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不良くんとドラ焼き(泉三)1


今日は厄日だ。

 朝は寝坊して、遅刻しそうになって。
 授業では全く解らない問題を当てられ結局答えられなくて、昼食の時なんかおにぎりに逃げられたし体育ではボールが顔面直撃、午後の授業ではまた問題を当てられて答えられなかった。
 しかもさっきなんか階段で足を滑らし尻餅付いてしまった(転げ落ちなかっただけマシか…)。

 他にもまだたくさんあった。
 ちっちゃいことがいっぱいあって、もう殆ど覚えてなんかいないくらいだ。


 あぁもう、ホントに今日は厄日だ。
 嫌なことばっかりが重なる。

 こういう日は早く帰って大好きな投球の練習をするのが1番いい(いつもやってるけど)。
 時間も忘れて思い切り投げよう。
 たくさん投げよう。
 そうすればきっと嫌なことなんてすぐに忘れてしまう。

 ……そう、思っていたのに…。




「なぁ、ちょっとでいーんだってぇ」

「絶対あとで返すからさぁ」




 目の前で申し訳なさそうに言う、見知らぬ上級生2人。
 けれど、その表情と態度は、言葉とは裏腹で信憑性に欠ける。

 周りの人に助けを求めようにも、周りは見て見ぬフリをして駆け足で去っていく。
 なんて賢いんだろうか。
 オレだって、オレなんかじゃどうにも出来ないと解っているし、絡まれたら自分の身が危ないから、きっと同じことをするかもしれない。

 誰にも知られないよう溜息を零し、逃げ道のないオレはただ壁に背中をくっつけるしかなかった。




(あぁ…此処には、オレの味方なんていない)




 まるで中学の時みたいに、オレは独りぼっち。
 いつだって独りでコワイモノに立ち向かうしかないんだ。

 …慣れていた。
 怖いけれど、慣れてしまった。

 だけれど、
 それなのに、誰かの助けを求めてしまうオレは弱いから。
 狡いから。




「なぁ、早く出せよ」




 さっきまでの態度とは一変、痺れを切らした男はいきなりオレの胸倉を掴んだ。
 その拍子で一瞬息が詰まってしまい、オレが顔を顰めると、それが気に入らなかったらしい彼は下ろしていた握り拳をすっと振り上げて…。




「――ナニしてんすか」




 頬に走る痛みを予想して、咄嗟に堅く目を瞑ったオレに聞こえたのは鈍い音ではなく、静かな声。
 緊張した空気を裂くような、凛としたその声には確信があった。

 上級生達とほぼ同時に見遣ったそこ、彼等の背後にはいつの間にか、詰まらなそうな顔をした泉くんが立っていた。

 彼は、自分よりも背の高い彼等に動じることなく、彼等をその大きな瞳を細め、睨み上げる。




「ソイツ、オレのダチなんすけど、なんか用すか。用があんならオレが聞きますよ」




 泉くんの、妙に冷めた声が夕暮れの中にハッキリと通る。

 すると、上級生のうち1人が僅かに後退りした。
 そしてもう1人の男に耳打ちをした。




「あいつ、イズミじゃ…」




 その言葉に一瞬だけピクリと反応した男ともう1人を、相変わらず泉くんは睨み上げている。
 いつも冷めているように見えるけれど、田島くんやオレの面倒を見てくれる彼は実は茶目っ気もあることを知ってる。

 でも、今の泉くんはまるで、オレの知っている泉くんではなくて。

 少しだけ、怖い。




「やっぱりコイツ、テメー等の仲間か」




 すると、オレを捕らえたままの男がニヤリと笑った。
 泉くんはそれを見て、だけどやっぱり表情一つ変えない。




「ソイツは仲間じゃねぇよ」




 ずきり、と、言葉が胸に刺さる。


 …あぁ、そうだよ。
 そうだよ。

 オレは、泉くんの仲間じゃない。
 ただの知り合い。
 ちょっと話したり一緒にいたりしただけの存在。
 たったの、そんな存在。

 知ってる。

 わかってるよ。


 だってオレは、いつだって独りぼっちだから…。




「…ダチって言ったの聞こえませんでしたか?」




 ハッキリとしたその声にはっとして、俯かせてしまった視線を擡げる。
 そうすれば、怖いくらいに真剣な顔をした泉くんと目が合って。

 彼が一瞬だけその口許を緩めた。

 そんな気がした時、遠くからバタバタと駆けてくる足音が聞こえてきた。

 それを聞いた途端、オレに絡んでいた上級生達は一目散に逃げていってしまった。
 残されたオレと泉くんは、その速さに呆然としてしまっていると。




「お前か!カツアゲしてたのは!」




 突然、視界の端で泉くんが勢いよく誰かに引っ張られた。
 慌てて振り返れば、彼は教師に胸倉を捕まれていた。

 ぇ、違…っ。
 泉くんじゃない。
 泉くんはオレを助けてくれたんだ。

 そう言おうとした口は、何故か、泉くんに遮られてしまった。




「はい、オレです。トロそうだったから、つい」

「つい、だと?!お前、自分が最低なことをしてるってまだ判らないのか?!」

「そういうセンセーこそ、人の胸倉掴まないでください。苦しーんすけど」

「お前は…!」




 今にも殴り掛かりそうな教師と、詰まらなそうに目を細める泉くん。
 オレは口を挟むことができず、ただオロオロとしているばかり。

 あぁ、どうしよう。
 泉くんが、オレの所為で怒られてしまっている。
 彼は悪くないのに。
 彼は、悪くなんかないのに。

 すると、教師と睨み合っていた泉くんが、教師が他の教師を呼ぶように周りの生徒に頼んでる最中、ふと、こちらを見た。
 そして、ふわりと笑って。




『おくじょう』




 とだけオレに口パクで伝えると、彼は教師に連れられ、校舎の中へと消えていってしまった。
 オレは1人ポツンと取り残されてしまい、何かをしようとして、だけど何をしたかったのか判らず、結局トボトボと校舎の中へ戻った。




(……どうして…)




 階段を登りながら、頭に浮かんだのは泉くんの顔。




(どうして、泉くんは本当のことを言わなかったんだろう)




 なんで…泉くんは悪くないのに。
 泉くんは、ただ、オレを助けてくれただけなのに。

 どうして泉くんが怒られていたの。

 どうして、あの上級生達じゃなくて泉くんなんだ。

 どうして先生は泉くんだけを悪者にするんだ。

 泉くんは、悪くなんかないのに。




(なんで、オレは、何も言わなかったんだ…)




 ぽたりと、足元に落ちていく涙。
 悲しくて悔しくて情けなくて、自分が腹立たしくて。

 ぽたりと、足跡みたいに、意味もなく零れ落ちていく涙。
 これは、意味のない涙だ。




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