害妄想ではないと肯定されるならば、呼び出したのは相手の方だと言うのに実に理不尽だと、感じずにはいられない、の、だが──。
 そもそも、彼に人間の常識や礼節を弁えろというのが無理な話なのだ。何故なら彼は人間ではない、人間に使役されるが為に人間によって生み出された"道具"に過ぎないのだから。

『人の子を羨むなどと…酔狂にして愚劣極まりない傀儡を嘲笑いに来たまでのこと。特別な意味などないわ』
「それは結構な理由、で。確かにお前は、モノノ怪が居なければ価値無き存在…。平穏な人の世など、退屈でしかないのでしょう、が、…それにしても随分と暇を持て余していらしたよう、ですね──"退魔の剣"よ」

 静かに紡がれた銘に、老翁は軽く肩を竦めるような動作を見せた。
 顔の大半は変わらず髪に覆い隠されていて窺えないが、短い付き合いではない薬売りには解る。どうやらあまり虫の居所が良くないらしい。
 元より薬売りと対峙している時、この老翁が上機嫌だった例は一度としてなかった。
 嘲笑う為などという理由が半分は建前であることも知っている。心配、などではなく自らにとって必要な駒が滞りなく役割を果たす為に、一切の不確定要素を取り除きたいのだ。慎重さが過ぎるようではあるが、過去人の心という不確定要素に幾度と道を阻まれた彼だからこそ、当然の配慮とも言える。
 そんなもの、向けられる薬売りとしては、正しく余計な世話でしかないが──

「一つ、訂正を…。私は、羨んでいる訳では…ございません、よ?……そう、強いて挙げるならば、──興味、ですかね…」
『興味…?』

 鸚鵡返す老翁は、言葉の意味を理解するや否や、それまで微動だにしなかった痩躯を大仰に揺らして、吼えるように笑った。
 高笑いなどと生温い。正しく嘲笑うような、愉悦ではなく不愉快さから衝動的に迸ったと見える嗤い方だ。
 不意に、その嗤いが止んだかと思えば、その瞬間に薬売りを射抜いたのは侮蔑と殺気を交えた物騒な視線。その中に僅かながら薬売りの真意を探るような気配を潜ませ、老翁は乾いた唇を開く。

『貴様が"あれ"以外のものに興味を示しただと?それこそ何の気紛れだ。笑わせるな』
「これはまた随分な、言い種…」

 心外だと言わんばかりに肩を竦めながら、しかし薬売りは老翁の言葉を否定しない。全て事実だからだ。
 薬売りがその心を砕くのはいつだって唯一人の為。真に心へ住まわすものは半身にして伴侶たるかの人だけであり、その他が入る余地はない。
 だからこそ薬売りは言ったのだ。強いて挙げるならば、と。
 実際、何故の感情なのかを薬売り自身理解しきれてはいない。その不明瞭さが、老翁は気に入らなかったようだが、薬売りの中では些末事としか捉えられていなかった。
 複雑怪奇な感情を有しながら、最もその感情を理解できぬ生き物。それが人間なのだからと、半ば開き直りにも似た悟りの中で、巡った思考に重きなど置いていない。
 唯、ふと気になっただけだ。
 例えば、自らに母と呼べる存在が居たら、自分はどのような感情を彼女に向けるのだろう。老翁の言う通り、"彼"以外には一定の感情以上を示さない薬売りに、親と呼べる存在が居たならば、何か違いがあったのだろうか、と。
 そんな子供の好奇心にも似た、小さな興味に過ぎない。

『人親に対する興味…先のモノノ怪に触発でもされたか、愚かな傀儡人が』

 吐き捨てるように罵られ、ふと思い出す。
 母胎に宿りながらこの世に生まれることなく葬られた赤子達の魂。その情念から生まれたモノノ怪──座敷童子。そして唯、子を想い続けた金色の髪の娘。
 解き放たれた"退魔の剣"の一閃。その先で、最期に赤子は、笑っていた。その笑顔が酷く、印象的、で──

「モノノ怪の真と理を織る為、人の情念を理解することを求めたのは…他ならぬお前、でしょう?しかし、私は…残念ながら母を持たぬ、目的の為の手段として、"生まれさせられた"傀儡の身。理屈は理解できても、その感情は理解しきれない。母を求め、この世に自ら生まれたがる子の気持ちが」

 何より、身を呈して子を守り、この世に産み出そうとする母の強き情念が、それを知らぬ薬売りには理解しきれない。故に、人として興味を持ったのだ、と。

『生まれ出でれば、喜怒哀楽に揺らぎ嘆きアヤカシの道理を歪め、生まれること叶わねば叶わぬで、世の摂理を歪めようとする。何と身勝手な生き物か、人間とは。所詮"道具"たる我は理解できるとも、理解したいとも思えぬ。興味を持つなど以ての外よ』
「…全く、口の悪いこと、で。まるで人間が世に存在することが罪であるかのような物言い、ですね…」
『さもありなん。そも、モノノ怪の形を為すは人の因果と縁…初めから人間なぞ居なければモノノ怪も生まれなかったであろうに』

 心底忌々しげに紡がれた言葉は、薬売りに向けてと言うよりも寧ろ独り言に近い。嫌に饒舌なのはやはり機嫌が悪いからか。
 薬売りと相見えれば、その機嫌が更に下降の一途を辿ることは解りきっているだろうに。わざわざ干渉し、愚痴のような言動を吐き散らす。気紛れな猫よりも扱いづらい。
 そしてその自分勝手さが、薬売りには酷く滑稽に思えるのだ。誰よりも何よりも人間という生き物に失望していながら、その意思は実際誰よりも、人間に近いと感じるが故に──

「生まれたことが罪なのか、か弱き心を持ったことが罪なのか、どちらにしても…お前が語れる立場では、なかろうに…」
『…何、』
「その、か弱き心を求め、望み、"人に近しい傀儡(わたし)"を生み出したお前も、また──」
『貴様…、!』

 初めて動揺を見せた老翁が、言葉を阻むように口を開くが、それよりも薬売りの方が早かった。
 ここにきて漸く、薬売りは真一文に結ばれていた紫紺の唇で弧を描く。慈しむようにも窺えるそれとは裏腹に、紡がれた声音は酷薄なまでに冷えきっていた。

「愚劣で身勝手な、罪深き存在だ──」
『黙れェッっ!!』

 ちりんっ!と聞き慣れていた筈の鈴の音が、耳障りな程の音響を伴って鼓膜に響いた瞬間、薬売りの視界から白が失われた。
 見渡す先に広がるのは先程薬売りが佇んでいた通り。どうやら衝動のままに夢幻の世界から現世へ弾き返されたらしい。
 煽ったのは薬売りであるが、短気は損気だと思う。忠告したところで火に油であることを熟知している為か、殊更に。
 だが、そんな性質だからこそ飽きないのも事実だ。時折ああして夢幻の中に見えれば、憂さ晴らしとでも言うように好き放題言葉をぶつけてき、薬売りもまた遠慮することなく応酬する為、今回のような扱いを受けることも珍しくないのだが。
 結局のところ、薬売りも嫌いではないのだ。好ましいとは口が裂けても言えはしないが、疎むことはない。恐らくこの先も。
 この世で唯一、父であり母と呼べる存在。それは人の親とは根本から異なるものであるのだけれど、

「……私には、お似合い…かもしれません、ねぇ…」

 かの存在には嫌がられることを承知の上で、敢えて言の葉を唇に乗せる。
 ふと薬売りの傍らを、一組の母子が通り過ぎていった。共に栗色の髪を持つ、仲の良さそうな親子。しかし薬売りは一瞥をくれることもなく、唯、朱色に染まる空を見上げた。
 地平線の彼方へ沈んでいく暮れの色は、琥珀と紅玉の狭間の色。
 今頃完全に気分を損ねて夢幻の中に憤りを露にしているだろう存在を思わせるそれに、薬売りは今一度、口許にうっすらと笑みを浮かべて、宿への道を歩み始めた──





背徳を分けてあげよう
(拒絶しようとこれは私と貴方を繋ぐ絆)









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またしても当初とは違う訳の解らない話になりました。何が書きたかったんだっけ…あれぇ?

我が家の退魔は主要面の中で一番人間らしく我儘で自己中。そして癇癪持ち。
それを知った上で煽って苛める薬売りさんを書きたかったのだけど…どこで間違えたのだろう…(爆)





あきゅろす。
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