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悪夢と一緒に
小さい頃、よく悪夢を見ていた。体が思い通りに動かなくなって、叫び声を上げようとしても、口すら開かない。気がつくと糸が体のあちこちに付いている。真っ暗闇の中から大勢の人の拍手が聞こえて、糸が引っ張られると体は勝手に動き出す。誰かに操られて、たくさんの人の前で道化のように踊りだす自分の体。意志はあるのに、何もできない。感情があるのに、何も言えない。踊りながら、自分が短剣を持っていることに気付く。そして、踊っているのではなく何かを斬りつけているのだということにも気付く。何を斬っているのだろう。そこでよく見てみると、涙を流している自分自身が血まみれになって縛り付けられている。
ベッドの中で汗だくで目を覚まして、体を起こして、ようやく安堵する。もしベッドから起き上がろうとして体が動かなかったらと思う度にぞっとする。
そのまま泣きながらXの部屋へと向かう。この夢を見たときには、寝ている彼を起こして、ベッドに入れてもらっていた。Wには秘密にしてほしい、という約束も守ってくれているようで、恐い夢を見てXの部屋で寝ているとWにからかわれることはなかった。
あの日も悪夢を見て、Xの部屋へと向かおうとしていた。自分のものだとわかっている足音がひたひたと暗い廊下に響くだけで、恐怖は増していく。早く、早くX兄様のところに行きたい。人形の自分に襲われるかもしれないのだから、早く。
「おい」
「やっ、やだ!来るな!化け物!!」
「はあ?化け物ってなんだよ…痛っ」
がむしゃらに拳を振り回せば、そこにいた何かに当たったらしい。当たったときにはもう、それが身近な人物だということに気がついてしまっていたけれど、まさかこんな時間に起きて廊下を歩いているとは想像していなかったから驚いた。まだ夢の中にいるのかもしれないと考えてしまうほどには。
「どうしてW兄様がここに?」
「トイレ。お前こそ、なにしてんだ」
「ぼ、僕は…」
からかわれるからWには言わないで。Xにはそう言っておいて、今全てをぶちまけてしまいそうな自分がいる。からかわれるに決まっているのに、恐怖というのは本当に厄介だ。顔色悪いぞ、大丈夫か。そんなことを言われただけで、安心して、嬉しくて、泣きたくなってしまう。泣き出した途端更に心配の色を色濃くさせたWに、すべてを正直に話してしまうまでそう時間はかからなかった。
「何でXのとこには行って、俺んとこには来ないんだよ」
「だって兄様に言ったらからかわれるから…」
「からかったりしねえから、俺の部屋に来いよ」
「どうして」
「いいから、来い」
今思えば、Wは自分だけ仲間はずれにされたようで悔しかったのかもしれない。理由が何であれ、手を握って部屋まで連れて行ってくれたWはその時の自分にとってヒーローのようだった。ベッドの中でも手を握ってくれたし、頭や背中を撫でたり優しく叩いたりもしてくれた。Xでさえベッドに入れてくれるだけだったのに、Wは普段の素っ気ない姿からは想像できないくらい自分のことを気にかけてくれたのだ。
「僕、夢でも見てるのかな」
「なんでだよ」
「だって、W兄様が優しいから」
ベッドの中でWの手の温度を感じていたら、つい漏らしてしまった言葉。
途端に頭を撫でていた手が止まって、思わず目を開けてWの顔を確認した。
表情は浮かんでおらず、何を考えているのかもわからなかった。ただ、その顔から優しさや慈愛というものは消えており、Vは少しだけ身構えた。
「早く寝ろ」
冷たい声、離される手、向けられる背中。
「俺は優しくない」



あれから何年も経って、色んなことがあった。今はふたりとも、あの頃とは違う。違うけれど、あの日の記憶は残っているし、結局は同じ人間なのだ。今日はWが酷く荒れていたけれど、だからこそ伝えたかった。あのとき、本当に思ったこと、本当に感じたことを伝えようと思った。
Wの部屋のドアの隙間からは明かりが漏れていて、起きていることが伺える。
ノックすれば、Wはドアを開けた。Xが小言でも言いに来たのだと思っていたのだろうか、開けた瞬間驚いたように目を見開いて。それから嫌な感じのする笑みを浮かべて部屋の中へと招き入れた。
「あの、兄様…」
「なんだよ、怖い夢でも見たか?」
馬鹿にしたように笑うと、Vは腕を掴まれベッドへと引き倒された。あのときのことを覚えているのだろうか、それとも適当なことを言ってからかっているだけなのか。自分だけが引きずっているなら馬鹿みたいだと、自嘲気味な笑みを浮かべれば、Wに覆いかぶされ唇を奪われる。
「手も握ってやる、頭も撫でてやる、なあV。そんな優しい兄貴が欲しいんだろ?」
「ち、が…」
「何が違うんだよ!お前が欲していたのはそういう俺だろうが!」
優しい兄が欲しかったのではなく、そういうことをWがしてくれるのがただ嬉しかっただけなのだ。優しい兄ではなく、優しいWが。いつもの意地悪なWだって、嫌いになれない。むしろ好きだと。そう伝えようとしているのに、まるであの夢の中にいるかのように、口も、体も、動かない。
ああ、今気づいた。
あの夢の中で人形であるVを動かしていた人物。それはWだ。今の、W。
このままきっと、泣いている自分を切って切って殺して、ただの人形になるんだろう。
「きっと俺の感情がお前の夢として出ちまったんだろうなあ」
ずっと壊したいと思っていた。その優しさを憎んでいた。
告げられても、何の反応も示せなかった。
ただひたすらに考えていた。あのときからかわずに手を握ってくれたWが、どこかにいるに決まっている。唯一の希望。だから、ありったけの勇気を振り絞って。
「ふ、ざけんなよッ!!」
叫んだ。怒った。理不尽な世界に、歪んだものに、歪みを生み出したものに。苛立ちを向けて。
「兄様が自分を否定して、何があるんですか!」
ぽかんとした顔のWの頬を叩く。止めどなくあふれ出る涙も無視して、叫ぶ。
「自分を卑下するために、僕を使うのはやめてください!」
「自分の価値を図るために僕を使ったって無駄なんですよ!だって、だって僕は、」
W兄様が好きだから。
そう口にしようとしたときにはもう、Wは部屋を出てしまっていた。Wの部屋でひとり、悔しくて、悲しくて、泣き叫ぶことしか出来なかった。


あきゅろす。
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